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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年10月29日土曜日

こんな夢を見た。-『原子力について』-


こんな夢を見た。
『見慣れた公道を目一杯のスピードで車を走らせている。
私は但ハンドルを必死で操作してるだけ。。。』

お早うございます。
朝、ソフトボールの試合があるさくらを車で学校まで送っていく最中、ふと夢の話を思い出しました。
随分昔、二十歳の頃だと思いますが、友達に借りたオフロードバイクで林道を走り、下り坂の度にアクセルを吹かして、迫り来るカーブを注視するスリルに夢中になった事があります。今思えば、スリルという『快感』は『死』と表裏でありました。
ただ、今朝覚えた夢は、別の理由から見た夢だと思いました。

それは、
26日に加古川ウェルネスパーク図書館で借りた、池澤夏樹著『春を恨んだりはしない』のある一文が強く心に残ったからだと思いました。
『春を恨んだりはしない』は、3.11以降池澤さんが震災を巡って考え記されたエッセイ、コラム集です。

そしてその心に強く残った一文の引用です----------
『7.昔、原発というものがあった
・・・
ディーゼル・エンジンは二十四時間ずっと燃料となる重油を外から供給し続けてやらなくては動かないが、原子炉の方は年に一度の補給だけで熱を出し続けるのだ。言ってみれば、原子炉というのは下りの坂道に置かれた重い車である。必要なのはブレーキだけで、アクセルはいらない。いかにゆっくりと安定した速度で坂道を降りさせるかが問題なのであって、無限の熱源である炉の周囲にあるのはいくつものブレーキである。すべてのブレーキが壊れれば炉は暴走をはじめるだろうし、その場合に燃料を断ってそれを止めるということはできない。
・・・』
以上、引用----------

私たち人類は、20世紀の飛躍的な文明発達をもたらした化石燃料(石油、石炭、天然ガス)の枯渇問題、或いは化石燃料供給国、需要国のパワーバランスの問題、そして無限エネルギーとしての原子力への渇望から原子力発電へと踏み出しました。
しかし、池澤さんが端的に表現されているように、私たちはそれをまったくコントロールできないのです。『完全に止める』ということ、そして『不要物を無毒として破棄する』ということができないのです。
まさに、『無限の力を得る』は『永遠に怯える』或いは『永遠に従う』の表裏だと思います。

私は、奴隷として『生』きたくはないし、また望まない『死』もお断りです。
たとえ貧乏のままでも、豊かな希望、『生』に向かって歩んでいたいし、最後の時は、自身で『死』を受け入れ大いなる存在の一部に帰りたいと思います。

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