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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2014年3月13日木曜日

戯曲”Novecento. Un monologo”(邦題「海の上のピアニスト」)を読みました。

「何か良い物語があって、それを語る相手がいれば、人生捨てたもんじゃない…」

この素敵な文句がいきづく映画「海の上のピアニスト」に、最近すっかりはまっていますが、この映画の原作本を買い求め読みました。

イタリアの作家アレッサンドロ・バリッコさんが1994年に書かれた戯曲”Novecento. Un monologo”(邦題「海の上のピアニスト」、邦訳 草皆伸子さん)です。
イタリア語”Novecento”は、数字の900を意味するそうですが、もう一つ俗に「20世紀」という意味で使われる単語である様です。

戯曲「独白、ノヴェチェント」の前書きで、アレッサンドロ・バリッコさんは次の様に書かれています。
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わたしはこの作品を、俳優エウジェニオ・アッレグリと演出家ガブリエレ・ヴァチスのために書いた。かれらはこれを今年の七月、アスティ・フェスティヴァルで初演してくれた。それだけで、はたして「わたしは戯曲を書いた」という資格があるのかどうか。こうして本に出版されてみると、この作品は芝居と声に出して読むべき物語のちょうど中間にあるような気がする。蛇足ながら、このような作品がぴったりと収まるカテゴリーは存在しないと思う。いずれにせよ、わたしにはいい話に思えるのだ。語るだけの価値がある話に。そのうえ、この話が誰かに読んでもらえるとすれば、これに優る喜びはない。
1994年9月 A・B
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この物語は、本当に良い話です、そして語る価値のある話だと思います。
戯曲は、一人のトランペット吹きの独白で進みます。
映画を観ていて、特に気に入ったセリフや時に意味不明に思えるセリフがありましたが、すべては戯曲に書かれたセリフでありました。また映画で、三等乗客の談話室でピアノを弾くノヴェチェント(映画では1900)の演奏に、室内に漂う臭いニオイに鼻を押さえながらも聴き惚れる紳士の姿がありましたが、その紳士の素性も戯曲に書かれていました。

謎のレコードや、無垢な少女とのエピソードは、映画化される時に、新しく加えられたことを知りました。でもその脚色によって、映画のストーリーは、より奥深さと切なさが増しのだと思います。

船の上のピアニスト、ノヴェチェント(映画では、ナインティーン・ハンドレッド)は、はたして人間であったのでしょうか?私には、船の精霊、もしくはピアノに宿る精霊であった様に思います。ユーモラスでありながらも、とても神秘感の漂うノヴェチェント、あなたも是非、映画で、そして戯曲でノヴェチェントに会いに行かれては如何でしょうか。

2014年3月7日金曜日

平成26年兵庫県高校野球春季播淡地区トーナメントが発表されました。

いやぁ~勘弁してくれ~って言いたくなるほど寒いですね~
3月に入って再び強烈な寒波です。風邪気味の体にはホント堪えます
(T_T)

でも季節は確実に球春へ近づいてもいます。
今年、平成26年の兵庫県高校野球春季大会の播淡地区トーナメントが発表されました。
松陽高校は、第一戦、昨年秋季の大会で敗れた洲本高校と対戦です。
「江戸の敵を長崎で討つ」ではないですが、松陽高校ナインには昨年淡路球場で持ち帰れなかった「勝利」の二文字を、是非地元高砂球場で高々と掲げてくれることを楽しみにしています。

 

朗読「海の上のピアニスト」、作りました。

今週の始めに連休があって、海に行こうか、山に行こうか、いろいろと長歩き(格好良く言うとトレッキングでしょうか・・・)の計画を立てていたのですが、先週末に風邪を引き、また足首を痛めて、あえなく家で寝て過ごす羽目になりました。

そして幾つかビデオで映画を観ました。その中でも「海の上のピアニスト」は何度も見、しまいに映画を紹介する朗読ビデオでも作ろっと、と思い立ち、そして作りました。
風邪でかすれた鼻声ではありますし、エイヤァってな調子の作りではありますが、この物語は素晴らしいのだ!という熱意はお伝えできるかと思います。
へへ、どうぞお聞き下さいって、感想を頂ければと思います。
m(__)m


映画ですが、1カ所、日本語の単語が出てきます。「音楽」という単語です。1900の育ての親ダニーの葬儀の場で、1900は初めて音楽に接します。音に不思議がる1900に、アジア系の女性がそっと「音楽よ」と囁くのです。音楽、という言葉の響きがとても良いのです。



-朗読物語 海の上のピアニスト-

何か良い物語があって、
        それを語る相手がいれば、
            人生捨てたもんじゃない…

一人の薄汚れたトランペット吹きが、唯一の財産であるトランペットをお金に換えるために楽器店に来ました。
トランペット吹きは、20ドルで売り払ったトランペットを、最後に一度だけ吹かせてくれる様店主に頼み、題名のない、でもとてもロマンチックな曲を演奏しました。
その曲を聴いた店主は、やおら一枚のレコードを取り出して蓄音機に掛けました。スピーカーから美しいピアノの旋律が流れてきました。それはトランペット吹きが演奏した曲と同じ曲でした。

店主がトランペット吹きに尋ねます。
「君はこの曲を知っているのか?誰が作ったのだ?そしてこの見事なピアノ演奏をしているのは誰かね?」
トランペット吹きが、そのレコードはどこで手に入れたのか?と尋ねると、
店主は
「明日、海に沈められる船から払い下げられたピアノを買った。そのピアノの中に隠されていたのだ。割れていたが、貼り付け修復したのだ。」と話します。
店主が指さした先にはとても懐かしいピアノがありました。
トランペット吹きは、彼しか知らない秘密の物語、彼の中で伝説となったあるピアニストの物語を語り始めました。

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1900年、ヨーロッパからの移民を乗せた豪華客船ヴィクトリア号がニューヨークに着きました。
乗客が降りた船内、一等乗客用の社交室にあるピアノの上に、一人の赤ん坊が置き去りされているのを船員が見つけました。
赤ん坊を見つけた船員は、移民局に届けず、赤ん坊を船の中で育てる事にしました。
そして船員は、1900年に生まれた赤ん坊だからと、NINETEEN-HUNDRED(以下、1900)と名付けます。

1900には記録が何一つありません。国籍も戸籍も誕生日さえありません。
ですが船の中で、船員達に愛されて1900はすくすく成長しました。

1900は、8才になったある日、進入を固く禁じられた場所に入りました。
そこは貴族やお金持ちが着飾り過ごす一等乗客用のキャビンです。
そして1900は、社交室で華麗にピアノ演奏するピアニストに釘付けとなりました。
その日から1900は夜な夜な社交室に忍び込んではピアノを演奏する様になりました。
それは見事な演奏で、いつしかキャビンの噂となり船長の耳にも届きました。
船長は1900の演奏を見て、船の専属ピアニストにすることを決めました。

そして数年が経ちました。
1900は青年に成長して「海の上のピアニスト」となりました。
その頃です、ひとりの若きトランペット吹きがバンドマンとして船に乗り込んできました。
トランペット吹きはマックスと名乗ります。
ジャズ演奏がとても上手でした。
ですから、バントの演奏中にも関わらず突然に指揮者を無視して即興演奏にふけってしまう1900とはすぐに打ち解け、とても良い友だちとなりました。
1900はどんなジャンルの曲でもピアノで演奏できました。
それだけでなく乗客のひとり一人の人生を見透かして曲にして奏でることも出来ました。


そんなある日、当代一のジャズピアニストが、1900に即興演奏の対決を挑んできました。
そして船上で世紀の対決が始まります。
先に演奏したのは当代一のジャズピアニストです。
ジャズピアニストは見事な演奏で観衆を魅了しました。
そして演奏が終わると、1900を挑発しました。
でも1900には人と争うという気性がありません。彼にとって演奏とは、美しい曲を奏でるすべでしか無かったからです。
ですが、マックスが1900の勝ちに全財産をつぎ込んでいたこと、またジャズピアニストの見事な演奏に刺激され、ジャズピアニストを上回る神がかりな演奏を披露して、世紀の対決を制しました。

1900の名声は、今や船外にも鳴り響く様になりました。
でも1900は船の外に全く興味がありません。
しかし、ある航海で出会った乗客から「海の声」の話を聞き、船上では聞くことが出来ない、陸の上でしか聞くことが出来ない「海の声」にとても興味を抱きます。
その乗客は、昔農夫でした。
ですが、ある年の干ばつで農地は廃れ、妻と四人の娘も病気で失いました。
農夫は生き残った末の娘を残し失意の旅にでました。
その失意の旅の途中で初めて海を見ました。
それは稲妻に打たれるほどの衝撃でした。
海が怒号で叫んでくるのです。
大きな力強い声で、繰り返し繰り返し。
「人生は無限だ!分からんのか、愚か者!」
そして農夫は、人生を最初からやり直す、決心をしました。


1900は、船上でレコーディングすることになりました。
彼の音楽は金になるとレコード会社が乗り込んできたのです。
1900はピアノの前に座り、船窓から見えるデッキの風景を眺めていました。
ひとりの少女が窓に映ります。無垢な少女の仕草に、彼は生まれて初めて淡い恋心を覚えます。
そしてとてもロマンチックな曲を奏でました。
レコーディングは大成功で、一枚のレコードの原盤が出来上がりました。
でも1900はそのレコードの原盤を少女にプレゼントすることに決めました。
しかし、1900は少女に告白する愛の言葉を持ち合わせていませんでした。
そして少女にプレゼントを渡すことさえ叶いませんでした。
ですが、少女が船を下りる直前、短い会話をすることが出来ました。
そして少女が、かつて1900に「海の声」の話をした男の娘であることを知りました。

それから何度目かの航海の後、1900は船を下りることを決心しました。
少女を訪ね、そして二人一緒になって「海の声」を聞くつもりです。
マックスは、自分の大切なキャメルのコートを1900にプレゼントしました。
船の仲間全員が1900との別れを惜しみます。
そして遂に1900が船を下りる日が来ました。
ニューヨークの摩天楼に向かって1900はタラップを降りていきます。
しかし、タラップの中程で歩みを止めました。
そしてしばらく街を見つめると、再び船に戻ってしまいました。
そして二度と1900が船を下りることはありませんでした。

月日が流れ、マックスが引退して船を下りることになりました。
それからまたしばらくして戦争が始まり、船は軍の輸送船に徴用されることになりました。

戦争が終わりました。かつてビクトリア号と名乗っていた船は傷み、廃船となる事が決まりました。

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トランペット吹きは、店主に一つの物語を語り終えた後、明日沈められる船に向かいました。
今もきっと船の中に身を潜めて生きている友人を探し出し、船の外に連れ出そうと思ったのです。
そして船主に事情を話し、船に乗り込みました。
でも、何度呼びかけても、友人は姿を見せてはくれません。
トランペット吹きは、店主にレコードと蓄音機を借りて、船の中で友人がかつて演奏した曲を流しました。
それでも姿を見せてはくれませんでした。
諦めて船を去ろうと立ち上がった時、暗がりの中に人の気配を感じました。
彼でした。
彼は姿を現しました。
タキシード姿で、今も若きピアニストのままでした。
彼は言いました。
「僕は、船の外に出る事ができない。」
人生には限りがある。それはピアノの鍵盤と同じで、始まりがあり、終わりがあるということだ。
僕はピアノの88の鍵盤でなら、無限の曲を奏でること出来る。
そして船の中で与えられた人生に満足している。
でも、船の外は果てしが無い。
まるで無限の鍵盤の様で、僕には演奏ができない。
無数の人生に通じる道を僕は選ぶことが出来ないのだ。

そして彼は、船と共に逝くことをトランペット吹きに告げました。
二人は固く抱き合い、そして別れました。


トランペット吹きは、船が沈むのを見届けた後、再び楽器店を訪ねました。
そして、友人を救えなかった事を話しました。
最後に店主が尋ねます。
「君は、誰がピアノにレコードを隠したか知っているのかね?」
トランペット吹きが、自分だ、と応えると
「では君は、とても良いおこないをしたのだよ」と慰めました。

店主は店を出ようとするトランペット吹きを呼び止めます。
店主は、トランペット吹きが店に残したトランペットを抱え
「これは君の大切な品物だろう。美しい話を聞かせてくれたお礼だ。」と言って、トランペットを手渡します。
トランペット吹きは大きく一礼し、店を出、通りの向こうへ歩き去って行きました。
その後ろ姿を、店主はいつまでも見送っていました。

-おわり-

2014年2月26日水曜日

今日は、濁る天気の中で、待ち焦がれた春を見つけました。

午前中、観濤処を目指し東に歩きました。
日笠山に登りますと、大気が白く淀んでいるのがわかりました。大塩の海岸線は霞んで見えません。裏手に回って高砂の連山を仰いでみても、峰の輪郭がうっすらわかる程度です。昨日今日中国大陸から流れ込んだPM2.5汚染のすさまじさを実感します。
少し躊躇を覚えましたが、そのまま曽根に下り、霞む竜山目指して歩きました。

法華山谷川を渡りローソンで水分補給した後、採石場の方から竜山に登りました。

賀茂神社から登ってこられたと見受けられる年配の方数名と挨拶を交わしながら頂上を目差します。竜山の頂上から見える360度のパノラマは爽快です。大気の濁りを差し引いても、水辺が輝く町の風景はとても美しく思いました。そして峰を西に進み、観濤処と刻まれた巨石にたどり着きました。

帰り道、曽根天満宮に梅の開花の様子を見るために寄りました。二分咲き程度でしょうか、咲いていました。小さな可憐な花がぽちぽち咲いて、ほんのりと甘酸っぱい香りを放っていました。来週末辺りが見頃だろうと思います。

昼過ぎ、家の帰ってテレビをつけると、日本中がPM2.5の大気汚染に包まれていると報道していました。大阪などはまるで濃霧に包まれた様になって、光が届く高層ビルの輪郭が町であることを留めていました。とても酷い有様です。

PM2.5の汚染は、一国に収まらない公害です。日本は戦後の高度成長期に公害問題を経験し、長い時間を掛けて公害の撲滅に努めてきました。その知識、経験、能力を公害発生国中国に対して提供し、支援することはできると思います。しかし、公害撲滅は、「個人の生」の尊重、つまり人権尊重がその国の大義とならなければ、決して成らない事業です。そう考えると、人権と平和を尊重する日本とは、主義の真っ向異なる中国で起こる公害は、国威高揚でさらに酷くなることはあっても、良くなることは難しいと思います。中国で、人民の人権を最優先する指導者が現れるのを待つより他はなさそうです。

春霞、という風流は死語となりそうです・・・

2014年2月22日土曜日

HLA適合血小板献血者登録を行いました。

昨日、献血ルームにいきました。
問診、そして血液検査が終わった後、看護師さんから「HLA適合血小板献血者登録」の説明と依頼を受けまして、承諾し、登録しました。

以下、「HLA適合血小板献血者登録依頼」の要旨を抜粋します。
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HLA型(Human Leukocyte Antigen)とは
白血球と血小板に存在する抗原です。
HLA抗原は大きく分けるとA座、C座、B座とD領域(DR、DQ、DP)があって誰もが持っています。輸血にはA座、B座の適合が大切でその適合率は500人に1人と言われています。

なぜHLA登録が必要となるのか?
血液の病気で何回も輸血を受けると、体の中にHLA抗体が作られる場合があります。
HLA抗体ができると、普通の血小板輸血をしても効果が上がりません。
HLA抗体ができた患者さんには、本人のHLA型と適合したHLA適合血小板輸血が必要になります。

HLA適合血小板輸血を1人でも多くの患者さんに届けるためには、多くの献血者の皆さんに血小板(HLA)登録をして頂き、病院からの要請があった時に、HLA型の適合する登録者に連絡、献血をお願いし、要請のあった病院に届ける流れを確立する必要があるのです。
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たとえ登録しても、必ず要請に応えられるわけでは無いのです。ですから、1人でも多く趣旨に賛同し、多くの人が登録することが大切だと思います。
病気や事故は、いつ我が身を家族を大切な人を襲ってくるかわかりません。
ですから皆で、日頃から備える事が大切です。
それが、ともに支え合う、助け合う社会を作る一歩になると思います。

2014年2月21日金曜日

フィギュアスケート女子フリー

5時に起きて、フィギュアスケート女子フリーをビデオで観ました。
浅田真央選手のフリーの演技を固唾を呑んで観ました。
最初のトリプルアクセル、見事に決めました。その後も三回転の連続ジャンプ、三連続ジャンプ等、八つのジャンプをすべて見事に決めました。伸びやかにスピンをし、そして代名詞となる華麗なステップで観客を魅了しました。そして演技を終えた直後、感極まった表情を湛えて天を仰ぎます。観ていたこちらもグググと涙が溢れました。
演技終了後のインタビューで浅田選手は、「フリーの演技が決められて(応援して頂いた皆さんに)恩返しができた・・・」と語っていましたね。いえいえ恩返しどころか、私など感動で心を満たして頂きました。

そして、最終組の演技を堪能しました。
ロシアの新鋭15才のユリア・リプニツカヤ選手は映画「シンドラーのリスト」の薄幸の少女を演じました。映画の感動を思い起こしてくれる素晴らしい演技でありました。
そして、最高に魅了してくれたのがカロリーナ・コストナー選手です。ボレロに乗った大人の舞はとても魅惑的でした。
アメリカの新鋭グレイシー・ゴールド選手の演技は初めて見ましたが、とても美しい演技でありました。
そしてアシュリー・ワグナー選手は、浅田選手や金妍児選手と同い年、この8年間、フィギュア女子の世界を牽引してきた一人でもあります。笑顔を絶やさず溌剌とした演技にとても好感を持ちました。
そしてゴールドメダルに輝いたアデリナ・ソトニコワ選手、輝ける17才の演技には、瑞々しいまでの若さがありました。顔には笑顔を湛え、全身で観衆の声援に応えていました。彼女の演技中、アリーナは一体感に包まれていました。
最終滑走者の金妍児選手は氷上の女王の風格がありました。タンゴの曲に乗って、スローな舞も、激しい舞も事も無げに演じます。彼女だけは、もうアスリートではなくアクトレスなんだと実感しました。

浅田真央選手には、念願の金メダルを逃す結果となり、残念なオリンピックとなりました。常軌を逸した過度な応援や誹謗にさらされ、過度な期待という重圧を背負わせられました。それがショートプログラムで有り得ない落とし穴を生んだのだと思います。
でも一夜明け、世界中が浅田選手の復活を願い、彼女の最高の演技を待ち望む声で溢れました。そして彼女は、その期待に最大限の演技で応えてくれました。
戻せるなら、この空気をショートプログラムの前に作って上げたかったと思います。
それが一人のファンとして、とても残念に思います。


2014年2月20日木曜日

心の不審火に備えましょう

昨日の朝日新聞文化面に、「反知性主義」への警鐘、という記事がありました。
以下、記事の抜粋です。
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「反知性主義」の定義
実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したい様に世界を理解する態度。
新しい知性や他者との関係性を直視しながら自身と世界を見直していく作業を拒み、「自分に都合のよい物語」の中に閉じこもる姿勢。とりわけ問題となるのは、その物語を使う者がときに「他者への何らかの行動を強要する」。

その危険性は?
異なる意見を持つ他者との公共的対話を軽視し、独りよがりな「決断」を重視する姿勢がそこにあることだ。
自分が理解したい様に世界を理解する「反知性主義のプリズム」が働く。

アメリカ歴史学者ホーフスタッター著書『アメリカの反知性主義』が示す「反知性主義」の特徴
知性的な生き方およびそれを代表するとされる人々にたいする憤りと疑惑
代表的な事例は、1950年代アメリカ社会を揺るがしたマッカーシズム(赤狩り)

そして今なぜ反知性主義が強く現れてきたのか?
「大衆社会が進み、ポピュリズムが広がってきたためだろう。ポピュリズムの政治とは、大衆の『感情』を煽るものだからだ」
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最後の「大衆の感情を煽る」という言葉が、とても心に重く残りました。

私たちは、心に火がつく時、行動を起こします。
その火をつけるものが、内から湧き出る情熱であったり、愛情であったりしたとき、その火は、自分が進むべき進路を照らす明かりとなります。
しかし、私たちの心がカラカラに渇いていても、火はつきます。外から降り注ぐ火の粉や、また付け火によってです。そして火のついた心は、外からの煽りによって業火に変わり、我が身自身を焼き尽くします。

ですから、今、私たちひとり一人が、早急に取り組まなければいけないことは、心を潤いで満たすことです。自分を大切にし、他者も同様に大切にする、慈しみの心を養うことです。それが心の不審火に備える事だと思います。