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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2015年5月22日金曜日

まるで天国かとみまがうほどにのどかな場所

昨日、昼から播磨中央公園にバラを見に行こうと車で家を出たのですが、どこでどう間違ったか稲美町に向かって走っていました。
どこかで北に折れようと左ばかり見ていましたら、大きく立派な土手が見えてきました。この辺に河川はないなぁと見てみると「加古大池」と書かれています。土手に入る道がありましたので、入ってみました。すると・・・

土手の内側には、別世界が広がっていました。
大きな池が幾つも連なっていて、その合間を縫うように小道が続いていました。真ん中付近に管理棟が見えました。そこで車を止めて周りを見回すと、外界の風景や騒音は土手と広い水面によって遮られていました。
水面を縫うようにして続く小道は両側に岸辺が続き、光が天上だけでなく四方から包んできます。そして聞こえてくるのは水辺のせせらぎ、野鳥のさえずり、梢のざわめきだけです。
釣りを楽しむ人、ウィンドサーフィンを楽しむ人がいました。私同様に写真を撮っている人もいました。水生植物園ではスイレンが幽玄に咲き誇っていました。


悠悠とした風景に、すっかり魅了されました。
Field of Dreams、まるで天国かとみまがうほどにのどかな場所が、こんなに近くにありました。


管理棟に入ると、シャーロット・ケイト・フォックスさんのコンサート告知ポスターが目に止まりました。エリーさんの歌声が記憶の中から甦ります。

8月22日土曜日16時30分開演 稲美コスモホール


帰りは小野に回り道をして、美味しいケーキを食べました。
パティシエゲンタロウ
妻は新作のホワイトケーキを、私はチョコレートケーキを頂きました。
言葉で表すことができないほどに美味しかったです。



2015年5月18日月曜日

ノルン ポートレート -水の中-


この鳥の名前を教えて下さい

最近、窓の外からとても涼やかな鳥のさえずりが聴こえてきます。
眺めていますと、防災サイレンの柱のてっぺんで休む一羽の鳥を見つけました。

インターネットでアクセスできる鳥類図鑑で調べたところ、アカハラという名の野鳥に似ている様に思うのですが、特定することができません。
どなたか教えて頂けないでしょうか?
宜しくお願い致します。

《鳥類図鑑》

サントリーの愛鳥活動-日本の鳥百科-
http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/


デジタル図鑑-野鳥図鑑-
http://www.digital-dictionary.net/wildbird/wildbird.html



2015年5月17日日曜日

慈雨

夕方、妻が「美味しいコーヒー飲みにいかへんか?」と誘ってくれたので、車で出かけました。何でも女子会?(井戸端会議か!)で一度訪れた店だと言います。
「開いてないかも・・・」と何ともおぼつかないナビゲーターの指示を受けながら、明姫幹線を東に走り、43号線との交差点(古新西)を左折して北へ走ります。2号線との交差点(平津)を越えて側道に入り、一つ目の角を右に折れ、そして100メートルほど走ったところに、目的の店がありました。

でも、妻が「ここ!」と言わなければ通り過ぎてしまうほど、余りに素っ気ない古民家でありました。入り口に小さな登りが一本立っていて『コーヒーの店 慈雨』と書かれています。
妻が先に車を降りて、玄関を入り開店していることを確認し、そして店に入りました。
店内は、外観とは打って変わって、とても個性的なインテリアが迎えてくれました。
何気なく置かれている素朴な調度品は、それぞれ良い味を出して店内に馴染んでいました。
そして、控えめな電球の灯りとジャズの音楽は、店内に安心感を漂わせていました。
奧の小部屋には、焙煎機と大きな麻袋、そしてチェロが置かれていました。
店はご夫婦でしょうか?お二人で切り盛りされていました。
奥さんがクリスタルグラスに水を入れてオーダーを取りに来ました。
妻はブレンドコーヒーを、私はスッキリとした口当たりの(名前忘れた!)コーヒーを頂きました。

家に帰ってから、インターネットで検索してみると、食べログに加古川で人気の古民家カフェと紹介されていました。また、妻とふらり立ち寄りたいと思います。

ノルン ポートレート -晴れの日-


2015年5月16日土曜日

ノルン ポートレート -雨の日-


ヒロシマというとき

昨日(5月15日)の朝日新聞天声人語に、広島で被爆した詩人、故栗原貞子さんの詩文『ヒロシマというとき』の一節が引用されていました。

広島大学のホームページに全文が掲載されていました。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html
全文を掲載させて頂きます。

『ヒロシマというとき』

〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉というば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない

そして、天声人語の本文も掲載させて頂きます。
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スウェーデンの首相だった故パルメ氏について、小欄でかつて触れた。
若さと雄弁で〈スウェーデンのケネディ〉といわれた人だ。
1981年に広島を訪れる。原爆資料館に入ると次第に無口になったという。
展示に衝撃を受けて、ひとつの言葉を残した。
「どの国の政府であれ、責任ある地位に就く者には、すべて広島を訪れることを義務づけるべきだ」。核戦争には敗者しかいないとも語っていた。
反核平和のリーダーで知られたその人は、何を思うだろう。国連本部で先日、核軍縮を扱う最終文書の素案から、世界の指導者らに被爆地を訪ねるよう日本が提案した部分が削除された。中国の求めによる。
「日本政府が第2次大戦の加害者でなく被害者として日本を描こうとしていることに同意できない」と言う。しかし、加害の立場から目をそらさずに、「悲劇は自分たちを最後に」と訴えてきたのが被爆地だった。被爆した詩人、故栗原貞子さんの一節を引く
「 ・・・上の詩文〈ヒロシマというとき〉を参照願います・・・ 」
やさしいこたえが返って来るためには、私たちは汚れた手を清めなければならないと詩は続く。
被爆地に限らず多くの人が共有する思いであろう。パルメ氏の言葉も、加害と被害を超えた人道の深みに根ざすものだ。核廃絶の願いまで歴史認識につなげるのは筋が違う。提案を復活させてほしい。
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ヒロシマは、「日本の広島」ではなく、「人類の戦争史において初めて意図的に原爆が投下された被爆地」として世界中の人々に記憶し続けられなければいけないと思います。
そして、世界中の人々、特に責任ある立場に就く人々が、原爆が招く惨劇の記録を学び、そして原爆を使用しないという誓いを立てる聖地となればと思います。

国際的な核軍縮会議の席で、日本を貶めようとするだけの中国の身勝手で場違いな行動に怒りを感じると共に、日本の誠実さに国際社会が疑念を抱いているのではないかという不安も覚えます。
日本は、故パルメ氏の『世界の指導者は被爆地を訪ねるべき』という反核平和への遺志が、正しく成就される様に、殊勝になって国際社会に働きかけ続けなければいけないと思います。
と同時に、私たち日本人の誠実さが紛れもないこと、一人の被爆者の思い『ヒロシマというとき』を共有し、悔恨の情をいつまでも忘れず、そして国際社会の安定と平和の構築、そして維持に力を尽くすこと、言葉でも行動でも示し続けなければならないと思います。