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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2020年5月6日水曜日

デモクラシーの国の、リーダーの有るべき姿

新型コロナウィルスのパンデミックは、私たちに一つ、とても重要な事を気づかせてくれました。それは「リーダーの有るべき姿」です。

デモクラシーを標榜する国家において
平時にリーダーに求めるものは、誰もが活躍することができる社会を作り、それが維持出来るように見守ることです。それには公平さと愛と忍耐が必要です。
しかし有事にリーダーに求めるものは、先頭に立って、明確に進路を示し、切り開くために行動することです。それには、鉄の意志と真心と責任感が必要です。
ですから優れた真のリーダーには、平時にも有事にも対応できる特性を併せ持たなければなりません。しかし、そうでなくとも、局面に対応できる特性を持つ人がリーダーであれば、私たちは安心です。

しかし、私たちの国のリーダーは、
平時には強いリーダーを自ら名乗り、雄弁に美辞麗句を並び立てました。リーダーの公私混同や私利私欲がどんなに酷くても、世の中が回ってさえいれば、国民は目をつぶり穏便に済ませてきました。
しかし、未曾有の国難を前にしても、役人が用意した台本を棒読みするだけで、自らの意志を示す言葉を持たず、国民に寄り添う言葉を持たず、責任を負う意志を持たない、つまり「三無し」であることを私たち国民は見ました。

ドイツやイギリスの首相は、自らがウィルス感染の恐怖を経験し、この国難に共に戦う国民に、心からの感謝を示しました。
アイルランドの首相は、医師として医療現場に復帰しました。
台湾の総統は、流行する前に対策を国民に示し、優秀で意志の強い人材を対策チームに配置して、そのリーダーシップで国内の感染拡大を封じました。
日本よりもさらに個人の人権が尊重される韓国では、日本とは真逆の対策、誰でもウィルス陽性検査が受けられる対策で、感染の信頼できるデータを把握し、それによって感染拡大を封じました。

私たちの国のリーダーは、
もしかしたら、もっと崇高に、国民の命よりも国家の形、これまでと変わらぬいにしえからの器を残すことに重きを置いているのかもしれません。
しかし、繋ぐ人、紡ぐ人がいなければ、器は遺物でしかありません。
遺物はなくても、繋ぐ人、紡ぐ人さえいれば、さらによい器、いや、物ではなく精神を後の世に残せるでしょう。それが如何に、はるかに崇高であるかを、この国のリーダーを目指す人たちは学ばなければなりません。

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