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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2023年11月8日水曜日

美味しいピッツァできました。(#^.^#)

 コロナ禍真っ只中、客足が遠退くという痛手を被った料理人たちが、自分たちの誇りと価値を鼓舞するかのように、自慢の料理を調理する様子を動画にして、次々とYouTubeに公開されました。それらの動画を見るのが、私のコロナ禍の数少ない楽しみの一つとなっていました。

大好きなイタリア料理のピッツァを、ピッツァ職人が作る動画は特に楽しみました。いろいろ見ていると、イタリアのご家庭の主婦が、家族の為にピッツァを作り振る舞うという動画もありまして、目から鱗が落ちました。石窯でなくても、家庭にある調理器でピッツァは作れる。自分でも出来そうやん、そう思いました。そして、ピッツァ作りを始めました。

そしてピッツァ作りをはじめて二年が過ぎました。ここにきてようやく家族や友達から美味しいといってもらえるピッツァが作れるようになりましたので、そのレシピをここに詳細に記したいと思います。

ピッツァ作りを始めるにあたり、何冊かピッツァに関する本を読みました。「真のナポリピッツァ協会(通称AVPN)」という「ナポリピッツァの国際規約」を制定し、普及と職人育成の活動を行っている、ナポリに本部を置くNPO団体のことも知りました。「ナポリピッツァの国際規約(日本語)」は、AVPNの日本語ホームページから誰でも読めるようになっています。

AVPNの国際規約について(https://japan.pizzanapoletana.org/chisiamo.php)


ピッツァ作りは、次の4工程の順番で行います。

①生地作り

②生地の発酵

③ピッツァ台の成形

④ピッツァを焼く


1.生地作り

直径約25㎝、重さ約250gサイズのピッツァ台4枚を作る事を想定した加水率70%の生地作りです。

当初は、小麦粉500g、加水率60%で、重さ約200gサイズのピッツァ台4枚を作る事を想定した生地を作っていました。でも、焼き工程で、どうしてもピッツァ台が思ったほど柔らかさを残して焼き上げられなかったのです。それが加水率70%にする事で、思い通りの柔らかさとコルニチィーネ(縁のふんやりとした膨らみ)を得る事が出来る様になりました。そして一つ250g程度にすることで、ピッツァ台を丸く伸ばしていく成形工程が楽に出来る様になりました。


(1)材料

a.強力粉(※私の好みは、手頃な価格で手に入りやすく、高品質な強力粉である、日清カメリヤスペシャルです。)…600g

b.塩(塩は、旨味や生地のコシを作ります。分量は、小麦粉に対して2%です。が少し減塩しています。)…10g

c.ドライイースト(生地を発酵させます。小麦粉に対して0.2%)…小さじ1程度

d.水(分量は、小麦粉に対して70%)…420ml


使用する調理器…大きめのボウル、スケッパー、調理用電子計量器1g単位で2kgまで計れるものが便利です。私はこのために購入しました。千円ほどでした。横幅の大きいラップ


(2)作り方

ピッツァ職人の動画では、ボウルでa~dの材料を混ぜ合わせた後、調理台の上で、伸ばしては丸める、伸ばしては丸めるを20分ほど繰り返し、生地を練り上げていました。でも自宅では調理台を広く取れないので、すべてボウルの中で生地を仕上げることにしました。これだと洗い物も少なくなり、後片付けが簡単になります。


①コップに、dの水を少し入れ、cのドライイーストを入れてかき混ぜ、少し水になじませます。

②ボウルに、aの強力粉、bの塩を入れ、スケッパーで混ぜ合わせ、dの残り水を二三回に分けて加え、混ぜ合わせていきます。最後に①を加えて、混ぜ合わせ、少しべとつく生地を真ん中に集めます。

③右利きの私の場合ですが、左手でボウルの縁を持ち、右手は握りこぶしにして、上から拳で生地を突き押します。右手の拳を少し上げ、左手でボウルの縁を時計の針の逆方向に少し回します。この生地を突き押し、ボウルを回す動作を15分から20分ほど繰り返し行います。生地の感触が、はじめのべちゃべちゃな感触からもちもちとした感触に変わってきます。これが生地の出来上がりのサインです。

④手についた生地をそぎ落とし、ボウルの内側についた生地をそぎ落とし、生地に加えて、丸く整えます。

⑤すぐにラップでボウルに蓋をし、直射日光が当たらない場所、室温が急激に変化しない場所、平地で安定した場所にボウルを置いて、一次発酵を促します。


2.生地の発酵

生地の発酵の工程は、ピッツァ台の善し悪しを決定する一番大事な工程だと思います。

一番まずいのは過発酵です。特に夏場の室温湿度とも高い場所で置いておくと、短時間で勢いよく発酵し、生地は数倍に膨らんで、炭酸ガスを勢いよく噴出するようになります。こうなったら生地に酸味が付いて、焼いて食べる事は出来ますが、鼻につく酸味で非常に不味いです。ですから過発酵は要注意です。

私は、ボウル内で一次発酵させ、生地が三倍程度に膨らんだら、切り分けて、饅頭型に成形します。一次発酵が上手くいくと、生地はとても滑らかになります。

饅頭型の生地をトレーに並べて、冷蔵庫の冷蔵室でゆっくり二次発酵させることで、一週間程度は、生地を食べ頃のまま保存できます。


(1)材料

a.小麦粉(強力粉でも薄力粉でも構いません。生地の粘着を抑えるコーティングとして使います。)…適量


使用する調理器…大きめのボウル、スケッパー、調理用電子計量器、広めのまな板、縁の高さが4㎝以上ある大きめのトレー、※蓋付きの生地専用ボックスがあれば尚いいですが、私は持っていません。横幅の大きいラップ


(2)作り方

一次発酵はボウルの中で行います。室温が高いと、2~3時間ほどで生地が3倍ほどに膨れます。発酵を置きすぎると過発酵してしまうので、こまめに発酵の程度を確認する必要があります。室温が20度程度であれば4~5時間ほど、室温が低ければ8時間以上かかる場合もあります。


①ボウルの中の生地が、一次発酵で十分に膨らんでいるのを確認します。

②まな板に、適量(手で一握り程度)の小麦粉をまぶして均します。その上に、ボウルの中の生地を掻き出します。

③小麦粉で生地全体をコーティングします。

④スケッパーで生地を均等に4等分します。

⑤4等分した生地を、それぞれ丸めます。表面に割れ目が残らないように、割れ目やでこぼこした部分を一点に集めて、ひねりを加え隠します。

⑥ひねりの部分を下にして、生地を丸め、高さが出ない様に、少し押しつけます。

⑦トレーに生地がひっつかない様に小麦粉を適量まぶして均します。その上に、丸めた生地を、それぞれひっつかない様に間隔を空けて並べます。

⑧トレーにラップで蓋をして、冷蔵室で保存します。冷蔵庫の冷蔵室で保存することで、夏場でも二次発酵の進行を抑えることができ、冷蔵庫の中で一週間ほどは保存できます。冬場や室温が10度を切る状態であれば、室内保存も可能です。注意することは、丸めた生地が互いにひっつかない様にする事です。でもたとえひっついたとしても問題ないです。ひっついた箇所に小麦粉をまぶして、スケッパーで切り離し、そぐようにすればトレーから取り出せます。若干、形が歪になっても、ピッツァ台の成形の工程で、円形に成形できます。円形に成形できず歪な形になっても、焼いて食べれば同じです。


3.ピッツァ台の成形


(1)材料

a.小麦粉(強力粉でも薄力粉でも構いません。生地の粘着を抑えるコーティングとして使います。)…適量


使用する調理器…スケッパー、広めのまな板、アルミホイル、直径が25㎝以上の平皿


(2)作り方

焼き上げる枚数分のピッツァ台を、以下の手順で成形します。


①まな板の上に小麦粉を適量まぶす。

②トレーのラップをめくって、取り出す生地の周辺に小麦粉を適量まぶして、剥がれ安くし、スケッパーで生地を剥がす。その生地を①の上に置く。

③生地の両面に小麦粉をつけてコーテングする。

④両手の指の開きを閉じて両手のひらを生地の中央に置いて、内側から外側へ生地を押し広げます。縁は膨らみを残しておきます。

⑤生地を左右に外側に押し広げる。生地を90度回転させる。ピッツァ台となる生地が直径25㎝ほどに丸く広がるまで、この動作を繰り返す。

⑥平皿に長方形サイズのアルミホイルを敷き、その上に成形したピッツァ台を乗せ、平皿にそって円形に整える。

⑦枚数分のピッツァ台を成形する①~⑥の工程を繰り返す。

⑧ピッツァ台の上に、具材を並べる。


4.ピッツァを焼く

焼きは、まずフライパンの中で、裏面に焼き目が付かない程度に熱し、次にグリルで4分ほど焼き上げます。家のガスグリルだと、中火より強めの火力で4分グリルすると、具材に熱が入り、コルニチィーネと裏面に少し焦げ目が入る程度で仕上がりました。

焼き時間が長くなると、生地の水分が抜けて堅いピッツァになってしまいます。


(1)材料


使用する調理器具…ガスレンジ、ガスグリル、口径の大きいフライパン、横広のフライパン返し


(2)作り方

①フライパンとグリルに予熱を加えておく。

②ピッツァ台をアルミホイルに乗せた状態で、フライパンに乗せる。ガスレンジで中火で焼く。熱が少し加わるとアルミホイルが取れやすくなるので、アルミホイルを取り出す。

③裏に焼き目が付かないように、ピッツァ台に熱を加える。この状態のピッツァ台は、柔らかさを保っています。フライパンに余熱が入っていれば2分ほどで熱が入ります。

④フライ返しで、ピッツァ台をプライパンからグリルの網の上に移します。ピッツァ台が柔らかいので、フライパンを斜めにしながら、フライ返しを使って引き出すようにすれば上手く移動できると思います。

⑤グリルの中火強で4分焼きます。

⑥コルニチョーネが膨らみ、縁に浅く焦げ目が付く程度がベストだと思います。

③平皿に盛り付けて、完成です。



ピッツァは、まるで地の塩の様な食べ物です。防腐を防ぎ、上に乗せる食材をさらに美味しく引き揚げてくれます。そして、丸い円の形をした食べ物です。一つをカットして複数人で一緒に食する事が出来る、和みを与えてくれる食べ物です。

ですから、ピッツァを焼いた日は、ピッツァを家族や友だちを食する時は、自然と笑顔と会話が弾みます。

上に乗せる食材に、きっと駄目な物はないでしょう。みんなで食せる、平和を感じられる食べ物だと思います。

以下、最近作ったピッツァです。家族にも友だちにも大変好評でした。(#^.^#)

牡蠣と茄子のジェノベーゼ・ピッツァ


牛すね肉とすじ肉の赤ワイン・ラグーソース・ピッツァ


夏野菜をのせ、マルゲリータ・ピッツァ

2023年11月7日火曜日

風に立つライオン

 お願いだから幸せになってください。


2015年に公開された日本映画「風に立つライオン」を観ました。

アフリカ、ケニアの風土病を研究する長崎大学の現地研究所に二年の任期で赴任した日本人医師が、赤十字の要請で短期間、ケニア・ロキチョキオにある赤十字戦傷病院に医師して派遣されます。

そこは平和日本で育った日本人には別世界でした。

兵士に守られた赤十字戦傷病院には、毎日、銃や爆弾、地雷による殺し合いの中で、瀕死の重傷を負った大人の兵士、子供の兵士がトラックに山ほど積まれて運ばれてきます。医師は懸命に治療を施しますが、命を繋いだ人たちの多くが手足を失うことになります。兵士となった人たち、子供たちは、親や家族を虐殺された上、連れ去られて殺戮する側の兵士に仕立て上げられた人たちです。麻薬漬けにされた人たちです。そして彼らには行く当てなどありません。ですから、治療を終えた彼らの帰るところは殺戮場しかありません。


戦傷病院での活動を終えた日本人医師は研究所に戻りますが、短い間でしたが生活を共にした少年兵士たちへの思いが、どんどんと心に重くのしかかっていき、朗らかだった彼の顔を曇らせていきました。彼は夜になる度に、静まったアフリカの大地に立ち「頑張れ、頑張れ」っと自分を鼓舞しました。そして遂に彼は、再び戦傷病院に赴く事を決意します。


彼は二年の任期が過ぎても、戦傷病院に留まり、マザー・テレサ終末病院からこの戦傷病院に派遣されてきた日本人看護師とともに、元少年兵の子供たちが生きる希望を見つける為の、安全と学習を提供する孤児院を設立します。


麻薬の禁断症状、家族を虐殺された記憶、自分が人を虐殺した記憶に重度に心を病んだ子供たちも、日本人医師の自分たちへの献身に心がほだされ、いつか日本人医師に懺悔し、未来への希望を口にするようになります。日本人医師は、ひとつひとつ自分の思いが叶えられていく悦びを見いだします。

しかしそれが彼の命を縮める事に繋がりました。医師としても自分の思いを叶える為に彼は戦傷病院の外の村々まで訪問診療を始めるようになります。そしてその道中でゲリラに襲われ、撃たれ、命を落とします。


日本人医師には、アフリカへの二年の赴任が決まった時、結婚を申し込んだ大学の同級生の女性医師がいました。二人は相思相愛でしたが、彼女の方には、過疎地で診療所を続けてきた父の後を継がなければならないという責任がありました。そのために彼女は結婚の申し入れを受け取る事が出来ずに、二人は別れることになりました。

そして二年が過ぎて、彼女は過疎地の村で地元の働き者の若者と結婚をすることになりました。彼女は、遠いアフリカに赴任したまま帰ってこない日本人医師に、結婚をすることを告げる手紙を書きました。

その手紙を受け取った日本人医師は、何日も考えて、ようやく返信の手紙を書きました。その手紙が彼女の元に届いたのは、彼が死んだという連絡があった数日後でした。その手紙には、とても短い一文だけが書かれていました。


「お願いだから幸せになってください。」


end


「お願いだから幸せになってください。」は、日本人医師が思いを寄せるすべての人たちに向けた祈りの言葉であった様に思います。それは、愛する彼女への思い、病気に苦しむ患者への思い、患者に寄り添う家族への思い、そしてアフリカ・ケニアの最果ての地で出会った傷ついた元少年兵の子供たちへの思いです。そして彼は、その思いを叶えるために、献身的に働きました。


この物語「風に立つライオン」は、さだまさしさんの創作ですが、この物語の主人公日本人医師と同じ九州大学医学部出身で、実際にアフガニスタンで数十年にも及ぶ医療活動と共に、貧困の本質的な問題を解決する為に用水路建設に自ら陣頭指揮にたった中村哲医師の事が思い出されました。中村哲医師は、アフガニスタンの荒野に暮らす多くの貧困にあえぐ人々の本当の友人になった日本人ではないかと思います。そんな中村哲医師も2019年にゲリラの凶弾に斃れました。


今年生誕100周年を迎えた作家遠藤周作が、晩年となる1993年に発表された「深い河」でテーマとされた旧約聖書イザヤ書第53章3-4節の句を思い出します。


彼は醜く、威厳もない。惨めで、みすぼらしい

人は彼を蔑み、見捨てた

忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人々に侮られる

まことに彼は我々の病を負い

我々の哀しみを担った


イザヤ書は、ユダ王国後期に、預言者イザヤがユダヤ民族の救世主到来を預言した書と伝えられています。そして、イザヤが預言をしてから約8世紀後に、古代ローマ帝国の属州となっていたユダヤの地にイエスが現れました。イエスは、まさにイザヤ書で預言された救世主像でありました。当時においても、見捨てられた人々、貧しき人々、虐げられた人々にイエスは寄り添い、心と体の救済に尽くしました。それがためにユダヤ教の権威を重んじる祭司長や法学者から目の敵にされ、遂に死刑の冤罪を告発され十字架の刑に処せられました。


そして私は一つ確信を得ました。

この世界の痛みは、暴力では正せない。何故なら暴力は痛みを広げ深めるばかりだからです。そして、この世界の痛みを癒やす為には、暴力を捨てて、痛みに苦しむ人に「お願いだから幸せになってください」と心から祈り、痛みに苦しむ人々が生きる希望を見出せるために献身的に寄り添い支える事しかないという事をです。


私たちは暴力の脅威に晒された時、その脅威に対抗するために、抑止力となる暴力で身を固めます。その抑止力が脅威となる暴力を超える時、立場は逆転します。暴力を止めない限り、双方が滅びるまで続く事になるでしょう。

では暴力を手放せば、どうなるでしょうか?ほとんどの人間は同じ想像の元に暴力を手放すことは出来ないでしょう。

でも聖者は、暴力を手放して、慈愛と献身に身を捧げました。そして、その結果はどうなったでしょう。聖者は命は奪われましたが、聖者の遺志は、広く深く後に続く多くの人々に引き継がれていきました。

2023年11月5日日曜日

カーネル・サンダースに呪われた野球チーム

 MLB公式サイトが粋な記事を掲載してました。


タイトルは、

The baseball team cursed by Colonel Sanders

https://www.mlb.com/news/the-japanese-team-cursed-by-colonel-sanders


「カーネル・サンダースに呪われた野球チーム」の話です。


思い出します。1985年阪神タイガースの初日本一の時、アメリカの三大ネットワークで、阪神タイガースのファンの熱狂ぶりを世界一のファンという風に伝えていた事をです。

今シリーズも更に熱狂的でしたね。MLB公式サイトは阪神タイガースの優勝を、次どの様に伝えてくれるのか楽しみです。


阪神タイガース優勝!

 38年ぶりの阪神タイガース日本一か、王者オリックスバッファローズの連覇か、59年ぶりの関西ダービーは、気持ち7対3でタイガースを応援してました。

そして七戦までもつれた関西ダービーは、阪神タイガースに軍配が上がりました。


優勝監督:岡田彰布

MVP:近本光司


個人的には、夏から一人で投手をリードし好投を引き出し続けた坂本誠志朗捕手と鋼のメンタルを見せつけたルーキーで大活躍した森下翔太選手です。


夢のような日本シリーズでした。トラッキーの背番号、来年は「1985」から「2023」になるのでしょうね。本当に嬉しいです。

2023年10月31日火曜日

Google検索のスポンサー欄にフィッシングがありました。要注意です!

 いつもの様に「amazon」でGoogle検索すると、検索欄の上のスポンサー欄に「アマゾン公式サイト-Amazon.co.jp」と表示されたのでクリックすると、「このパソコンはウイルス感染している。表示するマイクロソフトの窓口に電話して云々」という危険を通知する画面と音声が流れ出しました。

ブラウザを強制終了し、パソコンに正規にインストールしているウィルス駆除ソフトを実行し、ウィルスには感染していないことを確認しました。

再度、「amazon」でGoogle検索し、スポンサー欄の「アマゾン公式サイト-Amazon.co.jp」の箇所のリンクアドレスをコピーし、テキストエディターに貼り付けて確認すると、amazonの正規URLでない、不正なURLアドレスでした。リンクのフィッシング詐欺でした。すぐにGoogleサイトに不正報告を行いました。


正規サイトか偽サイトか、リンクアドレスを確認しないと判別は難しいです。フィッシング対策として、

①検索画面に表示されるスポンサー欄は、クリックしないこと。

②リンクの上で右クリックし、メニューからリンクアドレスをコピーを実行して、テキストエディターに貼り付けて、URLの真偽を確認する。

③何度も訪れるサイトは、ブックマークに登録して、次回からは登録したブックマークからサイトに移動するようにする。

を行う事をおすすめします。

2023年10月24日火曜日

神戸布引ハーブ園の花々

 


耐え難い憤りに向き合うために

 10月5日(木)、ウクライナ東部ハルキウ州クピャンスクのグローザ村で、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した昨年二月に前線に向かい、まもなく死亡した元兵士の追悼集会の会場を、ロシア軍がミサイル攻撃の標的にして、住民59名が爆殺された。

10月7日(土)、ユダヤ教の安息日にイスラエルに侵略したハマスは、300人近い人々を殺害し、200人を超える人々を人質としてガザ地区に連れ去るという事件を起こした。

10月17日(火)、ガザ北部にあるキリスト教系の病院が爆破され、ハマスは、イスラエル軍の攻撃によるもので、この攻撃により少なくとも500人が死亡と発表した。しかしイスラエル国防軍は、ハマスとは別のパレスチナ武装勢力「イスラム聖戦機構」によるイスラルへのロケット攻撃の失敗によるものだと主張している。

最近の戦争報道の中で、特に強い憤りを感じた出来事です。殺害された人々、傷つけられた人々、連れ去られた人々は、非戦闘員です。国際法上で標的にしてはならない人々です。

戦争では、こういう人々が、見せしめの為に殺されたり、敵の攻撃を防ぐための人道の盾として利用されたり、力の誇示や恐怖を植え付け戦意を失わせるために殺されるのです。無意味に、もしくは誰かの快楽を充たす為に、殺される人々もいるでしょう。


日本は、78年前に終わった第二次世界大戦で敗戦国となって以降、戦争をしていません。

が、この地球上では、植民地からの独立紛争、曖昧な国境をめぐっての国家間の戦争、異なる宗教や異なる部族の国や地域の支配権を巡っての紛争、軍事大国による武力侵略に端を発した国家間の戦争、そして狂信的、あるいは身勝手な思想をもとにした一般市民を標的にしたテロ行為が、後を絶たず行われ続けてきました。

私たち日本人は、心のどこかで、私たちは戦争をしていない、戦争を知らない、戦争は遠い他国の出来事、私たちは関係ないと思っている節がありますが、エネルギー、食料、あらゆる産業の原材料を他国に依存している日本は、遠い他国で紛争が起こる度に、あらゆる危機に直面してきました。

また、国連主導の紛争地への介入も、国内法を理由に、戦闘行為には直接参加はしてきませんでしたが、戦費や軍事物資の提供をはじめ、紛争地での戦後復興支援と称しての道路や橋の施設、また地雷除去、機雷撤去という紛争当事国からみれば敵対行為と見なされる行為も行ってきました。そう、戦争に関わってきたのです。

何より、インターネットが普及する以前は、乏しかったですが、現在は紛争地の惨劇がダイレクトに私たちの目に、耳に、心に、飛び込んでくるようになりました。知らない、関係ない、責任はないでは済まされない時代になりました。

日本がある東アジアも、いつ戦争が起こってもおかしくない時代となりました。韓国や台湾が軍事侵攻に晒されたら、私たち日本人は、ロシアによるウクライナ軍事侵攻時に、ウクライナに隣接する東ヨーロッパの国々が、検問を開いて、100万の単位でウクライナからの避難民を受け入れたように、韓国や台湾からの避難民を受け入れることが出来るでしょうか。また、アメリカを始めとする西側諸国が、韓国や台湾に加勢するために戦争に参加した場合、日本は国内法が許さないからと、参加を拒否できるのでしょうか。

そして万一、日本が軍事侵攻の標的となった場合、私たち日本人は、逃げずに戦えるでしょうか。

戦争はよくない、戦争はしてはいけない、戦争はしたくない、は日本人だけでなく、すべての国の市井に暮らす人々の偽りのない気持ちだと思います。

しかし、78年間、他国の武力行使という脅威を受けずに、戦後復興と経済成長、そしてその奢りが招いた経済の鈍化と様々なシステムの歪みの弊害に苦しむ内向きな日本人と、常に隣国の強国の脅威に晒され続け、また幾度も紛争を繰り返し、外敵に対して、心の底から払拭できない怨み、苦しみ、哀しみを募らせ続けてきた人々とでは、偽善と本心からの葛藤ほどの差があるように思います。

私たち戦後教育を受けた日本人は、戦争が引き起こす、苦しみ、怒り、怨み、哀しみ、絶望感、自らへの嫌悪感、罪悪感を知らないし、理解も出来ないと思っています。

ですが、遠い他国で現在進行形の戦争に、目を、耳を、心を開けば、彼等戦争当事国の市井の人々の心の内を想像することは必ずできると思います。


私たち日本人は、この地球上の大多数の人々が何かしらの一神教に帰依し、宗教によって敵味方を差別するのとは異なり、あらゆるゆうぶつに神が宿るという畏怖の信仰を心に宿しています。そのため、違いに対して、恐れではなく、慎み敬う事ができます。異なる宗教についても、異なる民族についてもです。

私たち日本人が一番恐れなければなえればならないのは、自らのおごりたかぶりです。それは、慎み敬う心を曇らせます。

この日本人の八百万の神への慎み敬う信仰の心こそ、度重なる紛争、戦争で、頑なに絡まってしまった心を、解きほどくことの出来うるものだと思います。

私たち日本人が出来る事、今すぐ出来る事、継続して出来る事は、戦争で苦しむすべての人々に、慎み敬う、そして慈愛を示す事だと思います。


そうしなければ、近い将来、憎悪の重みで、人間が築いてきた世界は、押しつぶされて滅んでしまうでしょう。