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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2015年3月9日月曜日

昨日、練習試合を観戦しました。

冬のトレーニングが終わっての、最初となる練習試合を観戦しました。
対戦チームは伊川谷高校です。

練習試合写真アルバム
https://plus.google.com/photos/115534743271292658497/albums/6123853970030296081

序盤は先制されていました。
最初から試合を観戦していた井鳥さんは、伊川谷の選手はそつがない、走塁も見事と評されていました。

松陽ナインの先発陣は、皆一回りも二回りも大きくなっていました。その最たるは朝田君です。そのしっかりとした体で、攻撃では、得点圏でしっかりと打点を稼ぎ、守備では好守や連携で相手のチャンスを摘み取りました。
そして逆転で、この試合を勝利しました。

チームの元気印、センターの黒田君とライトの藤原君は、変わらぬ大きな声で味方を鼓舞し続けていました。藤原君は二本のライトフェンス直撃弾を放ちました。絶好調でした。
また、サードの奥本君とショートの田中君の動きが軽快でした。守備と走塁にはスランプがないといいます。この好調を持続し続けて欲しいです。

少し気になる選手もいました。
この試合では、二人の長距離砲、キャッチャーの井鳥君とファーストの松下君に快音がありませんでした。両人は共に長打を期待させるバッターです。大きく構えて、ボールを呼び込み、鋭いスイングで遠くに飛ばす、が魅力的なのですが、この試合では、少し構えが小さくなっている様に思いました。もし不調を感じて萎縮したり、試行錯誤に陥っているのであれば、無我夢中でランニングや素振りに励み、汗と一緒に不安や迷いを振り払って欲しいです。そして自信に満ちたバッティングを取り戻してくれる事を期待しています。
もう一人は久保君です。太股を怪我していると聞きました。久保君も魅力的な長距離バッターの一人です。焦らずにしっかりと怪我を治して、大会が始まる頃には、必要な選手としてグランドに立っている事を期待しています。

2015年3月8日日曜日

一本松の不思議

北脇のお山「一本松」
山頂を遠くから眺めると、まるで人が立っている様に見えるのです。
不思議ですねぇ。

2015年3月7日土曜日

春の便り

昨日、松陽高校野球部父母会井鳥さんから春季地区大会一回戦の日程を連絡頂きました。
待ちに待った球春の頼りです。

松陽高校は一回戦、同じ東播地区の加古川西高校と対戦します。
日時:3月29日(日)10時試合開始
場所:淡路佐野球場

今チームは、昨年から活躍しているメンバーが中核を担っています。彼らの守備力、投手力、打力、そして結束力、そのすべてにおいて成長した姿が見られる事、楽しみにしています。

対戦する加古川西高校は、毎年上位まで勝ち上がる実力のあるチームです。
試合運びが堅実なチームなのだろうと思います。
厳しい試合が予想されますが、勝利への執着が強い方に、勝利の女神は微笑むものだと思います。
松陽ナインには、試合の最後の最後まで、結束力と集中力、そして勝利への執着力を持続し続けて、必ずや勝利してくれる事を期待して止みません。

三寒四温

ようやく暖かくなってきたなと思うと、寒さがぶり返す。体には堪えますが、でもこうして春は近づいてくるのですね。

昨日は啓蟄でした。風は少し冷たかったけれど日差しは暖かでした。
そんな日中、次男の運転で姫路城西隣にある好古園に出かけました。

好古園では梅花展が開催中でした。
鉢植えの見事な枝振りの梅の木に、小さな花が沢山咲いていました。
滝が流れる水音で外界の騒音が遮断された庭園内には、うっすらと甘酸っぱい梅の花の香りが漂っていました。
久し振りの外出となった母は、次男の介添えで庭園内を回り、風景を気持ちよさそうに眺めていました。
昼食に、播磨の国の春魚である穴子の丼を頂きました。庭園を眺めながらの食事、贅沢な一時でした。

2015年3月4日水曜日

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)とスマートフォンが、私たちにもたらしたもの

国内で、また凄惨な事件が起こりました。
十代から二十代そこそこの、ほとんどが未成年の遊び仲間の内側で、弱い者が、さらに弱い者を、いたぶり、殴り、晒し者にし、そして殺す、という事件が起こりました。
この事件においても、スマートフォンとLINEというSNSアプリが、事態を悪化させた様に思います。

LINEを使うと、簡単にグループの参加者だけの秘め事が可能になります。
そのグループの中で、どんなことが進行していようと、参加者の誰かが外に漏らさない限り、部外者にはわからない。
でも参加者が、加入するグループは一つとは限りません。ですから、あるグループ内の秘め事が、もしかしたら様々なグループに拡散している可能性だってあるのです。

ですから、LINE自体をマスタグループとするならば、LINEの秘め事は、部外者にはわからない。
でも、LINEを使う見ず知らずの者には、秘め事が簡単に洩れ伝わってしまう。

言い換えれば、
本当に知らなければならない人に伝わらず、
でも、得体の知らない誰かには、知らぬ間に知られてしまう
という事が起こるのです。

LINEは絆のツールと云われます。
絆とは本来、血の通った、温かいものであるはずです。
でも現在のLINEが絡む事件を見ると、それは絆ではなく冷酷な鎖です。LINEやスマホが、弱き人を奴隷部屋に繋ぎ止める鎖に見えてしまいます。

今回の事件では、LINEなどに呟かれた様々なSOSが、グループの外、大人達(学校の先生や、親、また警察など)には届かなかった。
外に漏らさない事が、LINEを利用する子供たちの掟になっていないかを危惧します。

さらに今回の事件では、個人を特定する情報や個人の大切な情報という保護しなればならない情報、決して表に出せない写真、出してはならない写真、もしかしたら存在してはならない写真などが、身勝手にLINEやTwitterで拡散されました。
こんな行為は、不幸の拡散でしかなく、悪辣でしかありません。

こんなにも幼稚で悪辣な行為が、いとも簡単に行えてしまうのが、SNSとスマートフォンの恐ろしさです。

科学技術は、これからもさらにめざましい進歩を遂げる事でしょう。それは商品化されて、良い面だけがどんどんと強調されて、私たちの生活をあっという間に一変させることでしょう。しかし、どんなものにも表裏がある。便利さ、面白さ、豊かさという好意の裏側には、もしかしたら途方もない悪意が隠れているかもしれない。
進歩の推進者は、いつも好意の面だけを取り上げて、悪意には目をつむる。自分たちは、まるで知らなかったとでも云うように、それは下々の問題と切り捨てるように、悪意に対する警告も、それを防ぐ手立ても、講じる事をしません。

悪いのは、悪意に染まった人間だけなのでしょうか?
私は、決してそうは思いません。
本来、弾じられるべきは、進歩の推進と同時に、悪意への手立てを講ずる事をしなかった推進派や商品化で巨額な収益を目論む企業、そしてなし崩し的に容認してきた大人であると思います。

自分たちが制御できないものは、使わない
原子力然り、スマートフォンやSNS然りです。

チャンスは掴むもの

「チャンスは掴むもの」という言葉があります。
先日、息子との何気ない会話の後、この言葉を思い出しました。

学校を卒業し、仕事が始まるまでの数週間を、友だちと寸暇を惜しんで遊びたい。
今しか思いっきり遊べないと、友だちに誘いをかけたり、誘いをまったり、
手持ち無沙汰な時は、何だかイライラしています。

友だちを待って時間を潰すより、もっと主体的に何かをしては?
今まで読まなかった本とか読んでみては?と勧めても、今はいい(しない)と答える始末。

息子は、これまで一つの事を(野球です)、真面目に一生懸命に取り組んできました。その過程で、しっかりとした心と強い体を育んできました。友だちも沢山できました。それらは、息子のこれからの歩みの強い支えとなってくれます。
でも、物足りない。それは、あまりにも自分の関心の無い事に無関心である事です。関心の幅を広げようとしない。それで
もっと様々な事に関心を示しては?と話しても、今はいいと答える始末。

でも、それでは駄目なんだと思います。
チャンス、という言葉があります。
チャンスはよく、「チャンスはどこにでも転がっている」とか、「宝くじ購入で10億円のチャンス!」というふうに使われますが・・・この用法は間違いだと思います。
チャンスは、誰にでも転がっているわけではなく、運試しではないのです。
チャンスとは、回りの自分への期待の高まり、もしくは自分を引き上げてくれる者(指導者であったり、上司であったり)の期待のまなざし、だと思います。

例えば、これから始まるプロ野球において
しっかりと準備をしてきたルーキーが、徐々に結果を積み上げて、
まさに大舞台で、勝利に大いに貢献できる場面でバッターボックスに向かう時
球場を埋め尽くすファンは、ルーキーのこれまでの活躍を踏まえて、勝利の一打を放つ事を期待します。それは大きな高まりとなって球場を埋め尽くします。
そこでルーキーが期待される一打を放てば、ファンの心をわしづかみにし、本物の大打者への一歩を踏み出すことができるのです。
しかし、もしルーキーが凡打に終われば、彼への期待はしぼみます。それが繰り返されれば、彼への期待は失われ、もはや二度と期待される事はありません。

ですからチャンスは、掴むものなんだ!と思います。

チャンスは、自分に向けられるものです。あたえられるものです。
ですから、常に沢山のチャンスに恵まれるように、準備をしなくてはならない。
様々な事に関心を持ち、知る努力、学ぶ努力、そして身に着ける努力をしなくてはならない。

そしてもう一つは、チャンスを逃してはならないです。
いくら他者が自分に期待をしても、それに気が付かなければ、元も子もないのです。
チャンスを、好機を一度逃せば、次巡ってくるのは至難なのです。

チャンスは
与えられる努力をしなければならない
到来を逃してはならない
そして
掴み取らなければならない

息子にも、そして息子の友だちにも、そうであって欲しいし、またそのために、いつまでも切磋琢磨して欲しいと思います。

2015年2月26日木曜日

Dreams come true

昨日、松陽高校の卒業式がありました。

山口校長が、祝辞の中で
「愚公、山を移す」という故事を、卒業生に贈って下さいました。

「愚公、山を移す」、故事ことわざ辞典を引くと、次の様に書かれています。
中国の愚公という名の90才にもなる老人が、家の前にある二つの大山を他へ動かそうと、土を運び始めた。人々はその愚かさを嘲笑したが、愚公は子孫がその行いを引き継げば山を移動させるだろうと、一向に怯まなかった。
その志に感じ入り、天帝(神様)が山を移動させ平らにしたという故事で、
どんなに困難な事でも辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず成し遂げることができるという喩え

「どんな困難な事」という言葉を、「夢」という一語に置き換えれば
辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず「夢」は叶う
Dreams come true
という事なのでしょうね

この言葉、息子達卒業生が末永く大切にしてくれることを願います。


p.s.
午後用事があって、式が終わるとバタバタと学校を後にしました。
挨拶ができずしまいでした。
先生、また共に息子達を応援してきた父母の皆さんに、有り難うございましたと感謝の言葉を贈ります。
そして、最後の一年を振り返ったビデオを公開させて頂きます。
ラストシーンは以前配布したものから私的な写真に差し替えしています。私の家族への感謝の気持ちを込めました。
この一枚の写真を、息子達や父母の皆様のそれぞれの家族の大切な風景写真に置き換えて観て頂ければと思います。