播磨の国ブログ検索

パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2020年2月4日火曜日

凡庸な悪について考えさせられた小説「あん」

ドリアン助川さんの「あん」という小説読んだことがありますか?2011年の作品です。私はこの小説を原作とする2015年の映画作品「あん」を最近観て、小説に辿り着きました。

樹木希林さんの、小説の登場人物が憑依したかの様な、人としての権利をすべて奪われても、その苦しみが死ぬまで続こうとも、人への優しさを保つことで生きてこられた人物の自然な表現に、まるでドキュメンタリーを観ている感覚で心が揺さぶられました。

ハンセン病、日本では古くかららい病と呼ばれ、発症者は天からの刑罰が下されたとして忌み嫌われ続けた感染症です。そして1953年に発布された「らい予防法」によって発症者は国の主導で隔離されることになりました。

しかしその本質は医療政策とは程遠いもので、絶滅政策と見紛う程に発病者は人権を奪われ命を奪われました。

ハンセン病は不衛生な環境の中で感染する可能性のある感染症ですが、その感染力は非常に弱く、遺伝する事はなく、そして1940年代にアメリカで特効薬が開発されてからは、治療法が確立した完治出来る病気となっていました。

日本でも1960年には治療法が知られるようになって、その後に隔離された患者は全員完治しましたが、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで隔離政策は続きました。

隔離された人々は、社会から存在を抹消され、身一つで施設で新たに付けられた名前で隔離施設の中で死ぬまで生きなければならなくなりました。

患者同士の婚姻は認められても医療処置によって子供を授かることは叶いませんでした。隔離施設の中で声を上げれば、体制に反抗すれば、施設内の暗く冷たい独房に収監されて、狂い死に、否、狂い殺されることもありました。絶望から自死を選ぶ人もいました。

1996年に「らい予防法」が廃止されて、隔離という非道な人権侵害から解放されたものの、元患者は社会との繫がりをすべて失っていて、収容所(療養所)以外に安息の場所はないという現実に直面します。それ以上に日本人社会は未だハンセン病の正しい理解が何一つ啓蒙されておらず、迷信による差別意識が根深いことに直面します。

ハンセン病患者、元患者への非道な人権侵害は、第二次世界大戦当時のドイツ第三帝国によるユダヤ人などナチスが劣等人種と烙印を押した人種や、同じアーリア人の中で劣等と烙印を押された人々を強制隔離し絶滅政策を国家の行政政策として実行した、ホロコーストを彷彿させます。

鶏が先か卵が先か、ではないですが、国民の中に宿る差別や憎悪を指導者が利用して、差別や憎悪を煽動する政策を打ち出し実行することで支持を集めて権力基盤を盤石にしているのか、

指導者が権力基盤を盤石にするために国民の敵を作り出し、過剰な排斥政策を打ち出すことで、国民の中に排斥政策を否定できない空気を作り出し、国民を排斥の尖兵に、更に言えば指導者に妄信的に従うロボットに仕立て上げているのか

この様な事例は現在も枚挙に暇がないほどです。


ドリアン助川さんの「あん」は、新刊で発売された当時は注目されベストセラーにも選ばれたと思いますが、先日に大手書店で探したとき、幸運なのか不幸なのか1冊だけありました。

でも図書館や学校の図書館にも1冊は見つけることはできるのでは思います。

若い人たちには、自分に関わりのないこととして避けるのではなく、過去の語り部の言葉に触れて、本当に今の自分にも関わる事として、是非読んで、考えて、問題に思考を巡らせて欲しい、と強く願います。

過去の悪しき出来事を学んでも、自分の問題として考えない限り、悪しき出来事は新しい出来事として目の前に迫っています。

ハンナ・アレントが語ったように凡庸な悪人となってしまうのか良心に従って悪と対峙するか、抗うか、どういう者になりたいか、今こそ考えて欲しいと思います。私も生きている限り考え続けます。

2019年12月28日土曜日

昨日、公開初日の「お帰り寅さん」を観ました。

内容に踏み込まずに、感想を伝えるならば
夢心地を期待した映画鑑賞は
オープニングの歌で現実に引き戻され、でも
涙目で迎えたエンディングのまさかの歌で夢心地になれました。
そしてすべてを鑑賞し終えた時、感謝の気持ちが溢れ出て拍手をしました。

映画を観ての帰り道
考えてみれば、寅さんの映画って、けっこう時代の時々の社会の陰を描いていたなぁ、シリアスな物語が多かったなぁと思い至りました。
そのシリアスな物語の中で、悲しむ人、困っている人、悩んでいる人のところにフーテンの愚かな男が風のように現れて、愚直に寄り添い、一緒に怒ってくれる、泣いてくれる、笑ってくれる、それで最後に立ち上がる勇気を与えてくれる。今映画の中で歴代のマドンナの笑顔が溢れていましたが、皆を笑顔にしたのは寅さんでした。
その寅さんは、もう追憶の中でした会うことができないんだ、と映画を見終え実感しました。それは劇中の満男君も同じ思いではなかったかと思います。
そしてもう風に向かって寅さんの名を、伯父さんの名を呼びかけても・・・、という終幕に、思いもしなかったまさかの歌声、力強く優しい歌声、渥美清さんの歌声に感涙にむせびました。この為に、この映画が作られたのかと思った次第です。

追伸
アースシネマズ姫路のエントランス一角に、「寅さんサミットを龍野に誘致する会」によるたつの市観光PRのブースが設けられていました。そこで二人の寅さんと一緒に記念撮影しました。手元のカバンと、展示している衣装は松竹から借り受けた本物の映画小道具だそうで、年季の入った逸品でした。

2019年12月12日木曜日

否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦い

『彼の自由を拒む判決です。
表現の自由を妨げる判決と言う人もいる
でもそうではない。
私が闘ったのは
悪用する者からその自由を守るためです。
何でも述べる自由はあっても
嘘と説明責任の放棄だけは許されないのです。
意見は多種多様ですが
否定できない事柄があるのです。』

クリスマスに是非、観たい、観て頂きたい映画があります。
「否定と肯定」(原題:denial(否定)2016年 イギリス・アメリカ)です。

1993年、ユダヤ系アメリカ人でホロコースト研究家デボラ・E・リップシュタット(Deborah Esther Lipstadt)女史がホロコースト否認論者を非難する著書「ホロコーストの否定:真実と記憶への増大する攻撃(Denying the Holocaust: The Growing Assault on Truth and Memory. )」を出版しました。
その著書の中で、ホロコースト否定論者のスポークスマンと名指しされたイギリス人のナチス・ドイツ学者ディヴィット・アーヴィング(David Irving)が、イギリスの法廷に名誉毀損訴訟を起こし、前代未聞、名誉毀損裁判はホロコーストの真偽を争う裁判となりました。
そして2005年、この裁判に勝訴したリップシュタット女史が公判の回想録として著書「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦いHistory on Trial: My Day in Court with a Holocaust Denier.」を出版します。
映画は、この著書を原作とした歴史映画です。

リップシュタット女史は、ホロコーストは否定できない歴史上の事柄であり、ホロコースト否定論者がホロコーストの真偽について論争を挑んできても、けして挑発には乗らないスタンスを貫いていました。
しかし、狡猾に振る舞うアーヴィングは、遂にイギリス法廷に名誉毀損訴訟を起こし、リップシュタット女史を論争の場に引きずり出そうと企てます。
イギリス法廷は、アメリカと異なり、被告が立証責任を負わなければならない(この場合、名誉毀損に当たらないことを立証しなければならない)ため、裁判となればリップシュタット女史にとって非常に厳しく困難な闘いが始まることになります。しかし、女史から和解を求めれば、アーヴィング、延いてはホロコースト否定論者、歴史修正主義者、差別主義者を勢い付かせることになるために、女史は意を決して裁判に踏み切ります。

裁判の様子は、あらすじとなってしまうので省略します。が、この裁判から非常に重要なことが学べます。それは
ダブルスタンダードで事実を歪曲する者、オルタナティブ・ファクト(もう一つの真実)或いはフェイク(嘘)を主張する者と闘う心構えです。

一つは、決して感情的な訴えや記憶を頼りとする訴えはやってはいけないという事です。
敵はただ感情を煽り失言を引き出したり、また記憶の曖昧さにつけ込み、人格を否定したり事実の歪曲者という汚名をきせて容赦なく個人攻撃を仕掛けてくるからです。心が強じんでない普通の人間にとっては殺されるに等しい辛さです。

二つめは、どんなに時間や労力が掛かろうとも、敵のできうる限り過去までさかのぼり、すべての発言、発表した著書、そして論拠とするものを丹念に調べ上げ、明らかな嘘、虚偽、改ざん、隠蔽を実証すること、その実証結果を、冷静に公に示す事です。
敵は、どんな実証結果を突きつけられようが、けして認めることはないでしょう。
しかし、傍観者である世論の目を覚ますことができます。善良で無知な人々に真実を示す事ができます。

三つめは、この非常に険しく困難な闘いには、決してゴールがないという事です。
敵の主張は口先だけで、労力は一切かからず、それは決して止むことがありません。
そして敵の目的は、その主張を流布して、善良で無知な人々を惑わし、その主張の信奉者に仕立て上げることです。そして信奉者のリーダーとして権力を握ることです。
闘いに躓けば、諦めれば、敗れれば、真実は歴史から抹消されてしまいます。そして真実を知る者にとっては悪夢が再来することになります。
ですから、この真実をめぐる戦いには終わりがないということです。

そして、この三つの心構えで真実をめぐる闘いに挑むには、助け合える、協力し合える、信頼できる、仲間が必要です。そして、闘いを持続するためには、新しい仲間を育てることが必要です。

リップシュタット女史は、素晴らしく優秀で根気強く誠実な弁護士チームが、アーヴィングの明らかな嘘、虚偽、改ざん、隠蔽を実証し、その実証結果を、冷静に公に示した事で、この裁判に勝訴しました。
そして一つめの心構えを守り、沈黙を続けたリップシュタット女史が、勝訴の会見で、初めて公に語ったメッセージが、冒頭の言葉です。

特に
『私が闘ったのは
悪用する者からその自由(表現の自由、言論の自由)を守るためです。
何でも述べる自由はあっても
嘘と説明責任の放棄だけは許されないのです。』
の行が、高らかと心に響き渡ります。

ホロコースト否定論が、頭をもたげだしたのは1970年代の初め頃からだと言われます。
敗戦国として、またホロコーストを実行した国として、止むことのない糾弾に晒され続けたドイツやオーストリアで、戦後の新しい世代から、ホロコーストへの疑問、殺戮の規模への疑問、そしてホロコーストを流布し自分たちを苦しめ続ける者への憎悪、等々が立ち上ります。
それらがオルタナティブ・ファクト(もう一つの真実)やフェイク(嘘)を信奉するという行動へ向かわせたのではないかと想像します。

そして、真実をめぐる闘いは、ホロコーストだけにとどまるものでありません。
現代社会においては、ありとあらゆる事柄が、オルタナティブ・ファクト(もう一つの真実)やフェイク(嘘)に包まれる事態となりました。そして各自が、自分に都合の良いもう一つの真実や嘘を信奉して、身勝手な行動、不道徳な行動、犯罪行動を躊躇することなく行う様になりました。それは権力者も、そして市井の人々も同様にです。

この様な事態に、私たちはどの様にして真実をめぐる闘いに臨めばよいのでしょうか。
こういう暗い気持ちになった時、イエス・キリストを思います。
イエス・キリストは、支配と腐敗の蔓延る時代にこの世界に現れて、苦しむ市井の人々に癒やしや施しを与えながら、神の下では人みな平等であることを説きました。と同事に、たった一人で腐敗する権力者を言論で糾弾しました。そのために腐敗した者たちに磔に処せられました。しかし、イエス・キリストの行動や教えは、2000年の時を経て、今も何億、何十億という信奉者、信仰者を育んでいます。
ですから、イエス・キリストの行動や教えに従うならば、

腐敗や不正と闘うことを決して諦めないこと、
腐敗や不正に飲み込まれないように自らを律し続けること、
そして、病気の人、怪我をした人、不利益を被っている人に寄り添い、手助けをすること。
自分のできうる範囲で、できうる技術を、知識を、才能を、役立てること、提供すること
ではないかと思います。

これこそ真に、サンタクロース精神の実践ではないかと思います。

※追伸
説明責任について、アメリカンセンタージャパンというサイトに説明がりましたので、転記させて頂きます。

アメリカ大使館が開設しているアメリカンセンタージャパン
https://americancenterjapan.com/
知る・調べる
https://americancenterjapan.com/aboutusa/
国務省出版物
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/
国務省出版物
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/
政治-民主主義の原則
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3078/#jplist
民主主義の原則 – 政府の説明責任
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3093/

民主主義の原則 – 政府の説明責任
政府の説明責任とは、公選・非公選を問わず公職者には、自らの決定と行動を市民に対して説明する義務がある、ということを意味する。政府の説明責任を実現するため、各種の政治的・法的・行政的な仕組みが使われる。これらの仕組みは、腐敗を防止し、公職者が市民の声に反応できる、身近な存在であり続けることを目的として作られたものである。このような仕組みがなければ、腐敗がまん延するかもしれない。

2019年12月1日日曜日

桜を見る会の不都合な真実

次々に桜を見る会の不都合な真実が明るみになっても、悪びれることなく堂々と隠蔽が行われ、あったことが無かった事になる今の日本の状況は、まさに軍閥が国の実権を握り、国民だけでなく天皇までも欺いて、戦争に邁進させた戦前の日本の状況を彷彿させます。

為政者というものは、ひとたび高みの景色を眺めれば、つまり権力の上に立てば、たとえ根が善人であったとしても、一度手にした権力やそれに付随する利権の味に溺れて心が苛まれます。私たちはか弱き人間なのだから、ある意味仕方がない事です。
だからこそ、日本の国家権力は三権に分離されているのです。
でも、いや、分離されていた(過去形)が正しいか。いつの間にか、首相を長とする内閣府が、行政を司る官僚の人事を握り、司法の要である最高裁人事も掌握していました。
まして立法府は、衆議院、参議院とも安倍首相率いる自民党が最大勢力で、我が物顔の振る舞いです。

森友学園問題、加計学園問題の時もそうですが、不正の隠蔽工作、破棄工作で尻拭いをさせられる官僚の姿には、アドルフ・アイヒマンの姿が重なります。
アドルフ・アイヒマンはヒトラーの命令に従い、約600万人を超えるユダヤ人、ロマ人、同じアーリア人でも優性ではないと判別された人(障害者や現在でいうLGBTの人々)、ヒトラーに逆らう人、の大殺戮(ホロコースト)を指揮した官僚です。
アイヒマンは、戦後アルゼンチンに逃亡しますが、モサドに捕まりイスラエルに連行されて、1961年に裁判に掛けられます。
その裁判を傍聴した人々は、「私はただ上官の命令に従っただけだ」と無罪を主張するアイヒマンの姿に、冷酷無比の殺人鬼が、実は全く平凡な小役人だったことに驚いたといいます。この裁判を傍聴した哲学者ハンナ・アーレントは「悪の凡庸さ」(悪魔的行為の実行者が、個人的にはなんと平凡な人間であったか)という、アイヒマンが悪に染まったのは何もアイヒマンが特別であったからではない、という思惟させる言葉を残しています。
またアメリカの作家ギュンター・アンデルスは、
「アイヒマン問題は過去の問題ではない。我々は誰でも等しくアイヒマンの後裔、少なくともアイヒマン的世界の後裔である。我々は機構の中で無抵抗かつ無責任に歯車のように機能してしまい、道徳的な力がその機構に対抗できず、誰もがアイヒマンになりえる可能性があるのだ。」という言葉を残しています。

ヒトラーの配下で高い地位に登り詰めた政治家ヘルマン・ゲーリングは次の言葉を残しています。
「もちろん、一般の国民は戦争を望みません。…でも指導者にとって、戦争を起こすことはそれほど難しくありません。国民に向かって、我々は今、攻撃されているのだと危機を煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたは、どんな国でも有効です。」
またヒトラーが語った言葉として
「青少年に、判断力や批判力を与える必要はない。彼らには、自動車、オートバイ、美しいスター、刺激的な音楽、流行の服、そして仲間に対する競争意識だけを与えてやればよい。青少年から思考力を奪い、指導者の命令に対する服従心のみを植え付けるべきだ。国家や社会、指導者を批判するものに対して、動物的な憎悪を抱かせるようにせよ。少数派や異端者は悪だと思いこませよ。みんな同じことを考えるようにせよ。みんなと同じように考えないものは、国家の敵だと思いこませるのだ。」
も残しています。
私は、ゲーリングの残した言葉と、日本の今の状況が重なります。

どうぞ、不都合な真実を知る人たちへ、不正の証拠を握る人たちへ、悪に麻痺しないで下さい。どうぞ、あなたの愛する子や孫の顔を見て、純粋な心、正義の心を取り戻して下さい。そして、憲法が標榜するデモクラシーを守る者に立ち返って行動して下さい。
と、ただただ良心に訴えるしかありません。

東北の芋煮会?

ちょうど1週間になりますが、先週の日曜日11月24日(日)に一本松芋煮会を行いました。
10月の祭の時に、次はマー君が育てた芋で芋煮会をやろう!という話となって、それからはいちゃさんの音頭で、賑々しく芋煮会の準備が進められました。

準備の話し合いは、グループLINE上で行います。
そして、
・11月24日(日)雨でも決行、集合は8時半
・芋煮は、芋煮のメッカ山形風の醤油味→こちらはぼーさんからの強い希望?
・青を招待→最初は意味分かりませんでした
で、当日を迎えました。

8時半、主のいないカンチャンの家の庭(カンチャンは残念ながら仕事で欠席)に集合しますと、すでに本日の主菜である里芋、安納芋がたんまりと運び込まれていました。マー君が丹精込めて作った芋達です。そしておくどさん、本日のもう一つの主役です。

万ちゃんと私で副菜をマックスバリューに買い出しに行き、
残った連中で、
・おくどさんの火入れ
・バーベキューの火起こし
・里芋の皮むきと煮始め
・マー君手製のいぶり壺の設営と、安納芋のいぶり始め
を行いました。
そして、ほぼ食事の準備が整ったころあいで、カズヤと本日の賓客であるひがっしょの連中7名を迎えに行きました。

ひがっしょの連中とは、東ノ町出の中学の同級生です。
祭本宮の日に、いちゃさん、ぼーさん、マー君が宮をうろついていて、ひがっしょの魚ちゃんに出会ったことから、ひがっしょ連中の寄り合いに招かれ?、その返礼として、芋煮会にひがっしょの連中を招待することになったのです。ちなみにひがっしょのカラーは青です。ですから以降、青の連中と呼称します。

そして11時過ぎに、テーブルセットも整ったところで、北脇一本松連中主催の「東北の芋煮会?」が賑々しく始まりました。
まずは献盃です。
青の連中で、わかいころに旅立ってしまったむーさん、
青の連中でも、一本松でもないけれど、みんなの記憶に残る、そして二十歳そこそこで旅立ってしまった西浜のますき君
そして今年旅だった一本松のたくろうさん
に献盃しました。

芋煮の汁の味付けは、いちゃさんからのご指名で、不肖ながら私が担当しました。山形の芋煮のビデオをYouTubeで見、様々なレシピサイトも見て回りまして、最後に行き着いたのが、料理研究家土井善晴さんのレシピです。

※みんなのきょうの料理
https://www.kyounoryouri.jp/recipe/13984_%E8%8A%8B%E7%85%AE.html

そのレシピを元に、当日4時にグループLINEで以下の分量を流しました。

『◎芋煮
12人分

◎材料
里芋 24コ
牛切り落とし肉 600g
こんにゃく 2枚
ごぼう 2本
ねぎ 4本
人参 2コ
椎茸 4コ
ちくわ 4コ

◎煮汁
醤油 お玉1杯
みりん お玉2杯
出汁 お玉3杯
酒 400cc

水 2400cc
みそ 160g

◎下ごしらえ
・里芋は、ぬめりをださぬよう、洗わずに根元の固い部分を切り落とし、革をそげてむく。全部むけたらきれいに洗う
・こんにゃくは、一口大にちぎって水から茹で、煮立ったらざるに上げる
・ごぼうは表面の薄皮だけをたわしで洗い、大きめのさきがきにして水にさらす 10分
・人参、椎茸は乱切り
・ねぎは2㎝に切る

◎調理
①里芋を柔らかくなるまで茹でる あくをしっかりと取る
②鍋を空にして、肉を炒める、最後にみそを加えて香ばしくして、取り出す
③水を入れ、里芋、こんにゃく、ごぼう、人参、椎茸を入れて煮る アクを取る
④煮立っていたら、肉とねぎを加える
⑤味をみながら煮汁を加える

完成』

しかし、早速マー君からクレームが入ります。
里芋24個は少な~い!!!
俺の芋は灰汁はでな~い!!!
と・・・

そして、水2400ccと煮汁の元を作って持って行ったのですが
おくどさんには鍋一杯に芋と水が張っていて、水の量も分からず終い
煮えたぐるおくどさんから必死で灰汁を取り続け、頃合いを見計らって煮汁の元と酒(ワンカップ二本)を加えました。
最後は、ぼーさんが味噌と醤油で匙加減をしてくれまして
たかちゅん曰く「めっちゃ美味い!!!」
芋煮が完成しました。

バーベキューでは
秋の味覚、秋刀魚と牡蠣が好香を放ち、肉は香ばしさを放ちます。
後、もう一品として、家で作ったニンニクのオイル漬け(オリーブとバジル、唐辛子で漬けました)で、イカとベーコン焼きを作りまして、これも好評でした。
最後に、卵を焼き
デザートには
隣りの畑に成る柿を幾つかもらい
マー君のあんまい安納芋をほくほく頂き

と
深まる秋の一日を存分に楽しんだ次第です。

追伸.
以下の写真は、グループLINEからの転載です。撮影者は、ぼーさん、いちゃさん、まんちゃん、そして私です。



2019年11月22日金曜日

クリスマスの夜に

明日、加西市立図書館で行うおはなし会は私が担当です。
ちょっと早いですが、読みきかせ本のテーマは「クリスマスの夜に」です。

クリスマスというのは、クリスチャンになる前の私にとっては単なる季節行事の一つに過ぎませんでした。24日のクリスマスイブの夜の賑わいがハイライトで、25日のクリスマス当日には街の装いがクリスマス飾りから正月飾りに様変わりするように、クリスマス気分は終わっていました。ですからクリスマスの夜は、残ったケーキの如く名残の夜でしかありませんでした。

でも本来、といいますか教会暦では、クリスマスイブ(Christmas Eve(Evening))がその名の通りクリスマスの夜を指していました。
私たちが日常使っている暦では、一日は真夜中の午前0時から始まります。でも教会暦では一日は日没から始まります。
信仰深い人々の、一日の恵みに感謝する静寂で神聖な夜が始まり、英気を養い、生気を満たし、新たな日の出から日没までの日中に太陽の光の下で恵みを得る為に働くという生活様式が偲ばれます。
そしてクリスマス、キリストの降誕を祝福する祭は、現在も24日(教会暦では25日)の静寂で神聖な夜(Silent night, holy night)に厳粛に行われます。

余談ですが、聖書にはキリストの降誕についての記事はあるものの、その日はもとより季節についても明記はされていません。現在のクリスマスは、古代の太陽の復活を祝う冬至祭が転用されて、西暦350年頃には行われていたと云われます。
余談は続きますが、昨今乱痴気騒ぎが過ぎるハロウィンですが、こちらもクリスマスと同様に古代の冬の習わしが起源であると云われます。
現在のヨーロッパの北部に居住していたケルトの人々は、長い冬が始まる11月の最初の夜に、一年の実りの感謝と、厳しい冬からの加護を願い土着の神に祈りを捧げたと云います。一日は教会暦と同様に日没から始まるため、11月1日の夜が聖なる夜、Hallow Eveです。
そのケルトの人々がアメリカに渡り、アメリカの新しい季節行事として根付いたのが10月31日に行われるハロウィン(Halloween)です。

もとにもどりまして・・・
「クリスマスの夜に」として読みきかせを予定している本は
「クリスマスのおくりもの」(コルネリス=ウィルクスハウス作 リタ=ヴァン=ビルゼン絵 高村喜美子訳)です。
聖書のマタイの福音書に記される東方の三博士の話を元に創作された物語です。
この世から憎しみをなくし、人々が仲良く幸せに暮らすために来て下さる神の子、ほんとうの王様の誕生を祝福する物語です。と同事に、ほんとうの王様が良しとされる人間が尊ぶべき行為が描かれた物語でもあります。
人間が尊ぶべき行為とは、他者を慈しむ心を育み、言葉で愛や感謝を伝え、行動で手伝いをしたり、施したり、他者の立場に立って行動することです。
これはサンタクロース精神にも通じます。
サンタクロースの起源は、四世紀に実在したニコラウスという聖職者の行為です。ニコラウスは貧しい人々に施しを行い、没した後に列聖されて聖(セント)ニコラウスとなりました。このセント・ニコラウスの行為がいつしかサンタクロースという固有名詞に変化したと云われます。
ですから、たとえトナカイやソリが無くても、白いお髭を生やしたお祖父さんでなくても、赤い服を着ていなくても・・・
子供でも、男でも、女でも、誰でも、サンタクロースになれるという事です。
「他者を慈しむ心を育み、言葉で愛や感謝を伝え、行動で手伝いをしたり、施したり、他者の立場に立って行動する」
これであなたもサンタクロースになれるのです。

2019年11月11日月曜日

笠形山扁妙の滝

兵庫県神河町にある笠形山扁妙の滝です。
11月4日に妻と滝道を歩いて、眺めてきました。
滝道は、ガレ場のようで足場が悪く、ところどころに落石注意の看板があり、おっかなびっくりで歩きました。でも、滝は本当に見事でした。
心洗われた森林浴となりました。

神河町観光ナビ-滝-扁妙の滝
https://www.kamikawa-navi.jp/guide/spot/828
を見ると、落差が65mもあるんですね、でも下は濡れた岩場でちかづくことは出来ませんでした。冬は全面が凍結するそうです。見てみたいですが、しっかりとした冬山の装備をしなければ近づけそうにありません。