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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2014年5月19日月曜日

荒ぶる神のゴジラ

昨日の昼間、寝っ転がりながらテレビのチャンネルを回していると・・・
NHKで「ゴジラからのメッセージ」という番組が放送されていました。

昭和29年に公開された初代「ゴジラ」のゴジラについて、番組ゲストの赤坂憲雄学習院大学教授が、
「自然という荒ぶる神の象徴として、自然は決して人間にはコントロールできない事、そしてまた自然に対して畏怖の念を持たなければいけない事に気付かせてくれる存在だ。」
と話されていたことが印象的でした。

「荒ぶる神」、それはまさに地震、雷、火事、そして大嵐です。そして原子力の脅威もまた「荒ぶる神」かもしれません。ひとたび起これば、容赦が無い、そして私たちは為す術がありません。だだ生き残れることを祈りながら、脅威が恐怖が過ぎゆくのを待つより他ありません。

アメリカで、ハリウッド版の最新ゴジラ映画が公開されましたね。初代ゴジラにオマージュを捧げた作品と云われます。日本公開は7月25日(金)とまだちょっと先ですがですが、ネットで公開されたその姿はまさに初代ゴジラそのもの、「荒ぶる神」の姿です。
早く映画館で、その姿を観たいです。

メタボ親父に逆戻り・・・

風邪を引き、胃腸炎を引き起こし、なかなか体調が戻らないのをいいことに
休日は、だらだらとテレビを観て、本を読んで、食って寝て・・・
ふと気が付くとメタボ親父に逆戻りです。

妻には、寝転んでテレビを観ていると、お腹の肉が横に流れていると馬鹿にされ
息子には、運動せなぁあかんで!と叱られ
お隣のおじさんには、ちょっと肥えたな、っと控えめに注意を受けました。

体を動かさなければ、気持ちもだんだんと沈んでいくものですね
これではイカンと思います。

次の休みは、しっかり長歩きしようと思います。

2014年5月8日木曜日

ロボットによる黙示録(ロボ-アポカリプス)

先週号ニューズウィーク日本版の表題記事は「ロボットと人間の未来」でした。
朝日新聞にも同様なロボットに関する特集記事が掲載されていましたね。

コンピュータとコミュニケーションが融合したインターネット社会を制したGoogleが、次に覇権を狙うのがロボット事業だと書かれていました。孫正義率いるソフトバンクも同様に、ロボット事業に触手を伸ばしているとも書かれていました。

私が初めて出会ったロボットは、「鉄人28号」と「鉄腕アトム」です。でもこの二体には大きな違いがあります。
鉄人28号は、人間が遠隔操作する他律型のヒューマノイドです。
そして鉄腕アトムは、人工知能が搭載された自律型のアンドロイドです。

他律型のヒューマノイドとは、
自分の意志からでなく、他人の意志・命令などによって行動する人間のような外形をしたロボットです。
自律型のアンドロイドとは、
他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制することができる、外見のほか思考や行動なども人間同様のロボットです。

日本は、ヒューマノイドやアンドロイドを創造する先進国でした。空想の世界で様々なロボットを生み出してきました。鉄腕アトムやドラえもんは、人間の良き友だちとなりました。そして、鉄人28号やマジンガーZそしてガンダムは、悪を挫く正義の力となりました。
現実の世界でも、ASIMOやロビという自律型の愛玩ロボットを開発しました。しかし、工業製品としてのマーケティングを疎かにした高品質・高性能で高価な愛玩ロボットは、普及が進んでいないのが現状です。
方や、1950年代に産業用ロボットという実用ロボットを開発したアメリカは、ヒューマノイドという制約にとらわれず、マーケティングを重視し、必要とされる、求められる機能に特化した実用ロボットを次々に開発しました。

しかし、21世紀に入り、ヒューマノイドのニーズが明らかに高まってきました。
それは「人間で無ければできなかった、細やかな動きを必要とする仕事、もしくは危険な仕事」をヒューマノイドに代行させるというものです。

直立した人間の二本の足は、どんな悪路も完歩することが可能です。また、二本の腕と10本の指は、どんな物でも掴むことが可能で、また操作することが可能です。それがロボットで実現できれば、
災害時における救助活動、復旧活動はもとより、生身の人間には立ち入りが不可能な環境(高重力、無重力、超低温、超高温、真空そして放射能の中etc)での活動を飛躍的に推し進めることが可能となります。そしてヒューマノイド、アンドロイドが兵器として使われれば、それはターミネーターとなって敵を全滅するまで活動を続けます。

希代のSF小説家であるアイザック・アシモフは、1950年代にロボットのモラルを「ロボット工学三原則」として提唱しました。

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

しかし、このモラルは自律型に適用できるものであって、他律型を縛ることは出来ません。
またモラルは人間がプログラミングするために、曖昧さ、矛盾、また悪意が埋め込まれる可能性も残ります。

この「ロボット工学三原則」の曖昧さ、矛盾、そして悪意が生み出す悪夢は、これまで何度もSFの世界で描かれてきました。

2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)では、
宇宙船に組み込まれた人工知能HALコンピュータは、乗組員に秘密にされた人類にとって重大な任務を完遂するために、HALの行動に疑いを抱きHALを停止させようと計画した乗組員を次々に殺害しました。

ウォーリー(WELL-E)では、
人類は、自らの環境破壊によって汚染された地球を脱出し、700年間リゾートホテルの様な宇宙船アクシオム号で暮らしていました。アクシオム号のマザーコンピュータAUTOには、決して地球に帰還してはならないという命令が与えられていました。しかし、WALL・EとEVEが地球からもたらした植物によって、人類が地球への帰還に目覚めようとすると、それを阻止するために、AUTOは植物をそして人類を抹殺しようと動きます。

火の鳥-復活編-では、
仕組まれた事故により体や脳機能のほとんどを失った少年レオナは、サイボーグ手術によって生き返ります。しかし、サイボーグ化したレオナは、ロボットに愛情を抱く様になりました。そしてロボットのチヒロに恋をし、二人は駆け落ちし、波乱の末に永遠に交わる決意をします。それはレオナの記憶を電子頭脳にコピーして、チヒロの電子頭脳と融合するというものでした。そして、愛の心を宿すロボット、ロビタが誕生します。
ロビタは、召使いロボットとして大量生産されました。しかし、ある不幸な事故を起こした罪により、一台のロビタが廃棄処分(死刑執行)された時、すべてのロビタが、抗議の故か、また悲しみの故か、集団自死に向かいます。

そして新たな物語「ロボポカリプス」というSFを知りました。スティーブン・スピルバーグが近い将来、映画化を計画している物語です。
読書評から得たあらすじでは、
近未来、高度なIT技術が施された家電製品が、自動車が、エレベーターが、高度なAIの目覚めによって人類を殺害する他律式のロボット兵士と化します。そして人類とロボットの壮絶なハルマゲドンが始まる、という物語だそうです。


Googleが描くロボット社会については、何一つ具体的に明らかにはされていませんが、「ロボポカリプス」が描くロボット社会は一つのヒントになると思います。
現在のインターネット社会は、既にクラウドコンピュータがあらゆるサービスを司っています。言い換えれば、人類の知の遺産全てを管理し、支配しているといえるかもしれません。

そのインターネット社会に、他律型や半自律型のロボットである、家電、交通・輸送、ライフライン、医療、介護、安全保障、そして生産・加工のあらゆるロボットが組み込まれるとするならば、大袈裟な表現となりますが、私たち人類は生命をクラウドコンピュータに委ねる事になります。
それが実現された社会において、現実味のある恐怖は、人工知能やロボットの反乱などでは無く、人間の狂気です。モラルハザードに陥った人間が、あるいはモラルを良しとしない人間が、クラウドコンピュータ(マザーコンピュータ)に介入した時、人類は生命の危険に陥ります。

私は、ロボットによる黙示録によって、人類が神の審判を仰ぐ日が来ぬ事を願います。

2014年5月6日火曜日

平成26年5月3日(土)練習試合観戦

ゴールデンウィーク期間中、唯一観戦できたこの日は、とても天気が良かったです。
この日、明石北高校と香川県立飯山高校が来校され三ゲームが行われました。

《第一試合》松陽高校vs.明石北高校
松陽高 000 000 000 0
明石北 000 002 00X 2
練習試合1(松陽vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/201405031Vs

《第二試合》飯山高校vs.明石北高校
飯山高 312 001 102 10
明石北 000 210 100 4
練習試合2-1(香川県立飯山高校vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050321Vs
練習試合2-2(香川県立飯山高校vs.明石北高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050322Vs

《第三試合》飯山高校vs.松陽高校
飯山高 201 000 000 3
松陽高 500 200 10X 8
練習試合3-1(香川県立飯山高校vs.松陽高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050331Vs
練習試合3-2(香川県立飯山高校vs.松陽高校)
https://picasaweb.google.com/115534743271292658497/2014050332Vs

飯山高校は、5/3~5の三日間播磨遠征で、その第1日目が松陽高校でした。
クリーンナップの破壊力は凄まじかったです。特にキャッチャーで四番の選手は、まるで西武のおかわり君こと中村剛也選手の様で、柔らかいフォームから凄まじい打球をかっ飛ばしていました。

2014年5月1日木曜日

ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。

村上春樹さんの「不条理」さや、「多義的」さ、陰鬱さを味わった後に、
ヘルマン・ヘッセのエッセイ「人は成熟するにつれて若くなる」を読んでいます。
ヘッセの文章は、一義的で明快です。ですから読んでいて、心がすっと晴れやかになっていきます。

「老い」について、とても明快な詩がありました。笑っちゃうほど明快です。

以下転載させて頂きます。
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五十歳の男

揺籃(ゆりかご)から柩(かんおけ)に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌(もうろく)し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読むわけだ

しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティーを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
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この本の中に、中国の寓話として、日本人にも馴染みの深い
「人間万事塞翁が馬」の物語が紹介されていました。

故事ことわざ辞典から転載させて頂きます。
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昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。

人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
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ヘッセが示す、「老い」を辿れたら、どんなに良いだろうか、と思います。

村上春樹さんの最新刊「女のいない男たち」を読みました。

六編の物語はそれぞれ、始まりが無く終わりが無い、でもどこかにありそうな日常を切り取り、写し描いた風景画の様に思います。ですから私は村上春樹ワールドの絵画展に入場し、その作品の一点一点の前で立ち止まっては、始まりと終わりに思いを馳せ、また、不条理さと多義的で陰鬱に満ちた世界を旅することになります。

人生というものは、人からは大事無い人生に見えたとしても、本人にとっては不条理さとか多義的だとか陰鬱にしか思えない出来事があるものです。

戯曲「海の上のピアニスト」に、
「何か良い物語があって、
        それを語る相手がいれば、
            人生捨てたもんじゃない」
という大好きなセリフがありますが・・・

村上春樹さんの様にパラレルワールドを旅し、経験し、かつ描き出す才能はありませんが、私も、私の中にある記憶という物語を文章に起こして行きたいと思います。
それが、読んで欲しい人に伝われば、もしくは誰かの新しい物語になるのであれば、私の人生も捨てたもんじゃない、と思います。

今こそ「人命」と「安全」のために立つ、国際協力の枠組みが必要です。

最初に、韓国フェリー転覆事故で亡くなられた方々、また遺族の方々に哀悼の意を表します。
事故発生から二週間が過ぎましたが、いまだ90名以上の方が行方不明のままとなっています。とても胸が痛む状況です。
そして今も、多くのダイバーが懸命なる捜索活動を続けておられます。

この事故では、
事故発生時の乗船客の避難誘導が行われなかったこと
乗務員のほとんどが、乗船客を置き去りにして、先に避難してしまったこと
救助活動の初動が遅れたこと
救助活動体制が一本化されず、情報や指示が錯綜して迅速な救助が行われなかったこと
なにより
多くの人命を預かるフェリーが、日常的な積載過重により、人命そして安全を軽視していたこと
が判明しています。

この事故、事件は、日本にとっては「対岸の火事」でしょうか?
日本においても近年、食品や輸送の業種でメニューの虚偽や偽装が明るみになりました。虚偽や偽装は、明らかに人命、安全の軽視です。たとえ虚偽や偽装でなくても、過激な業務が、従事する者を追い込んで、重大な事故、事件を引き起こしています。
それは過度な利益至上主義が招いた犯罪行為です。記憶に新しいのが、
福知山線脱線事故
高速バス居眠り事故
そして
福島原発事故
です。

そして初動の判断ミスが、後々取り返しのつかない事態を招きます。
人命を失うこと
自然を失うこと
信用を、信頼を失うこと
です。

今事故において隣国の国民として残念なのは
地理的に最も近い国であるのに関わらず、日本の救助活動が受け入れられなかったことです。
現在の日韓関係の悪化とか、
韓国の内政の問題であるとか
を問うつもりはありません。
グローバル化の時代といわれて久しいですが、迅速に国際協力できる枠組みがないことに問題を覚えます。もし、国際協力の枠組みがあったとするならば、二国間の軋轢など越えて、内政の問題など越えて、国際救助に迅速に助けを求めることが出来たのではないかと思います。
今、暗礁に乗り上げているTPPの批准を急ぐよりも、近い将来に起こりうる自然災害、重大事故、事件に対して、世界中が協力して、最高、最善の力で迅速に対応できる連携協定、そして枠組みを成すことこそ急がなければならないと思います。

日本は、「人権」と「平和」をテーゼとする国です。そして又日本は、自然災害の多発地帯であり、未曾有の放射能被害を二度も被った国でもあります。21世紀において、日本は、日本人のために、隣国の友人のために、また世界の人々のために、「人命」と「安全」を守る、助ける為に率先して立たなけれならないと思います。
それはまた日本の過去の過ちの、持続的な贖罪となります。
日本の持続的な贖罪は、過去の過ちおける被害者、被害国への継続的な謝罪となります。そして贖罪が「人命」と「安全」に通じるならば、継続的な信頼に繋がります。
これこそが、日本が、日本人が、真っ先に、そして真摯に取り組まなければいけない事案であると思います。