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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2013年12月16日月曜日

話題の映画「ゼロ・グラビティ」を観ました。

話題の映画「ゼロ・グラビティ」を観ました。
この映画は、荒唐無稽ではない究極のサバイバルです。スペースシャトルで船外作業中の宇宙飛行士が、宇宙ゴミの衝突によって船も仲間も失うという絶望的な状況から、宇宙空間に残された救命ボートを頼って旅をし、地上に帰還するまでが描かれていました。

上演時間が約90分という短い映画でしたが・・・
宇宙空間という「無重力」、「無酸素」そして「灼熱」と「極寒」の世界で、サンドラ・ブロック演じるライアン宇宙飛行士の見る風景、彼女の呼吸、そして彼女の絶望が、息つく暇もなく何度も何度も迫ってきました。それは真に迫る疑似体験となって、この90分が私の絶えられる限界でした。

2013年12月12日木曜日

夢心地の恋物語「ルビー・スパークス」を観ました。

2012年制作米国映画「ルビー・スパークス」(原題:Ruby Sparks)を観ました。
この映画、当時のニューズウィーク日本版の映画評で取り上げられていた作品です。映画の中で奇妙な恋人となる二人は、実生活でも仲の良い恋人であることが書かれていました。

あらすじです。
高校を中退した後、書き上げた処女作の小説が一世を風靡して、一躍文壇の寵児となった青年カルヴィン。そんな彼が、二冊目を生み出すプレッシャーから、夢の中でひとりの可憐で従順な女の子を生み出します。
カルヴィンは、その女の子にルビー・スパークスという名前を与え、彼女の背景を設定して、物語を描き始めます。
そんなある日、カルヴィンの目の前に、彼の想像の産物であるはずのルビーが現れます。始め彼は、自分の精神が破綻したのだと恐れ、存在しないはずの彼女を無視しようと努めますが、ルビーが誰にも見えて、触れることの出来る正真正銘の女の子であることが分かって、驚嘆すると同時に、本物の恋人となって一緒に暮らし始めます。
ルビーは、カルヴィンがタイプライターで文章にする通りの女の子に変身します。フランス語が喋れる、とタイプを打てば、フランス語を話すのです。カルヴィンは、この秘密をルビーに明かさず、書きかけの物語を鍵の付いた引き出しにしまいます。

カルヴィンは、遠方に住む母にせがまれて、ルビーを紹介しに母のもとを訪ねます。人付き合いが悪く女の子にも奥手であったカルヴィンを心配していた母は、愛くるしい女の子ルビーをひとめ見て大喜びです。そしてルビーは、カルヴィンの家族と一時とても楽しい時間を過ごします。ですがカルヴィンは相変わらず、家族との交流も避けて一人読書にふけっていました。
自宅に戻った後、ルビーに変化が起こります。自分以外、家族ともうまく打ち解けられないカルヴィンとの生活に息苦しさや孤独を感じ、カルヴィンに少し距離を置いて生活することを求めます。ルビーは絵の学校に通い出しました。友だちも出来ました。そしてカルヴィンと過ごす時間が少なくなった時です。嫉妬したカルヴィンは、仕舞っていた物語を取り出して、タイプを再開しました。
・・・ルビーは、カルヴィンなしでは生きられない・・・
そしてルビーは、カルヴィンのもとに帰ってきました。彼女はもう一時も彼のもとを離れなくなりました。家の中でも、外出時でも、手を絡めていなければ泣き出してしまうのです。そんなルビーに恐れを感じ、カルヴィンは
・・・ルビーは、ルビーのままで・・・
とタイプをします。

ある高名な作家宅で同業者の懇親パーティーが開かれました。カルヴィンもルビーを伴いパーティーに参加しました。カルヴィンはこのパーティーで、以前恋人関係にあった元カノ、ライラと再会します。カルヴィンは、有名人となった自分に近づきて恋人になり、スランプに陥ると去ってしまったライラを誹謗します。でもライラが彼のもとを去った本当の理由は、自己中心的な彼の性格、自己愛に嫌気が差したからでした。
ルビーは、カルヴィンと離れてひとり佇んでいました。そこに邸宅の主人でプレイボーイのラングドンが現れ、ルビーを庭のプールに誘います。ちょっとした駆け引きを楽しんでいたルビーのもとにカルヴィンが現れます。下着姿になってプールに入りかけていたルビーにカルヴィンは怒り心頭し、自宅に連れ戻して叱責します。
カルヴィンの身勝手さに遂に家を出る決心をしたルビーを見て、カルヴィンは、君は僕の意のままなのだと言い放ち、急いで物語にタイプを始めます。
・・・ルビーは、一歩も部屋の外に出られない・・・
ルビーが部屋を出ようとすると、見えない壁に閉ざされます。ルビーの顔に恐怖が宿ります。
・・・ルビーは、服を脱ぎながら愛の歌を口ずさむ・・・
抵抗しようのない力によって、ルビーは服を脱ぎ、歌を口ずさみます
・・・ルビーは、指を鳴らす・・・
ルビーは、泣き叫びながら指を鳴らし続けます
・・・ルビーは、永遠に僕を愛すと叫び続ける・・・
ルビーは、タイプされた文章を、抗うことも出来ずに叫び続けます
カルヴィンは、悲痛なルビーの姿を見、我に返ります。そしてタイプの手が止まります。
ルビーは、崩れる様にしてその場に倒れ落ちました。
しばらくして、ルビーはゆっくりと起き上がり、寝室に姿を消しました。
カルヴィンは、ルビーへの贖罪に、
・・・君は、自由だ・・・
とタイプし、物語を終了します。

ルビーは、カルヴィンのもとを去りました。
そしてカルヴィンは、ルビーとの出会いを一冊の本に書き上げます。
タイトルは「girlfriend」
本当の愛に目覚めさせてくれたルビーへ捧げる物語は、大ヒットしました。

そしてある日の昼間、カルヴィンが公園を散歩していると、芝生に寝転んで「girlfriend」を読みふける女の子に出会います。振り返った彼女の顔は、ルビーと瓜二つです。
ぼーっと見とれるカルヴィンに、女の子が親しげに話しかけてきます。
「以前出会ったことがある?カフェだったかなぁ、それとも前世?」
「あなたは何をしている人?」
カルヴィンは、女の子が読んでいる本を預かり、本の裏表紙を開いて、そこに掲載された作者の顔写真を示し、作家だと答えます。
彼女が「もう一度、やり直していい?」と話します。
カルヴィンは、彼女の横に座り込みます。
本当の恋の始まりです。

end

創造した理想の女の子が、もしも現実に目の前に現れたら・・・
もしかしたら誰もが一度は夢想する物語かもしれません。ですから、生半可な結末でないことを願いながら見続けました。
そして結末は想像を超えるものでした。
ルビーは、木偶人形ではありませんでした。カルヴィンの創造の産物なのかもしれませんが、産み落とされた時から、彼女には意思がありました。カルヴィンが操れるのは彼女のうわべだけでした。ですから、カルヴィンが嫉妬と怒りにまかせて彼女を操る場面は、ホラー的な恐ろしさとともに、恋に不器用な彼女のそして彼の悲しみが満ち溢れていました。
そしてエピローグ、ルビーとそっくりな女の子が現れて、
「もう一度、やり直していい?」と話します。
そしてもう一言
「物語の結末は、話さないで」と伝えます。
二人の新しい恋がハッピーエンドであって欲しいと、心から願いたくなる物語でありました。

2013年12月9日月曜日

巳の年の瀬

朝、天上を見上げると、大蛇が空をうねっていました。
今年も、そろそろ終わりです・・・

2013年12月4日水曜日

ダン・ブラウン新作「インフェルノ」、読みました。

発売当日の11月28日、仕事帰りに買いました。翌日は休みで、一気読みを試みましたが、上巻を読み終えたところで時間切れ、完読したのは12月2日でした。

帯に、「2015年映画化!ラングドンシリーズ最新作!」と書かれています。前作「ロスト・シンボル」はどうしたのかなぁ?とググりますと、前作の映画化は難航し、新作が先に第3弾として映画化されることが決定した様子です。
難航の勝手な想像ですが・・・
ニコラス・ケイジ主演「ナショナル・トレジャー」という映画シリーズがありますが、この映画、ワシントンを舞台にフリーメーソンの謎と宝物を探るアドベンチャーなのです。ロスト・シンボルを読んだ時、当然ながらミステリーの勘所はまったく違うものでしたが、正直、この映画のストーリーが思いっきり被ってしまいました。また、ヨーロッパを舞台にした前作ほど旅情を誘うこともなく、読み終えてもあまり感慨を持つ事がなかったのです。直感として映画化は難しいだろうなぁ、と感じていました。

そして新作、ラングドンシリーズは生き返るか?という期待と不安の読書でありましたが、それは満足感と映画化への大きな期待に変わりました。
まだお読みでない方のために、いつものあらすじは止めておきますが・・・
定番、ダン・ブラウンお決まりの、プロローグでキーとなる人物が死ぬ場面から始まります。そして最高の観光ガイド、ラングドン教授と巡るヨーロッパの旅が始まります。今度の旅では、ルネッサンス発祥の地フィレンツェ、巨万の富の集積で建造された水の都ヴェネツィア、そしてキリストとイスラムの文化、歴史が交差するイスタンブールを巡ります。そして今旅で、ダンテという人物、そしてダンテが描いた神曲、特に地獄編「インフェルノ」の物語を、サスペンスの中で辿ります。

そして今作は、歴史の神秘や陰謀なるものを解き明かすものでなく、現在、そして未来への警句、あるいは一つの野心が描かれます。帯にもありますが、「人口爆発による滅亡と崩壊。世界と人類を、救え-。」です。そしてダン・ブラウンは、私たちに否認するのでなく、直視する勇気こそが希望であることを気付かせてくれました。

そして最後にもう一つ・・・
この物語には不慮の事故による「死」はあるものの、お決まりの殺人は存在しません。ダン・ブラウンのトリックの巧さに、参ります。

昨日は、12月最初の長歩きを楽しみました。

お早うございます。
昨日は、12月最初の長歩きを楽しみました。山陽電車の沿線を、旧道や路地を縫って姫路を目指しました。大昔の佇まいなどもうないか、などと思っていましたが、あるものです。古い食堂や医院、40数年前の風景が、いまだそこかしこに残っていました。

西浜の峠を越えて的形、八家、白浜、市川を渡って飾磨駅に到着です。
そこから、幼少期に集団登下校で歩いた飾磨街道から一本西の路地を北に歩きました。

大昔に住んでいた富士製鉄(現新日鉄住金)の社宅跡は亀山のマンション群となって久しく、そこを過ぎると亀山御坊本徳寺です。この寺に足を踏み入れたのも40数年振りです。広く静かな境内には、先に一組の年配のご夫婦が過ぎゆく紅葉を楽しまれていました。

そして再び北に向かって歩きます。新幹線姫路駅の高架を過ぎると、大きく変貌中の姫路駅前に到着です。

姫路赤十字献血センターで成分献血を行いました。それからみゆき通りを歩いて姫路城を目指します。姫路城周辺を逆時計回りで歩きます。裏手の庭園の紅葉を楽しみました。

大手前通りの土産物店の一角に、「ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館」なるものが建っていました。期間限定のテーマパークです。来年1月12日(土)~再来年1月10日(木)まで開催されるとのこと、開いたら一度覗きたいと思います。

そして長歩きの締めに、新生軒のワンタン麺を頂きました。透明なスープはほんのり塩と胡椒が利いていて、湯通しして油の落ちた肉片が数枚とネギ、そして滑らかなワンタンが面の上に鎮座しています。この中華そば、幼き頃に食べて以来、すっかり私の姫路の味となっています。

2013年11月27日水曜日

映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を観ました。

テレビ番組欄でこのなんとも騒々しいタイトルが目にとまりました。9.11を題材としたトム・ハンクスが出演した映画・・・ということを思い出し、観ました。

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(原題: Extremely Loud & Incredibly Close 2011年アメリカ映画)

9.11テロによって父を失った少年が、父の部屋のクローゼットで古い鍵を見つけます。その鍵は、父の記憶を留める大切な鍵となり、少年はその鍵の秘密を探る旅をする。これが物語の本筋です。

少年は、9.11テロのその日、その瞬間、あまりにも重く辛い秘密を抱えることになります。それは、大好きだった父からの最後の電話に出ることができなかったことでした。
その日、少年は理由を告げられぬまま臨時早退となった学校から両親が仕事に出掛けて誰もいない自宅に戻ります。留守番電話に5件のメッセージが入っていました。メッセージを再生すると、それは父からの安否を知らせる内容でした。最初のメッセージで父が何かの事故に巻き込まれたことを理解しますが、父は冷静な口ぶりで救助を待っていると話します。しかし、新しいメッセージになるにつれて口ぶりは慌ただしくなり騒音も聞こえてきます。5件目のメッセージを聴き終えた時、父がテレビで中継されているこの大事故に巻き込まれていることを理解します。テレビには、二棟の巨大タワーから黒煙が登る姿が映し出されていました。その時、また電話が鳴りました。少年はその場から一歩も動けず電話を取ることができません。やがて電話が留守番電話に切り替わり、電話の主の声がスピーカーが聞こえました。父が何度も何度も少年の名前を呼んでいます。しかし電話は不自然に途切れます。テレビは、一棟の巨大タワーが崩れゆく姿を映していました。

少年は秘密を心の奥底に仕舞い込みます。そして鍵が入っていた小さな封筒に書かれた”BLACK”という文字を手がかりに、ニューヨークに住むすべての”BLACK”という名字の人々を訪ね歩く決心をします。ニューヨークの街には少年の恐れるモノが溢れています。それは高層ビルであり、上空を飛ぶ飛行機、身動きできない地下鉄、サイレンの音、子どもの泣き叫ぶ声・・・すべてがあの日に引き戻し少年をパニックに陥れます。ですから少年は、祖母から貰ったパニック防止のタンバリン、そしてガスマスクをリックサックに詰めて、どんなに遠くても歩いて訪ねていきました。
”BLACK”さんは、男の人であったり、女の人であったり、お年寄りであったり、少年と同じ子どもであったり様々です。そして誰もが少年を受け入れて、少年を慰め、そして慰めとしてそれぞれが抱える秘密を少年に話します。けれども鍵の秘密にはなかなか辿り着くことはできません。

そんなある日、祖母の家に新しく同居人となって住みだした老人が、少年の旅に伴うようになりました。老人は話をすることができず、少年との会話はすべて筆談で行います。ですが、何気ない仕草や癖が父と同じであることを見抜き、少年は老人が祖父であることに感付きます。そして少年は、母が外出した自宅に祖父を招き入れ、心の奥底に仕舞い込んでいた秘密を吐く様に話します。 ですが、大昔に大きな心の傷を負い、声を失い、家族を捨てた祖父には耐えがたい内容で、最後まで聞くことなく少年のもとを去りました。

少年は、もう一つの手掛かり、いつも父が持ち歩いていた小さな紙片、新聞の切り抜き広告に、”BLACK”の名字を見つけます。そして鍵の秘密が明らかになりました。
鍵は青い花瓶に入っていました。その青い花瓶は、父が新聞の広告で見つけた遺品セールで譲り受けたものでした。セールを開いたのが”BLACK”さんでした。彼にも秘密の物語がありました。確執のあった父が亡くなり、遺品をセールで処分した後、亡き父の遺言を知ります。遺言には、息子に一つの鍵を残すと書かれていました。それが青い花瓶の鍵でした。ですが、譲り渡した相手が何処の誰かも分からずに長く困惑していたのです。

鍵は持ち主に戻りました。しかし少年は、父の記憶を留める「形あるモノ」を失うことになりました。酷く落ち込んで自宅に戻ります。部屋には、いつも少年の帰りを待ってくれている母の姿がありました。
少年は、ついに鍵の話を母にしました。でも母から思いがけない返事が返ってきました。
「知ってる」
そして、母の愛情溢れる物語に接します。母は、子ども部屋に隠していた品々から、少年の秘密を推し量り、少年が訪れる家々を先回りして訪問し、少年を受け入れてくれる様、頼んで回っていました。そして毎回の少年のひとり旅を、身を切られる思いをしながら送り出し待ち続けていたことを知りました。
少年は、父の分まで愛してる、と母に告げます。母はにっこりと笑顔で
「知ってる」
と答えます。

end

映画を観終わってからしばらくして、あらためて『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』というタイトルに向き合いました。そしてこの謎掛けは「人間」を指しているのだ、と気付きを覚えました。
私たちの悲しみや苦しみ、その根幹は人間に起因する。しかしまた同時に、癒やしや救いも人間でなければ果たせない。
少年は、多くの人に出会いました。そして多くの悲しみ、苦しみ、また幸せを知りました。
そして時が来て、母と向き合います。そして母の悲しみ、苦しみ、そして愛を知りました。
とても人間の愛に満ちた物語でありました。

2013年11月26日火曜日

君は「桂枝雀」を知っているか?

日曜日夜、BS朝日で放送された、『君は「桂枝雀」を知っているか?』を観ました。
とても興味深かったのは、枝雀さんの新作落語を共に作られてこられた落語作家小佐田定雄さん、そして本名前田通さんの二人の御子息が語る、枝雀さんの実像です。
そこで語られる実像は、私が抱いていた人物「桂枝雀」と寸分と違わなかった、本当に表裏のない、純粋に笑いというものを求道する万年少年そのものでした。

昭和40年代、桂小米から桂枝雀に襲名したての頃の落語を聴くと、爆笑王の異名を取った後の枝雀落語とはまったく非なる落語であることに驚きます。
「陰」が代名詞に付くほどに、若さの微塵も無い静かで落ち着いた語り口、観客などいないが如くのマイペースさで物語を語っているのです。でもこれはこれでぐいぐいと物語世界に引き込まれてゆくのですから、やはり若い頃からただ者ではなかった事を実感します。

枝雀さんの落語本の中に、いつか師匠米朝さんの艶話「たちきり線香」を演じてみたいと書かれていました。後年の爆笑王となった頃の語り口では想像できない、また若き日の陰な語り口でも想像できない、まったく新しい境地の語り口で、この「たちきれ線香」に向き合おうとされていたのではないか、そう想像します。未知の体験は、未知のまま手の届かぬモノとなりました。

枝雀さんを死に導いた「鬱」という病気について
次男さんが、端的に次の様に話されました。父は、何かの理由が引き金で心の病に陥ったのはなく、突然に「鬱」という病にかかってしまった。それは風邪と同じ、癌と同じ、自分が求めぬままに、病に冒された、と話されました。
ですから、枝雀さんの様な求道者でない、平々凡々と暮らしている者にも「鬱」は訪れます。私がまさにそうでした。突然に、目は見え、耳も聞こえるのに、答が全く探せなくなるのです。話ができなくなるのです。頭が、心が、深いとばりに覆われた様になって、それはとてもひどい閉塞状態です。思考することもできず、人とコミュニケーションをとることもできない、これが鬱の症状です。ですから、改善の兆しが見え始めた時、鬱からのなりふり構わぬ脱出を企てて、極端な行動をとる危険があるのです。枝雀さんは「死ぬ」ことを選択されました。

私は今、「鬱」は脳がかかる風邪ではないかと感じています。ある特殊なウィルスによる風邪です。それ自体、死を招くほどの恐ろしさはないものの、脳内の情報伝達を阻害します。ですから、見聞きしてもそれが次の思考に繋がらないのです。
ですが「鬱」は、必ず治る病気であるとも感じています。そのための第一歩は、脳内の情報伝達を活性化することです。人間には五感があります。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚です。これらを総動員して脳に刺激を与え、情報伝達を活性化するのです。脳が活性化すれば思考が戻ります。それが自律を取り戻し、危険のない快方へと導く、と想像します。
もう一つは、体を疲れさせることです。できれば心地よい疲れを与えるのです。体が心底疲れれば、深い睡眠に陥ります。その一時期は余計な不安は一切脳から切り離されて、脳は体の快方に全力を注ぎます。この心身が一致した状態こそが、私たちの理想な健康状態だと想像します。
私は現在、長歩きに親しんでいますが、この歩くという行為こそ、「脳内の情報伝達を活性化する」、そして「心地よい疲れ」を得る「鬱」の特効薬だと実感します。