大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
播磨の国ブログ検索
藪の中
先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...
2011年10月31日月曜日
第36回鹿島中文化祭 3年劇、本当に楽しみました。有り難うございます。
館内に映画『シンドラーのリスト』メインテーマ曲が流れ、スクリーンにホロコーストの映像が映し出された。
オープニングから胸がグッと熱くなりました。
そして、照明が落とされた館内、観客席の通路にスポットライトが当てられ、ユダヤ人の群衆が、ドイツ兵に追い立てられるシーン、そして物語は始まった。。。
金曜日、鹿島中第36回文化祭、体育館で行われた午前のプログラムを観賞しました。
最初のプログラムは1年生合唱、
軽やかな歌声が館内を巡ります、そして指揮もピアノ伴奏を生徒です。プロ裸足、これが今風なんですね。。。
ふと中三の今は無き大塩中学校の音楽会を思い出しました。
担任は、剣道部の顧問スケゾウ先生、私たち剣道部員に対して『お前ら、叫ぶように歌えェ~!』と送り出され、私は男女が左右に分かれた中央前に位置して、合唱曲『太陽がくれた季節』を叫んで歌いました。
サビの部分『君も今日からは僕等の仲間』と歌うところを『君は』と歌い出してしまい、『あっ、間違えた、君もや!』と叫んで歌い直しましたが、その後はもう完全に舞い上がってしまいました。頭にあるのは『とにかく叫んで歌わなあかん』でした。そして、2番でも同じサビの部分を同じく間違え、同じく歌い直しました。
講堂に詰めた家族達の前から後ろに笑いが広がっていくのが見えました。また舞台に上がったクラスの連中も私が2番を間違えたところでもう誰も歌わず笑っていました。
全てが終わって、1位2位と発表された後、生徒会特別賞として生徒会長兼剣道部主将のボテが『喉が渇いたで賞』を私のクラスに授けてくれました。
スケゾウ先生は、なにも言わずただ笑っていただけ、であったように思います。
話が逸れてしまいました、戻ります。
披露された4曲とも、これまで聴いたことのない?歌と思うのですが、
1組が歌った『旅立ちのとき』は、映画『もののけ姫』の世界感に通じるなぁ、なんてふと思いました。
そしてプログラムは3年劇、
3組の『ゆうたっちょの中学生絵日記』
消極的な少年と中学を卒業したら花火職人の道に進むちょっとやんちゃな少年を中心とした中学3年生時代の物語です。
秀逸だったのは、事件が起こる度に、先に消極的な少年の勇敢な妄想が演じられ、そして辛い現実に戻って話が進むという演出です。そして、少年達の心の叫びを、舞台の袖付近でスポットライトに当てられた少年達が観客席に向かって叫ぶのです。
また、3組は体育大会のクラス対抗で最下位でした。その自慰的な台詞が挿入されていたので、思わずクスッとしました。
合唱でも感じましたが、舞台で演じる事への怖さ、緊張がなく、本当にはじけて楽しく演じている彼らがとても逞しく思いました。
4組の『アウシュビッツの灯火』
前文で書いたように、ホロコーストの時代、人の子の『良心』と『尊厳』を描いた、とてもシリアスで、またメッセージ性の強い舞台でした。
まず、演出が素晴らしかった。冒頭のスポットライトに照らされるシーンは、まるで寒々とした収容所内で刺すようなサーチライトに怯える囚人になった様に思えました。
そして、演じる生徒達の朗々とした潔さです。
ラストシーン、一人のドイツ人将校によってかくまわれ、強制収容所からアウシュビッツのユダヤ人処分場へ送られなかったユダヤ人少女の目前で、その将校が殺され、その将校を殺害した自戒で良心に眼が醒めた別の将校が自分の盾となり殺されます。
少女は、その死によって、自らの命の『尊厳』を取り戻し、銃口を前にしても恐れることなく死に向き合います。
本当に素晴らしい作品、そして演技でした。4組のみんなに感謝です。
1組の『We Are 3-1』
気が抜け、気持ちがばらばらのクラスに、一人の天真爛漫な若い女性教師(藤原先生?)が担任を受け持ちます。
クラスの中にダンスに夢中になっている少女がいます。藤原先生?は彼女の熱中さを見て取り、これぞクラス団結の一助と閃き、文化祭のクラス演目として提案、そして文化祭に向け、ダンスに取り組んでいく中で、クラスがまとまっていく。。。
台詞が、普段の生徒達の日常会話そのままのように自然で、生徒達のちょっとした辛さ、可笑しさを垣間見るようで微笑ましく思えました。
2組の『男でしょ!』
こちらは、昨日まで女子校であった高校が舞台で、新しく数名の男子生徒が入ってくるところから物語が始まります。
2組の演技の見所は、
息の合ったチームプレーです。女子達のペチャクチャ話から調子を合わせた歓声、そのキャピキャピとした演技はとても溌剌としていました。そして、女装した男子の演技、堂に入った演技でわらかしてくれました。
物語は、最初『ひ弱』と揶揄された男子が、料理上手であり、また真面目でとてもクラスの仲間思いである事が分かり、ついには女子を含めて、クラスが一つにまとまっていきます。
男子の演技が、とても『ナヨナヨ』していて、本当に『みんな役者やのぉ~!』と感じ入った次第です。
我が息子、耕太郎も舞台に上がっていたらしいのですが、結局分からず終いです。
彼はどこで何をしていたのやら???
2011年10月30日日曜日
『コンピュータウィルスについて』
最近、衆議院サーバーを標的とした、また防衛産業の機密データが格納されたサーバーを標的とした『サイバー攻撃』のニュースを読むにつれ、日本の防衛・防御に対する意識の低さは、憂慮を越えて危機的状態に陥っていると感じます。
日本の国家、政の中心である国会議事堂内の衆議院サーバーが何ものかに乗っ取られ、また軍事機密、或いは海外との密事が抜き取られた?かもしれない事態であるのに、被害の程度を小出しするだけで、危機を自ら発信するでなく、ひたすら自らの落ち度を隠そうとしているとしか見えないのです。
今回の衆議院サーバー乗っ取り事件では、
悪質なウィルス、マルウェアとして
『キーログ』、『インプラントjpeg』、『ボット』そしてコンピュータ制御システム(OS)の脆弱性が悪用されたようです。
『キーログ』とは
キーボードを打鍵してコンピュータに入力した情報を、平文で全て記録するソフトの総称です。コンピュータでは、例えばサーバーにログインする画面で、利用者ID、パスワードを入力すると、その入力データをOSが受け取り、OSは通信を担うソフトにデータを渡し、ソフトは通信手順・暗号化手順に従ってサーバーに暗号化されたデータを送信します。
OSの脆弱性を突いて『キーログ』が仕組まれると、暗号化される前のキーを打鍵した平文の入力データが全て記録されます。通信機能が合わされば、どこにでも記録を送信します。
先の例で、もしサーバー管理者が管理者権限でサーバーにログインするためにID、パスワードを入力すると、その時点で、サーバーを乗っ取るのに十分な情報が悪意ある者の手に渡るのです。
『インプラントjpeg』とは
見た目は静止画像ファイルです。jpegはパソコンのごく一般的な画像ファイルの形式ですが、『インプラントjpeg』は、jpegの中に別のオブジェクトを格納します。
格納されたオブジェクトが、マルウェア本体であったり、マルウェアを外部から呼び込むスクリプトであったりすると、インプラントを取り出すソフトを実行した時点、或いは画像ファイルを開こう(画面に表示する)とした時点でマルウェアが実行し悪意あるウィルスに感染することになります。
『ボット』とは
コンピュータを遠隔操作するためのロボット兵士ソフトです。マルウェアである『ボット』に感染するとコンピュータは『ボット』に乗っ取られます。
そして、ネットワークを通じて次々に感染したコンピュータは、通称『ボットネット』或いは『ゾンビ・アーミー』と呼ばれ、一つのネットワークが丸ごと乗っ取られることになります。
支配者、通称『ボットハーダー』は、外部から『ボット』を通じて、コンピュータをネットワークを思うがままに操ることが出来ます。
コンピュータ制御システム(OS)の脆弱性の悪用とは
大まかな話です。
例えば、コンピュータに10の機能があるとします。
5は、公開された機能(マニュアルに記された機能)
3は、隠し機能(マニュアルに記されていないシステム運用者、開発者向け機能)
2は、未完の機能(今システムのリリースで完成できなかった未完の機能)
です。
ソフト(プログラム)開発は、開発手順がシステム化され、多くの工程は自動化されているものの、根幹は人の手によります。何百万ステップを超える巨大なソフト、OSには少なからずバグ(プログラムの誤り、脆弱部分)が内包されます。
このプログラムの脆弱部分や、隠し機能或いは未完の機能をコンピュータのバックドア(鍵のない裏口)として、悪意あるソフトは外部と密かに通信します。
この度の衆議院サーバーの乗っ取りを検証してみます。
(但し、あくまでも推測です)
衆議院サーバーなど高度な機密を保持するネットワークシステムは、外部との通信を検閲するファイヤーウォール(防火壁)・コンピュータの内部にあります。表面的には幾十にもセキュリティが掛けられているはずです。
①議員A氏に、支援者と称するXからメールが届きます。画像ファイルが添付されています。
⇒添付された画像ファイルは『インプラントjpeg』、悪意ある者Xからの『トロイの木馬』攻撃です。
②A氏は、添付ファイルをクリックして画像を表示します。
⇒画像ファイルにインプラントされたスクリプトを実行、スクリプトにしたがって、外部からバックドアを通りマルウェア(『キーログ』と『ボット』)をダウンロードし、起動します。
③『ボットハーダーX』は、『ボット』にコンピュータのアドレス帳を利用して全ての宛先に複製を送信する指示を与え、『ボット』はA氏になりすましてメールを送信する。
⇒次々に感染したコンピュータ『ゾンビ・アーミー』となって、Xの支配下に置かれます。
③利用者がキーボードから入力した情報は『キーログ』が全て記録し、Xに記録データを送信します。
⇒Xは、記録データから管理者IDやパスワードなど欲しい情報を取り出します。
④『ボットハーダーX』は、『ボット』を通じて遠隔操作でコンピュータを操作し、機密データを抜き取ります。
以上が推測のストーリーです。このストーリーは、『』のキーワードを元に、姫路ジュンク堂のコンピュータ欄にあったハッカー入門、セキュリティ管理、ウィルス作成等の書籍を立ち読みして得た少ない情報で描いたモノです。
もっと高度なコンピュータやネットワークの知識を持つクラッカー(悪意を持ってコンピュータに侵入し、盗んだり破壊する者の総称)などは、IDやパスワードなどなくても、コンピュータ制御システムの根幹の脆弱性(開発者も気付かない)を突いて侵入し、コンピュータを乗っ取ります。
私たちは、『便利さ』『速さ』『楽しさ』そして『共有』の名の下にインターネットに常時接続されたコンピュータを何の疑念もなく使っています。
もし、悪意ある者が『アプリ』の裏に潜んでいようものなら簡単にコンピュータを乗っ取られてしまうのです。家庭のパソコンもしかりです。
ですから、コンピュータ利用者は、自己責任がついてまわる、という事を肝に銘じてコンピュータを利用しなければいけない事態なのです。
さらには、衆議院サーバーなどの機密性の高い情報を保持するコンピュータは、極論を言えば、現状ではインターネットに、否ローカルネットワークにさえ接続してはいけないのです。
機密性の高い情報は、たとえ不便でも物理的な堅牢な錠前が掛かった金庫部屋にしまい、取り出しは保守員が行う、という手段しかない、と考えます。
また、アメリカの情報機関や国防省が行っている様に、元ハッカーやクラッカーを雇い入れて防御員としての活躍を与える、という方法も有効です。彼らは天才です。IT企業の何万というSEやプログラマーが束で掛かっても彼らに太刀打ちできないでしょう。
もしくは、ネットワークとコンピュータをもっと機能を限定した単純なものに戻すという方法も有効だとも思います。単純さは複雑な思考を受け付けません、抜け道を持たないからです。
等々、等々
そろそろ、セキュリティも発想転換が必要です。
今朝も夢を見ました。。。-季節は『冬』に向かいます-
お早うございます。
雨音で眼が醒めました、穏やかで温かい雨音。。。
まるで早春の雨の様で、つい数日前の冷え込みがウソのようです。
でも、こうして日一日、寒暖を繰り返し季節はゆっくり冬へと移ってゆくのですね。
今朝も夢を見ました。
『ふと気付くと、先ほどまで雨であった外の風景が、雪景色に変わっており、雪は尚も西風に乗って横殴りに降っていた。
全く音のない静寂の世界で。。。』
二十歳の頃、冬休みが終わって金沢に戻る道中、琵琶湖、湖北で雪国との境界を覚えました。
それまで頭上には陽光が降り注いでいました。しかし、天上を南北に二分するかのように重たい灰色の雲が湖北を境に北を支配し、地上にもラインを引いたかのように、その雲の下からくっきりと白い世界が広がっていました。
最近、ある事象に出会うと、その事象に関連性のある大昔の記憶が鮮やかに甦ってきます。年をとったのだな、とつくづく思います。
2011年10月29日土曜日
本日、第29回全日本少年軟式野球大会高砂予選が行われます。
今日は、向島球場で
第29回全日本少年軟式野球大会高砂予選が行われます。
今朝、藤原監督から
『まず、一勝』
というメールを頂きました。
鹿島中野球部のみんなが素晴らしい空の下で溌剌とプレーし、勝利を手にすることを願っています。
おっちゃんは仕事のために観戦は叶いませんが、サユリスト吉永さんの写真アルバムで試合を追随させてもらいます。
頑張れ~!楽しめ~!
第29回全日本少年軟式野球大会高砂予選が行われます。
今朝、藤原監督から
『まず、一勝』
というメールを頂きました。
鹿島中野球部のみんなが素晴らしい空の下で溌剌とプレーし、勝利を手にすることを願っています。
おっちゃんは仕事のために観戦は叶いませんが、サユリスト吉永さんの写真アルバムで試合を追随させてもらいます。
頑張れ~!楽しめ~!
こんな夢を見た。-『原子力について』-
こんな夢を見た。
『見慣れた公道を目一杯のスピードで車を走らせている。
私は但ハンドルを必死で操作してるだけ。。。』
お早うございます。
朝、ソフトボールの試合があるさくらを車で学校まで送っていく最中、ふと夢の話を思い出しました。
随分昔、二十歳の頃だと思いますが、友達に借りたオフロードバイクで林道を走り、下り坂の度にアクセルを吹かして、迫り来るカーブを注視するスリルに夢中になった事があります。今思えば、スリルという『快感』は『死』と表裏でありました。
ただ、今朝覚えた夢は、別の理由から見た夢だと思いました。
それは、
26日に加古川ウェルネスパーク図書館で借りた、池澤夏樹著『春を恨んだりはしない』のある一文が強く心に残ったからだと思いました。
『春を恨んだりはしない』は、3.11以降池澤さんが震災を巡って考え記されたエッセイ、コラム集です。
そしてその心に強く残った一文の引用です----------
『7.昔、原発というものがあった
・・・
ディーゼル・エンジンは二十四時間ずっと燃料となる重油を外から供給し続けてやらなくては動かないが、原子炉の方は年に一度の補給だけで熱を出し続けるのだ。言ってみれば、原子炉というのは下りの坂道に置かれた重い車である。必要なのはブレーキだけで、アクセルはいらない。いかにゆっくりと安定した速度で坂道を降りさせるかが問題なのであって、無限の熱源である炉の周囲にあるのはいくつものブレーキである。すべてのブレーキが壊れれば炉は暴走をはじめるだろうし、その場合に燃料を断ってそれを止めるということはできない。
・・・』
以上、引用----------
私たち人類は、20世紀の飛躍的な文明発達をもたらした化石燃料(石油、石炭、天然ガス)の枯渇問題、或いは化石燃料供給国、需要国のパワーバランスの問題、そして無限エネルギーとしての原子力への渇望から原子力発電へと踏み出しました。
しかし、池澤さんが端的に表現されているように、私たちはそれをまったくコントロールできないのです。『完全に止める』ということ、そして『不要物を無毒として破棄する』ということができないのです。
まさに、『無限の力を得る』は『永遠に怯える』或いは『永遠に従う』の表裏だと思います。
私は、奴隷として『生』きたくはないし、また望まない『死』もお断りです。
たとえ貧乏のままでも、豊かな希望、『生』に向かって歩んでいたいし、最後の時は、自身で『死』を受け入れ大いなる存在の一部に帰りたいと思います。
2011年10月28日金曜日
『流れ星』見ました(*^_^*)
お早うございます。
五時に起き、新聞を取りに外に出ますと、空気は澄み、そして満天の星ははっとする程に輝いていました。
暫し空を見上げていますと、一筋の光が天上から東に流れました、『流れ星』です。
嬉しさが込み上げました、今日も何か良いことがありそうです、感謝。
2011年10月27日木曜日
秋空の下で『エデンを遠く離れて』を読みました。
昨日は、秋空の下、野外で読書を楽しみました。
午前中に加古川ウェルネスパーク図書館で、池澤夏樹さんのエッセイ集『エデンを遠く離れて』を借り、そのまま自宅に戻ろうと車に乗り込みましたが、何かしっくりせず、車を降りて、風景に誘われるままにウェルネスパーク内の芝生斜面を下り、広い芝の公園内を歩いて、外れのベンチに腰掛けますと、空が大きく広がって見えました。
暫く両足を前に突き出して、お尻を浅くして座っていますと、強い日差しに顔面が痛熱くなりましたが、時折吹きつける寒風が、瞬時に冷やし、カラッとした心地よさを与えてくれます。
そこで読書をすることにしました。誰もいない広い公園を独り占めするようにして、二時過ぎまでベンチに腰掛けて、『エデンを遠く離れて』を読みました。
----------
この『エデンを遠く離れて』は、
昨年9月20日に投稿した記事『星空が掻き立てるロマンの話』で、この記事で取り上げた坂井さんの友人と思われる方からコメントを頂き、そこで一読を勧めて頂いた本です。
またコメントには、『亡くなった天文学者について』のエッセイで夏樹さんが取り上げられた鈴木博子さんは、坂井さん、そしてコメントを寄せて下さった方の研究室指導教官の研究の仲間であり、鈴木さんが残した謎『U45379』は、この指導教官が解かれたと書かれていました。
池澤夏樹さんは、若いころに科学を学ばれており、このエッセイの幾つかも科学者の視点から書かれたものがありました。
『亡くなった天文学者について』
『数字だけで1万ページの本』(πと天才数学者スリニヴァサ・マラヌジャンの逸話)
『窓の外は銀河と真空』(宇宙進出の予言)
『板チョコほどのコンピュータ』(パコソンがポピュラーになるまでの、科学学生必須アイテム関数電卓の話)
『我が肉体はミシンにあらず』(臓器移植の話)
『夜明けのミスと原子力発電所』(機械は愚直、そして人は軽率・うっかりさんという警句)
『進化しつくした道具』(人生の一秒の誤差もない時計の話)
その他にも、領土問題、国境問題、人口問題、恐竜絶滅等々、1987~1990に掛けて池澤さんの社会批判眼で書かれたエッセイ全36編が、多角な世界に導いてくれました。
あとがきで、池澤さんは次の様に記されています。
『ぼくたちはひたすら自然から離れる事で、今見るような文明を築いてきた。・・・暮らしを楽にすればするほどエデンは遠くなる。そういう社会批判も少しは混じっているから、このようなタイトルになった。』
『エデンを遠く離れて』が刊行されて、20年が経ちますが、私達の住む世界は、ますます『エデン(楽園)』から程遠い世界・社会へと進んでいます。
何故に、私たちはこの事態を招いたのでしょうか。
それは、池澤さんの表現を借りれば、『人』と『人』の関係です。
『人』は『社会』そして『国』です。関係は『人が作ったシステム、ルール』です。私たちは自分たちが良かれと思って作った『システム、ルール』によって存在を脅かされるに至ったのです。
では『人』と『自然』の関係はどうでしょうか。『自然』は悠久であり、たゆまなく変化します。人知など及びも付かぬ存在です。
この度の自然災害、原子力問題しかり、人が驕り定めた想定を超えた事故は、『人』にはその収拾さえ思うに任せません。
私たちはまず、『素直さ』に立ち戻らなければならない、そう思います。
----------
ベンチから仰ぎ見る世界は、広大でしかも一時も変化を止めません。人の子が如何にちっぽけで、でも大いなる存在に生かされている、愛されているかを実感します。
書物(Digitalではなく紙のです)を片手に、自然の中に身を置くと、心に安らぎが広がり、そして前向きに生きる気持ちが与えられました。
登録:
投稿 (Atom)