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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2020年5月6日水曜日

デモクラシーの国の、リーダーの有るべき姿

新型コロナウィルスのパンデミックは、私たちに一つ、とても重要な事を気づかせてくれました。それは「リーダーの有るべき姿」です。

デモクラシーを標榜する国家において
平時にリーダーに求めるものは、誰もが活躍することができる社会を作り、それが維持出来るように見守ることです。それには公平さと愛と忍耐が必要です。
しかし有事にリーダーに求めるものは、先頭に立って、明確に進路を示し、切り開くために行動することです。それには、鉄の意志と真心と責任感が必要です。
ですから優れた真のリーダーには、平時にも有事にも対応できる特性を併せ持たなければなりません。しかし、そうでなくとも、局面に対応できる特性を持つ人がリーダーであれば、私たちは安心です。

しかし、私たちの国のリーダーは、
平時には強いリーダーを自ら名乗り、雄弁に美辞麗句を並び立てました。リーダーの公私混同や私利私欲がどんなに酷くても、世の中が回ってさえいれば、国民は目をつぶり穏便に済ませてきました。
しかし、未曾有の国難を前にしても、役人が用意した台本を棒読みするだけで、自らの意志を示す言葉を持たず、国民に寄り添う言葉を持たず、責任を負う意志を持たない、つまり「三無し」であることを私たち国民は見ました。

ドイツやイギリスの首相は、自らがウィルス感染の恐怖を経験し、この国難に共に戦う国民に、心からの感謝を示しました。
アイルランドの首相は、医師として医療現場に復帰しました。
台湾の総統は、流行する前に対策を国民に示し、優秀で意志の強い人材を対策チームに配置して、そのリーダーシップで国内の感染拡大を封じました。
日本よりもさらに個人の人権が尊重される韓国では、日本とは真逆の対策、誰でもウィルス陽性検査が受けられる対策で、感染の信頼できるデータを把握し、それによって感染拡大を封じました。

私たちの国のリーダーは、
もしかしたら、もっと崇高に、国民の命よりも国家の形、これまでと変わらぬいにしえからの器を残すことに重きを置いているのかもしれません。
しかし、繋ぐ人、紡ぐ人がいなければ、器は遺物でしかありません。
遺物はなくても、繋ぐ人、紡ぐ人さえいれば、さらによい器、いや、物ではなく精神を後の世に残せるでしょう。それが如何に、はるかに崇高であるかを、この国のリーダーを目指す人たちは学ばなければなりません。

2020年5月2日土曜日

パンデミックの後の社会

私たち日本人は、人権が尊重されていること、また言論や行動の自由が保障されていることを、当たり前の権利として、享受してきました。
これらの権利は、日本国憲法で定められています。そして私たち日本人は、日本国民である限り、日本国憲法を守る義務があります。つまり日本人が享受する権利は、私たち日本人が他者の権利を守るという義務を果たすことで成り立っています。

もし、日本国が滅びたり、日本国憲法が改正されて上記の権利が廃止されたり、また日本国の国籍が剥奪されれば、私たちは上記の権利を失います。また、他者の権利を守らなければ、権利は有名無実なものになってしまいます。

世界に目を向ければ、戦争や悪政によって祖国を追われ難民となった人々や、国籍が与えられず無国籍のままの人々が非常に多く存在します。彼らは人権を保障されず、言論や行動の自由もありません。彼らが命を繋ぐ場所は、人口密度が恐ろしく高い、狭い収容施設や収容キャンプ、保護地区といった隔離された場所しかありません。そこに彼らは留め置かれ、保護者の施しだけを頼りに命を繋ぐしかありません。
そして日本国民が、この様な難民や無国籍の民にならない保証はどこにもありません。

私たち日本人が当たり前にあると思っている人権や言論の自由、行動の自由は、国があって、国を司る法律があって、そして私たちが法律を守るという義務を果たして、ようやく手にすることができる「尊い理念」であることに、私たちは立ち戻らなければなりません。

ではあらためて、人権や言論の自由、行動の自由は誰の権利なのでしょうか。
私たちは戦後の学校教育を通じて、日本型民主主義や自由主義を学びました。しかし私たちは教科書を丸暗記しただけでした。そして民主主義は多数決主義と覚えました。多数決主義が行き過ぎれば個人や少数派が尊重されない社会を生み出します。また、自由主義は個人の自由と覚えました。個人の自由が行き過ぎれば独裁者を生み出します。
日本人が学ぶ民主主義や自由主義は、18世紀に欧米で生まれた新しい思想「デモクラシー」が源です。しかし「デモクラシー」の本質は、他の人民の人権、言論、行動を尊重する、そして全ての人民の機会均等を尊重するというものです。それが結果として、自分の権利が尊重される社会を作ることに繋がります。言い方を変えれば、個人や少数派が尊重されない社会を作らない、そして独裁者を作らない、ということに繋がります。

現在、私たちの世界は、新型コロナウィルスのパンデミックで、未曾有の大災害の渦中にあります。昨年11月に中国の武漢市で最初の感染者が記録されてから、半年で300万人を超える感染者と20万人を超える死者を出す事態となっています。しかも私たち人類は、未だウィルスの全貌を掴むことができず、このウィルスを制圧する力を得る為には、まだまだ長い時間が必要です。
日本においても、このパンデミックは日本社会の崩壊を招きかねない事態を引き起こしています。
この事態に欧米諸国の政府は、人民の命を守るために、人民の行動の自由を制限する法的に強制力のある措置に踏み切りました。人民は他の人民の命を守るという義務を受け入れ自宅に留まることに同意しました。
日本政府もようやく4月7日に非常事態宣言を発動し、国民に自宅待機を要請しました。しかし日本国民は何よりも個人の人権が尊重されるという社会通念が徒となり、政府は強制力を伴う措置に踏み込めません。それでも大多数の国民は、自分が感染しない為に、また他者に感染させない為に、そして治療の前線で感染のリスクを負いながら治療という過酷な戦いを続けている医療従事者の負担にならないために、自宅待機を受け入れています。

しかし、個人の権利をかざして、要請に従わない人もいます。言論の自由をかざして、医療従事者を貶める言論を吐き続ける人もいます。
このパンデミックの顛末は、まだ誰にも分かりませんが、デモクラシーの本質を逸脱する行為を続ける人がいる限り、感染の拡大を抑えることはできないでしょう。そして心身ともに疲弊した医療従事者が一人また一人倒れれば、言論の暴力によって医療に従事できなくなれば、日本の医療システムは崩壊します。そうなれば、これまでならどおってことのない風邪や怪我でも人は命を落としかねません。まして、病歴のある人や、現在病気を抱えている人は、これまでの様なきめ細やかな医療を受ける事ができず、命を落とすリスクが高まります。その顛末なら想像できます。現在の日本的自由民主主義社会の崩壊です。それは日本国の滅亡や人権が著しく損なわれる社会への転換を意味します。

パンデミックによって、これまでの社会システムや社会の慣習は大転換を余儀なくされるでしょう。しかし、どんなシステムに大転換するにせよ、デモクラシーの理念の上に構築されるものでなければいけないと考えます。デモクラシーの理念を蔑ろにすれば、後の社会は全体主義化、もしくは独裁化を免れることはできません。
その意味でも、私たちは、この自宅待機の時間をデモクラシーの理念を深める有意義な時間にしなければなりません。それこそテレワーキングやテレラーニングのツールやSNSツールを活用し、ネットワークを通じて学び、考え、議論し、皆で理解を深められれば、デモクラシーの理念に則った望ましい社会システム、政治システムを再構築できる可能性が高まります。そして一人ひとりが、再構築に積極的に参画する意義を見出すことができるでしょう。
そしてなにより、今のこの自宅待機を続ける意義も見出すことができるでしょう。

2020年4月20日月曜日

パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。
それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。

「国民の人権軽視」、これは形式的な国家元首である天皇の威光を利用して、軍閥のエゴと利益のために、責任という思考を持たぬままに、消耗戦の道具として、国民の生命と財産を消費し尽くしたこと。国民の命を、玉砕という美辞麗句で十死零生を強いたこと。
「戦争をするための戦略軽視」、これも「国民の人権軽視」という思考の上で、机上の倫理でしかない無謀な戦術(作戦)を、戦略を立てずに人海戦術や消耗戦で行ったこと。
です。

戦略を立てないということはどういうことか
それは戦術(戦術)を実行する為の綿密な計画や準備、つまりロジスティック(兵站)を準備しないということです。戦争においてロジスティック(兵站)が如何に重要かは、古今東西の戦記物が語っています。
そして進捗管理も検証も行わない、作戦失敗の責任は、戦場で戦う現場の兵士に負わせて、後方の安全地帯にいる司令部は一切責任を負わなかったのです。強いて言えば責任のみ天皇に一任であったということです。

あれ、これって現在の新型コロナウィルス感染対応に対する政府や国会議員の行動と瓜二つですね。民主主義国家に生まれ変わって75年経ちますが、国家の指導的立場にいる者の質が一向に向上していないことに、今更ながらに驚きます。

今新型コロナウィルスのパンデミックの事態を、安倍総理は「第三次世界大戦」と形容したと聞き及びました。しかし、戦争は命の奪い合いです。このパンデミックに対して私たちが行おうとしているのは、「パンデミックの脅威からどれだけ命が救えるか」です。
そこを戦いの主義としなければなりません。

現在、パンデミックの収束地点として考えられるのは
・私たちの社会が集団免疫を獲得する
・新型コロナウィルスの特効薬ができる
のどちらかを獲得した時です。
少なくても二年近くを要することになるでしょう。
この状況を踏まえて、先の見えないパンデミックの収束地点まで、「一人でも多くの人の命を救う」を目的に、戦略を練り、整えて、機能させなければなりません。

このパンデミックの最前線で戦えるのは、医師、看護師などの医療従事者だけです。
医療従事者は、治療の最前線で、感染のリスクを負いながら、また感染者の苦しみと無念の死を間近に見ながら、心も体も磨り減らしながら戦い続けています。
医療従事者が、一人倒れると、現場を離れると、一日数名の命が危険に晒されるでしょう。それが十日続けば数十名の命が危険に晒されることになるでしょう。

私たち医療従事者以外の国民ができることは、
医療従事者とその家族の心と体の負担を減らすこと、ケアすることだと思います。
これは医療従事者だけじゃなく、私たちのライフラインを守るために働いている全ての人々、学校や学童保育、保育園、こども園で働く先生たちも同様にです。
「ステイホーム」が合い言葉となっています。
他の人から感染しないように、他の人に感染させないように、今状況下で働く人に負担を掛けないように、子育ても介護もできうる限り家族で行えることはおこなう。
「ステイホーム」は、じっとしなければならないストレスとの戦いです。でも命を危険に晒すことのない戦いであることを、私たちは理解しなければなりません。

そして、国民の代表たる国会議員が今すぐ為すことは
①門外漢ではない、世の中で専門家として認められた人、なおかつリーダーとして認められた人を選出して、本当に機能する対策チーム、ロジスティックチームを設置するために奔走すること
②パンデミック対策、ロジスティック、そして医療従事者のケアに必要な莫大な費用を国民の了解を取り付けて作り出すこと
③医療従事者を脅かすものすべてを排除する、つまり
・医療従事者に戦士の休息を与えること
・彼らの行為に尊敬し、けして医療従事者もその家族も、感染の脅威として見なさない
・医療従事者が安全に医療行為が行えるように、ロジスティックを整え機能させる
を国民の了解を取り付けて、実行し続けること
④特に医療従事者やロジスティックに関わる人々への誹謗中傷、流言を厳しく取り締まる法律を国民の了解を得て整備すること
⑤そして検証し、評価し、対策を講ずること
です。

厚生労働省では、日々感染状況を発表していますが、時系列に見ることが出来ません。
これでは進捗管理や検証を行う為に、データを加工しなければなりません。しかも、過去を辿ってみるとデータのフォーマットが異なるという有り様で、データの検証から見直さなければなりません。
こういうデータの扱いもおざなりではなく、一級品の素データにする専門家が必要に思います。

オリンピックは、平和の祭典、アスリートファースト、などと美辞で表されますが、実際は金欲と名誉欲に塗れた人々の錬金術に成り果てています。オリンピックの本質は、戦争ではなくスポーツで戦う、それを国民だけでなく世界中の人々に知らしめることだと思います。とりあえず2020東京オリンピックは延期になりました。今こそオリンピックの本質に立ち戻り、オリンピックのために建てた設備を、特に一万人を安全に収容できると考えられる選手村を、PCR検査陽性者で、かつ症状がない、あるいは軽い人たちの隔離場所として利用することを切に希望します。
これも政治判断です。国会議員の仕事です。


最後に統計情報を集めてグラフ化しました。
グラフから読み取れること、この先を想像する事ができます。「ステイホーム」している国民には、考える時間が与えられています。この先の日本を一人ひとりが考える機会にしなければならないと思います。





2020年4月9日木曜日

ドイツのメルケル首相がドイツ国民に対して発信したWEBメッセージ

電子出版のソフトウェア販売や制作、WEB公開を行う株式会社ボイジャーから、
ドイツのメルケル首相がドイツ国民に対して発信したWEBメッセージを、Romancer作家・レナー順子さんが公開されました、というメールが届きました。
どうぞ一読してください。
これは国民に対して、深い愛情と、重い責任を自覚している指導者の心からのメッセージです。
私たち日本人も、世界の一流指導者からの私たちへのメッセージとして受け取りたいと思います。

[本文転載]
3月26日に皆様へ、ドイツ連邦メルケル首相による「コロナウィルスに対して国民への呼びかけ」を公開いたしました。現在までに1万回以上閲覧され、多くの方から反響をいただいていることに感謝を申し上げます。
その翻訳をご提供いただいたRomancer作家・レナー順子さんから、メルケル首相が4月3日に2回目の呼びかけをおこなったとの情報をいただきました。

1回目の呼びかけに続き、メッセージは簡潔です。過剰な悲観論も無責任な楽観論も含まれていません。何より、具体的な生活に寄り添った視点があります。メルケル首相自身も自宅待機を課せられ、外界とのつながりは電話とネットのみという体験をしたこと、またドイツに住む何百万人のキリスト教徒の行動に影響する行事「4月の復活祭(イースター)」に触れて何をすべきかを語っています。
ドイツと日本では感染状況も医療システムも制度も、異なる点は多々あるでしょう。しかし私たちはこのメッセージに、場所と時間の隔たりを越える価値を感じました。それは、自分のメッセージを呼びかける相手に対する真摯さなのだと思います。どうすれば相手に自分の言葉が届くのか、丁寧な考えが伝わってきます。
以下リンクより、是非ご一読ください。

https://r.binb.jp/epm/e1_140323_08042020091925/

[転載は以上]

私は、特に「2020年4月3日メルケル首相 再び国民への呼びかけ」の中の、次の一文を力強く受け取りました。

「以下転載」
あなた方の中には、今でさえ二週間以上もこのような多数の規則を守っているのに、これ以上続くのですか?と疑問に思う方もいらっしゃると思います。

そいいう疑問が出るのは分かります。それでも今日私がこの規制が取り除かれたり緩和される日程を明言して、結局は感染数から見て不可能になり、この約束を守れなければ、それは私の絶対無責任な行為になってしまいます。
もし私がその様な約束をした故に生じた希望を消滅させる結果になる場合は、医療上、経済上、社会面で悪い状態がさらに悪くなってしまいます。

しかし確実にお約束でき、お約束したいのは、どうすれば現実に両方を成し遂げられるか、連邦政府と私自身も昼夜考えているという事実に間違いない事です。
両方というのは、すべての人の健康保護だけでなく、公共生活が再び一歩一歩可能になるような一連のプロセスです。

私たちがその事を熟考しないとすれば、責任は取れません。
しかしそれと同じように、結局は現実にそぐわないような、はっきりとした終了期日を確約して、間違った希望を持たせることになれば、同様に無責任な事になってしまいます。
こういったこと全てを眼中に置いて、私は動いています。
これはヘラクレスのような非凡な英雄にしかできない課題です。

そしてあなた方、親愛なる国民の皆様は、あなた方と連邦政府と私自身がこの難行に立ち向かうべきだと、要求する権利があります。
そして私たちはまさにそうしています。お約束します。

正直に申し上げますが、この行為が今後もうまくいく為には、私はあなた方のご協力が必要です。あなた方が何週間も前からしてくださっている素晴らしい協力です。

私達の国で大多数の人々がしていることは、ただただ凄いです。
私達の国は、最良の面を誇示しています。
何回言っても言い切れませんが、私はその事に限りなく感謝しています。

今どういう状況にあるか私たちが規則、制限や禁止事項を守ることがなぜ必要なのか、絶対に必須か、を念頭におけば、協力がどんなに重要かが明白になります。
「以上」

2020年4月6日月曜日

IXY650の画像データをバックアップしました

妻から、妻のデジタルカメラIXY650の画像データをバックアップしてメモリカードを初期化してね、と頼まれて、お安い御用と作業を始めたのですが、何度Wi-Fiで取り込もうとソフトを起動しても、フリーズしています・・・、で暫く思案することになりました。

ようよう調べて分かったのは、セキュリティソフトがカメラとの通信をブロックしているという事でした。セキュリティソフトのファイアウィール機能を無効にして実行すると、フリーズすることなく取り込み作業を完了する事ができました。

ブラウザのブロックは、画面に警告メッセージが出るのですぐ気づくことができますが、他のソフトでも、視覚的に分かるように警告メッセージなど出して欲しいものです。
後、作業の終わりに、ファイアウォールの有効化しました。

2020年4月3日金曜日

高砂市長選、市会議員補欠選挙ですね。

私の回りでは、戸倉さんを応援する声が多いです。
でも立候補者お二人が訴えている政策を読んで、また神戸新聞に掲載された政策比較を見て、僕は北野さんに強いて言えば共感します。
戸倉さんは、「高砂創生、未来を拓く」として、高砂市の諸問題の全方向、いわゆる八方美人政策に思えます。
それに対して北野さんは、子育て・教育、医療・福祉、市民の市政参画と人に対する政策に思えます。
私は、今の高砂市民の生活が向上するなら高砂市を解体して、曽根・阿弥陀から以東は加古川市に編入、北浜は姫路市に編入するのも一案ではないか、と思います。

よく子育て・教育というけれど、のびのびと子供が育つ場所が高砂市にはありません。
今の高砂市は、海岸線はあっても工場地帯で市民の憩いの場ではなく、唯一の自然公園は鹿島神社と市の池公園だけです。自然が豊かとはほど遠い市です。
それに、子供がのびのびと遊べる公園が、島の運動公園以外はありません。新図書館のあたりにはスポーツができる公園があるけれど、それだけです。北浜なんて無いに等しい有り様です。
北浜に特化して言えば、隣地の大塩は、今後、津波などの自然災害を度外視するならば、山電以南は開発され賑やかになるでしょうし、それに伴い山電以北もそれなりに整備されるでしょう。大規模な公園もできるかもしれないし、海水浴のできる浜もあります。
大塩と一体になれば、大塩がこれから獲得するであろう可能性を北浜は享受できます。北浜は、その道を探るべきではないか、と思います。

曽根・阿弥陀以東は、若い世代を呼び込むベッドタウン化に特化すべきではないか、と思います。西友や高砂駅周辺などは、公園化する。大きなインパクトで、何も作らない、人間のためのスペースを作ることのほうが魅力的だと思います。

しかし、今回の選挙戦
戸倉さんは、高砂未来を開く会として立ち
北野さんは、高砂の明日を作る会として立っていますが
非常に分かりにくいです。私など、同じ会だとばかり思っていました。
小さな市で、それぞれが別の会を立ち上げ、議論を闘わせるでなく、それぞれが主張するばかりでは、まったく未来も明日も感じません。

それは補選においてもです。
議席数を減らすという方もあったのではないかと思います。

この市長選が、市民一人ひとりが市政の事に思いを寄せる機会に繋がればと思います。
市民一人ひとりが、自分の事として考えなければ、未来も明日もありません。

2020年3月18日水曜日

WHOが更新する新型コロナウィルスの流行情勢

世界保健機構WHOのホームページのリンクです。
このインタラクティブなダッシュボード/マップは、最新のグローバル番号とCOVID-19ケースの国別の番号を毎日提供します。
https://experience.arcgis.com/experience/685d0ace521648f8a5beeeee1b9125cd