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風に立つライオン

 お願いだから幸せになってください。 2015年に公開された日本映画「風に立つライオン」を観ました。 アフリカ、ケニアの風土病を研究する長崎大学の現地研究所に二年の任期で赴任した日本人医師が、赤十字の要請で短期間、ケニア・ロキチョキオにある赤十字戦傷病院に医師して派遣されます。 ...

2024年6月13日木曜日

昨日は、アンネ・フランクの誕生日でした。

 朝、何気にNHKワールドニュースを見ていたら、ドイツの放送局のニュースの中で、『今日はアンネ・フランクの生誕95回目の誕生日です』というニュースを目にしました。


アンネ・フランク Anne Frank 1929年6月12日-1945年3月12日


10代の頃に、『アンネの日記』を読みました。このアンネの物語を題材にした1959年公開の映画『アンネの日記』もリバイバルで何度か観ました。映画でアンネを演じたミリー・パーキンスの大きな瞳が、今も強い印象として残っています。でも、実際のアンネの肖像写真から受ける印象は、まだ幼さの残るはにかみ屋の少女です。

15歳で、後二ヶ月生きられていればドイツが降伏し強制収容所は開放されたというのに、アンネは引き離された両親の生死も判らず、強制収容所の中で姉の死を見届け、そして病死したと伝えられています。

家族の中で一人強制収容所から生き延びた父親が、アンネの残した日記に見つけました。その奇跡の様な出来事の結果、私たちはアンネの物語を知ることが出来ました。


アンネ・フランク、生きていれば95歳です。家に7月で99歳になる母がいますので、アンネの止まった時間の長さを実感します。

2024年6月10日月曜日

怒りと悲しみが襲ってきます!

 怒りの感情がわき上がりました。

突然に目に飛び込んできた、『日本中学校体育連盟が、全国中学校体育大会の規模を2027年度から縮小する』というニュースを見てです。


ニュースは、どれも

・少子化が背景

・2022年度に部活動設置率が男女とも20%を切っていた競技を、原則として縮小

・夏季と冬季の計19競技のうち、水泳、ハンドボール、体操、新体操、ソフトボール(男子)、相撲、スキー、スケート、アイスホッケーの9競技が開催されなくなる

と無味乾燥な文言で伝えていました。


同じく2022年に、スポーツ庁が、少子化を背景として、部活動の地域移行の方針を打ち出しました。しかし、高砂市議の一人が広報誌にて、2023年から移行がスタートしているのに、課題ばかりでいっこうに進まないことを問題視していました。


スポーツ庁という国の機関が、部活動の地域移行を打ち出して、2023年度からスタートすると打ち上げていますが、実際のところはどうなのでしょうか?

地域移行の受け皿としてのハードウェア、つまり広いグランドと建物は、そうそうに作られていますが、ソフトウェア、つまり指導や管理、運営を私企業に丸投げになっていないか、と危惧します。

実は、わたしごとですが、息子がスポート指導のできる教員免許を取得して、働く場を求めていましたが、受け皿の教員の枠に入れず、そこに地域移行に呼応した私企業が、それに対応するために指導員を募集していることを知り、息子はそこに飛び込んだのですが、それは入社するまでの話で、いまもホームページには打ち出していますが、実際はまったくの対応しておらず、当初の話とはまったく違う、まったく厳しい生活を強いられています。

小中学校の児童数、生徒数の減少、そして教諭の負担軽減という二大課題の当面の解決策としての地域移行に、スポーツが好き、児童や生徒と向き合って働きたいとする純朴な多くのスポーツで身を立てたいとする若者の期待は、ハードウェアだけが先行して、ソフトウェアがまったくの手付かずなために、その事業に期待した私企業も、指導員として身を立てたいとする若者も、はしごを外された状態になっているのが現状だと思います。


そこに、中学生のスポーツ活動の目標の一つである全国大会が縮小、或いは廃止されるとなると、いよいよ、誰もがスポーツを生涯の友とす、のはじまりであった学生がスポーツを学ぶ、競技を楽しむという権利や義務が奪われてしまうことになります。


競技人口減少や、設置数が激減する競技は、まるで教科書から誰かのおもわくで『坂本竜馬』が削除されたように、削除されることになるでしょうし、ニッチであまり人気のないスポーツや新しいスポーツの芽は、日本では育たないことになるでしょう。


そもそも、小学校、中学校は日本国民、或いは日本に在住して日本を学ぼうとする外国の子弟の義務教育の機関です。日本の国力が弱くなったから、人口減少したから、予算がつかないから、と縮小されるべきものでは、絶対にないです。そうであっては絶対にいけないのです。


義務教育は、もうずいぶん前から、破綻しています。義務教育なのに、不登校が常態化し、学校に一度も行かずして、卒業年齢に達したら、卒業が可能なのです。教師は、教育委員会や職員室のヒエラルキー、パワハラ、逆パワハラに苦しめられ、賃金が払われない残業は常態化し、また児童や生徒、また保護者からの、顧客でもないのに、顧客ずらしたカスタマーハラスメントに苦しめられて、3割が常時、退職するか療養休業状態です。

そんな教師たちは、それでも『予算がないから』『自分がせねば』という責任感を煽られて、そういう理不尽な環境に、まるでロボット兵士の様に指示通り動こうとするのです。人間がおかしくならないわけがないと思います。


日本憲法が平等や人権を謳うなら、7歳の児童も、15歳の生徒も、23歳の新米教諭も、40歳の酸いも甘いもかみ分けたベテラン教諭も、そして定年間近の教頭や校長も、そしてすべての保護者も、平等に、お互いの人権を尊重し、互いを守り、日本の義務教育を守るという強い意志をもたなければ、早晩、スポーツだけでなく、日本人を作るという義務教育自体が破壊されてしまうでしょう。


政治家は利権や権力争いにうつつを抜かすばかりで、いまや日本の政治はボロボロで、日本政治は今や、炎上系ユーチューバーのやりたい放題の場に成り下がってしまっています。そんなユーチューバーに、スマホを手にした児童や生徒は熱狂し、憧れを抱いているのです。大人になればそんなユーチューバーになって大金を稼いで勝ち組になると夢を見ているのです。


この国は、子どもから、若者から 他を利する喜びという人権尊重を大切にする人間性を育てず、その中でも、他を利する喜びに生きようといする若者から、夢も希望も奪い去ろうとしています。


メディアは、常に他人事です。ただ淡々と発信された内容を横並びに報道するだけで、政府に睨まれないこと、おもしろければいいという軟弱極まりない風潮に染まっています。


本当に悲しいです。


2024年6月4日火曜日

荒野に希望の灯をともす

 6月1日、中村哲医師の遺志を継いだ、アフガニスタンの干ばつの大地に水を引込み農作物が育つ耕地に生まれ変わらせるための、新しい用水路と貯水池の建設が完了したとのニュースを見ました。

その日、アクリエひめじで上映のあった、中村哲医師の生き様を追ったドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』を観てきました。


劇場版 荒野に希望の灯をともす

http://kouya.ndn-news.co.jp/


映画は、2019年12月4日に中村哲医師が凶弾に斃れたところで終わりました。でも、そう、その後、あの用水路はどうなったのか、緑豊かな耕地に生まれ変わった大地は、今どうなっているのか、この映画の上映を知るまでは、全く気にも留めなかったというのに、恥ずかしながら気になったのです。

2021年8月31日にアフガニスタン戦争は、アメリカの敗北となし崩しの撤退で突然に終わりを迎え、アメリカとの戦争に勝利したタリバンがアフガニスタンの政権の座に着きました。

民主化を求めてアメリカに協力した人々や、教育の機会が与えられていた女性たちは、アメリカの庇護を失い、人権を失い、そして彼ら彼女らの消息は一切報道されなくなりました。アフガニスタンの人々の生活を支援していた各国のNGOもすべて国外に脱出しました。中村医師が先頭に立って築いてきた用水路も、緑地や耕地に生まれ変わった大地も、再び内乱の中で放置され、荒れ果て、干ばつの大地、人間が生きていけない大地に戻ってしまったのではないか、悪い想像をしました。


しかし、遺志を継いだNGOペシャワールのメンバーや中村哲医師と労苦を共にしたアフガニスタンの技術者、スタッフ、そして多くの用水路建設と維持に希望を託す農民たちが力を合わせ、過酷な自然と共生しながら持続的に恵みを得る為の、決して終わらない用水路建設と維持の活動は続いていました。

中村哲医師の、医療の技術や土木の技術、農業の技術は持ち込んでも、外界の主義主張、制度は持ち込まず、アフガニスタンの宗教、文化、制度に敬意を払い、何ものを奪わず、恵みをアフガニスタンに生きる人々に実感してもらえるよう、決して投げ出さず、逃げ出さず、命を賭してやり抜いてこられた、その生き様が、人間の根っこの深いところで、人々を結びつけ、勇気づけ、希望の灯をともし続けてきたこと、実感しました。


映画鑑賞中、ずっと私の頭の中に浮かんできたのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」でした。


雨にも負けず


風にも負けず


雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫な身体を持ち


欲は無く決して怒らず

いつも静かに笑っている


一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ


あらゆる事を自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かりそして忘れず


野原の松の林の陰の

小さな茅葺きの小屋にいて


東に病気の子どもあれば

行って看病してやり


西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い


南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと云い


北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないから止めろと云い


日照りの時は涙を流し

寒さの夏はオロオロ歩き


みんなに木偶の坊と呼ばれ

褒められもせず苦にもされず


そういう者に私はなりたい


中村哲医師は、アフガニスタンでの医療活動や灌漑用水建設活動に邁進する切っ掛けを、若き日、日本での医療技術の進歩による延命という倫理的問題に悩み、一時、登山隊の医師として日本を離れたけれど、その遠征の途中で、医師の訪問を聞きつけ遠方から数日かけて集まってきた人々に、遠征隊専属の医師としての役割を果たす為に、何も出来なかったことの後悔があったことを述べられていました。

それにしても、四十年近くも、中村哲医師をその地に留め、ソ連との戦争、アメリカとの戦争の戦禍の中で、理不尽な攻撃に命が危険に晒される中、誰も想像もしなかった、誰も実現できるとは思えなかった人力での灌漑事業を成した、その原動力は何であったのでしょうか?

想像のヒントと思えたのは、竹山道雄さんの児童小説「ビルマの竪琴」です。悲しみ、憎しみ、怒り、そして後悔、懺悔、等々の気持ちが、厳しくも美しい世界にも引きつけられもし、心に誓った事業をやり遂げるという不動の決意に至った、のかと想像します。


最後に、中村哲医師は、日本憲法の不戦の誓いが、私たちを守った。武器を執らず、不戦を貫いたことが、その不戦の意志が、信頼が、私たちを守ったと語られていました。

戦争が悲しいことに、日本国内でも身近に感じられるようになってきた昨今、私たちは何に信念を置くべきか、ひとりひとりが自分事として、私もあらためて考えたいと思います。


2024年5月30日木曜日

こうせつさん

こうせつさんが17年ぶりに姫路で開いたコンサートに参加してきました。

デビュー55周年 南こうせつコンサートツアー2024~神田川~ in 姫路

です。

2000席の大ホールは、ほぼ還暦以上の観衆で埋め尽くされていました。16時の開演となり緞帳幕が上がると、ステージの上には、いよいよ後期高齢者の仲間入りとなる、こうせつさんとバンドメンバーが登場。でも演奏が始まり、軽やかなリズムと歌声にホールが包まれるやいなや、そこは遠い過去となっていた「青春の光」が輝いて見えました。

絶妙のトークに、遠い夏の日の風景、ラブソング、反戦歌、四畳半フォークソング、そして老いたる我々の応援歌と、中休憩を挟んで二時間、そしてアンコール・・・、最後に深々と観衆に頭を下げて別れを告げるこうせんさんとバンドメンバーに、私たちは万雷の拍手と「アリガトウ!」の掛け声で応え、コンサートは終了しました。

とても感謝感謝感謝が一杯となるコンサートでした。 

2024年5月17日金曜日

パックス・ヒュマーナ

 NHK BSで先日放送された『パックス・ヒュマーナ~平和という”奇跡”』というドキュメンタリー番組を観ました。『平和という”奇跡”』の物語を、佐々木蔵之介さんが南イタリアで、濱田岳さんがルワンダで、辿りました。


佐々木蔵之介さんが辿ったのは、『フェデリーコ二世の十字軍』の物語です。


番組を観終わった後に、『フリードリッヒ二世の十字軍』についての講演記録を読みました。1976年に日本人の有志によって設立されたイタリア研究会のホームページで公開されていました。

https://itaken1.jimdo.com/2015/07/09/フリードリッヒ2世の十字軍-講演記録/

2015年7月9日フリードリッヒ二世の十字軍(講演記録)

第421回 イタリア研究会 2015-7-9

報告者:高山博(東京大学教授)


講演記録を読んで理解が進みました。

一般的にはフリードリヒ二世として知られる人物のイタリアでの俗名が、フェデリーコ二世でした。

まず、十字軍から語らなければなりません。十字軍は、ローマ・カトリック教皇がカトリックの西欧諸侯に下した神命『聖地エルサレムの異教徒からの奪還と異教徒征伐』を果たす為の遠征軍の総称です。騎士が鎧に十字を刻んでいた事から十字軍と名付けられました。11世紀末から13世紀末に掛けて、十字軍は教皇の神命によって、何度も南イタリアから海を渡り、異教徒が支配する聖地エルサレムを目指しましたが、その遠征は二度を除いて全て失敗に終わりました。

事の起こりは、東ローマ帝国の支配地がイスラム諸侯に占領され、東ローマ帝国の皇帝がローマ・カトリック教皇に救援を求めた事が発端です。東ローマ帝国の国教はカトリックとは異なるキリスト正教会です。東ローマ帝国の皇帝は、西欧の法王に救いを求めたのです。

4世紀に古代ローマ帝国は、それまでの多神教信仰を改めキリスト教を唯一の国教と定めます。各地に教皇庁を設置して、広大な支配地を一神教であるキリスト教化することにり皇帝の権威と支配力を浸透させる事が目的であったと考えます。しかし、その後すぐローマ帝国は二人の皇帝による東西分割統治となり、その一つである西ローマ帝国は支配地域の西欧諸侯の台頭によって5世紀に消滅、以後、西ローマ帝国の国教であったローマ・カトリックの教皇の権威が西欧諸国に浸透していきました。

10世紀にドイツ王が神聖ローマ帝国を興し、ローマ・カトリック教皇を再び皇帝の支配下に置こうとして、教皇との覇権争いを起こしますが、既に西欧諸侯に権威を浸透させていた教皇は、第一回十字軍遠征を西欧諸侯に号令し、聖地エルサレムを奪還する戦果を挙げた事から、覇権争いに終止符が打たれ、西欧はローマ・カトリック教皇の権威の下に、支配され続ける事になりました。


高山教授は、十字軍は西欧諸国の人々のカトリック信仰心と宗教的情熱により引き起こされたが、

①教皇の政治的野心

②諸侯や騎士の領地獲得欲

③商人の利益拡大

こういったものが絡み合って、当初の目的から次第に逸れていき、そして十字軍の失敗により、教皇の権威は失墜し、参加した騎士の多くは没落したと考えられると述べられています。

そして現在に続く影響として、

①西欧諸国の人々の異教徒、異端への不寛容を増大させたこと

②そしてイスラム教徒の側にも異教徒に対する不寛容を増大させたこと

であると指摘されています。


この様な末路を辿る十字軍遠征ですが、唯一、戦争ではなく、交流・交渉により10年間、平和裏に聖地エルサレムをイスラムの王から譲り受けたのが、フリードリヒ二世でした。

フリードリヒ二世は、ノルマン王国の血を引く王子とシチリアの王女との嫡男として生を受けますが、シチリア王である祖父と父母を幼い頃に相次いで亡くし、幼くしてシチリア王となります。

出生国であるシチリア王国は、そもそも異教徒との文化交流により栄えたノルマン王国の継承であったため、臣下には異教徒もいました。そして、フリードリヒ二世を養育し支えたのはイスラム教徒の臣下でした。そのためでしょうか、フリードリヒ二世は、イスラム教徒の文化や習慣にも親しんでいました。

フリードリヒ二世は、神聖ローマ帝国の皇帝を継いでから、教皇から十字軍の遠征の命を受けます。しかし、フリードリヒ二世は教皇からの度重なる遠征の命を無視し続けます。そのために生涯三度も破門を言い渡されました。フリードリヒ二世は、エルサレムを支配するイスラムの王と手紙を交わし、また使節団を派遣し合いながら、親交と交流を深めていきます。そして信頼が醸成できたのを見計らい、エルサレムの返還交渉を行いました。そして遂に、10年間の期限付きではあるもののエルサレムの平和裏の返還を実現します。そして返還後の10年間、様々な圧力にも耐え、エルサレムの平和を守り通します。これは、二つの文化に精通したフリードリヒ二世にしかできなかった芸当だと思いました。


二つめの物語、濱田岳さんが辿ったのは、『ルワンダ虐殺の生存者』の物語です。

アフリカ・ルワンダ共和国でジェノサイドが起こったのは1994年です。今から丁度30年前の出来事です。

ルワンダは19世紀にドイツの植民地となり、ドイツは少数のルワンダ人を高貴な人種ツチとして、その他大勢をフツとして意図的に選別し、教育によってそれを既成事実化し、ルワンダをツチを利用して間接統治していきます。第一次大戦後、敗戦国となったドイツに代わってベルギーが間接統治システムを引き継いでルワンダを支配し続けます。この間接統治によって、ツチとフツの人々の間に憎しみと対立が生じていきました。

そして1962年にルワンダが独立国家となって、多数派であるフツが政権を担う事になってから、少数派ツチへの迫害が始まり、続いて国軍と亡命ツチが組織したルワンダ愛国戦線との内線が勃発します。それにより、フツによって、ツチによって、何度も虐殺行為が繰り返されました。しかし、1994年4月に突然起こったジェノサイドは、比較にならないほどに、凄惨で甚大な被害者を生み出しました。それはフツ至上主義者のラジオから発せられたプロパガンダ・メッセージが起因となりました。ツチとの宥和政策を進めていた大統領が搭乗する旅客機が何ものかに撃墜されたことを受けて、フツの住民に対して、「愛国戦線が襲ってくる、殺しにやって来る、釜や鍬を持って立ち上がれ!敵であるツチを殺せ!」と恐怖と憎しみを煽り、従わぬフツも敵だ!殺せ!と隣人と仲良く暮らしていたフツ住民を恐怖に突き落とします。

ツチに殺されてしまう。従わなければ自分が、自分の家族がフツの殺害の標的になってしまう。という恐怖がフツ住民を襲い、フツ住民の理性を狂わせ、狂気に転じさせて、遂に100日間で100万人もの隣人を虐殺するという前代未聞の殺戮行為に向かわせました。そして隣国には100万人を超えるルワンダ人が着の身着のまま避難のために押し寄せる事態となりました。

100日を過ぎて、愛国戦線が首都を制圧し、ジェノサイドは終焉を迎えます。

愛国戦線は、フツの大統領、ツチの副大統領を立て、ルワンダの再建を図ります。最初に実行したのが、植民地時代に携行を義務付けられた、ツチかフツかを識別するための身分証明書の廃止でした。これによって植民地時代に意図的に作られた人種の選別が廃止され、すべてのルワンダ人が、ルワンダ人と名乗れるようになりました。


濱田岳さんは、ジェノサイドの生存者と会って、その言葉に耳を傾けます。

印象的であったのは、30歳の娘を持つ41歳の母の言葉です。

30年前、彼女は穏健なフツの家族の子どもで11歳の少女でした。家族で隣国ザイールに避難する途中、瀕死のツチの女性と乳飲み子に遭遇します。少女が女性に近づこうとすると、祖母から「本当ならば殺さなければいけない」と注意されますが、さらに少女が女性に近づくと、女性から「私の子どもを一緒に連れて行ってください。神のご加護がありますように」と頼まれます。家族から「災いを招く」と叱られますが、少女を乳飲み子を抱きかかえ、家族と離れて歩きます。

難民キャンプに辿り着いてからも、家族から育てる事を反対されますが、少女は「神の恵み」を信じて、乳飲み子を育てながら生きてゆく決意をします。

その二人は、現在慎ましくも穏やかに生きていました。

母は、「話を聞いてくれてありがとう。心が軽くなりました」と話します。

娘は、「私たちの話をどうぞ伝えてください。知っていただくことで、少しでも平和な世界が作られる貢献になればと思う」と話します。


小学校の女性教師の言葉も印象的でした。

教師たちは、ルワンダに渦巻いた虐殺に向かわせたエネルギーを、平和と団結のために使える様、子供たちを導きたい、という使命感を強く抱いていました。

と同時に、ルワンダの悲劇はどこの国でも起こる可能性があり、でもルワンダ人はだれもがみんな同じルワンダ人と自覚できるようになり悲劇は遠退きました。世界中の人々が、みんな同じ人間だと自覚できるようになれば、ルワンダの悲劇を防げるのではないか、という希望も語られました。


濱田岳さんは、最後に「無智は罪」だと話されました。それは私たち自身への自戒の言葉であったと思います。「無智」は「無関心」と言い換えられます。無智、無関心、利己主義、そして身勝手、無責任のままでいることが、この様な悲劇が、いつも忘れ去られた時に繰り返される。いつか自分たちが、悲劇の加害者、被害者になってしまう。知らぬ間に・・・。


『パックス・ヒュマーナ』


あらためて番組のタイトルとなった『パックス・ヒュマーナ』について考えました。

番組では、最後に「人間の平和」と表現していましたが、どうもしっくり飲み込めないのです。

「パックス・ヒュマーナ」とは何か?調べました。

Google検索すると、”Pax Humana Foundation”というローマに本部がある財団のホームページを見つけました。そのホームページのAbout usのページに次のメッセージが掲載されていました。以下はGoogle翻訳した内容です。

https://paxhumanafoundation.org/en/about-us/

「パックス・ロマーナ」から「パックス・ヒューマナ」へ

パックス・ロマーナとは、ローマ帝国の軍事的優位性によって帝政時代の前半に確保された地中海地域の長期間の平和を指します。

パックス・アメリカーナは、第二次世界大戦後、世界における米国の支配に関連した相対的な安定と世界平和の期間を指しますが、今日私たちはそれに挑戦していると見ています。

この財団は、ニーズ、権利、道徳的資源、回復力、創造性、精神性、願望、尊厳、新たな始まりを生み出す能力を備えた人間を紛争予防の中核に据え、新時代の誕生に貢献することを目的としています。一人ひとりの尊厳と人間性を尊重した関係性を紡ぎながら、解決、変革を目指します。

まさにパックス・ヒュマーナの時代。


ラテン語のPaxは、平和の意味があるそうです。Pax Romanaは古代地中海、ヨーロッパ世界で覇権国家となったローマ帝国が、Pax Americanaは20世紀の後半に世界の覇権国家となったアメリカが、もう一つ加えるとPax Britannicaは19世紀に産業革命によって覇権国家となったイギリスが、世界の警察となり相対的な平和を実現した時代を表すラテン語の言葉でした。

それに従えば、「人間による平和」が訳としては正しいのかもしれません。「ローマによる平和」も「アメリカによる平和」も「イギリスによる平和」も、言い換えれば「人間による平和」です。しかし、それぞれに平和を支える強い力を備えています。

では、「パックス・ヒュマーナ」、私たちの平和を支える強い力とはなんでしょうか。


考えてみると結局は、畏怖なるもの、畏敬なるもの、私たちの心と体を裁く神なるものへの信仰心ではないか、古来から人類がすがってきた信仰心しかないのではないのかと思えてきました。

その信仰心を利用して、古来から権力者は争い、血みどろの殺戮を繰り返してきたというのにです。

本当に、信仰心ではなく、論理的に、かつ倫理的に、「パックス・ヒュマーナ」を実現する解答が見つけられたら、それこそ本当に、戦争の人類史は終焉を迎えることができるのでしょうか。人類史上最難度の方程式が解けたとしても、私たち人類が素直に従い、恒久の平和を得られるとは、どうしても疑念を持たずには居られません。

2024年5月6日月曜日

冷めても美味しい、否 冷めて美味しいステーキの作り方

ジューっという音はないし、肉が焼ける香ばしい匂いもなし。でも、柔らかく肉を丸ごと頂く幸福感が味わえるのが、低温調理した肉のステーキです。


作り方ですが、


① とにかく、肉はスーパーではなく肉屋さんで購入します。何故ならば、スジも脂身も少ない3㎝の厚みがある特選の赤身肉が必要だからです。この厚みが重要です。3㎝強で肉をカットして貰ってください。間違っても、叩いて伸ばす事の無きように注意してください。

3㎝の厚みの赤身肉は、一枚大体100g~150g程度だと思います。あくまでも大体です。


② 肉の両側に、塩、胡椒、その他スパイスを十分にまぶします。市販の肉用スパイスが最適かもしれません。押し付ける事無く、優しく両側にスパイスをまぶしてから、キッチンペーパーで肉を包みます。それをトレーに入れ、ラップで蓋をし、冷蔵庫で半日程度保存します。半日程度おくと、ペーパーが余分な水分とスパイスを吸収し、肉にほどよいスパイス味が付きます。味付けはこれでお終いです。


③ペーパーに包んだ肉を取り出して、今度はラップにしっかりと包みます。それをジップロックなどの真空保存パックに入れて封をします。


④ 湯煎により、肉を低温調理します。低温調理器があればベストですが、代わりはあります。例えば炊飯器には低めの温度設定の保温機能がついているものもあります。設定できる温度が55度~65度であれば、利用できます。

私は鍋を利用します。鍋に保存パックに入れた肉がしっかり浸かるほど水を入れ、保存パックを取り出して、コンロに火を付け水を温めます。湯の温度は60度、調理用温度計を利用して60度辺りをキープします。保存パックを鍋に入れ、大きめのコップに鍋の湯を入れて、肉が浮いてこないよう重しにします。保存パックに湯が入らないよう、注意をします。

目安は、60度で35分程度です。時間が来たら、お湯から出して、保存パックから出し、ラップが濡れていたらラップの水滴を拭き取って、そのまま室温で冷まします。

温度が60度弱で30分弱ならレア、65度40分強ならウェルダンという風に、肉の中への熱の入れ具合を、温度と時間で調整できます。


⑤ すぐに使わなければ、冷ました肉の水気を取り、再度ラップして、冷凍庫で保存します。使う場合は、室温や冷蔵庫でしっかり解凍します。


⑥ いよいよ焼き入れです。フライパンを熱して、油は引かず、肉の全面に焼き目をいれます。中には熱がしっかり入っているので、厚みのある肉だからと長く焼く必要はありません。


⑦ 焼いた肉を冷ましてから、好みの厚みにカットします。材料の肉がいいので、とても柔らかく、食欲が落ちていても、噛みにくい等の症状があっても、きっと美味しく、食欲をかき立ててくれるでしょう!

2024年4月30日火曜日

写経は、心を清浄に保つ術のひとつです。

写経を続けてきて、気づいたことがあります。

初めは集中力が続かず、まともに文字を写し書きすることもできませんでした。ふとやってみようと始めたものの、ただただ己のダメダメ加減が、乱れた文字として記録されていくだけに思えました。

でも、とにかく集中力が途切れても、誤字脱字、書き損じが甚だしくても、誰に咎められるようなものではないし、とりあえず怯まず、間違いはそのまま残して、間違った所から再度書き進めて、最後まで書き終える様にしました。

それを毎日、欠かさず続けているうちに、一切の誤字脱字、書き損じをせずに書き終えることが出来た日が来ました。それからまた、毎日、欠かさず続けているうちに、教本を開かず、記憶を辿りながら書き終える日が来ました。『摩訶般若波羅蜜多心経』の経文266文字の中で、一つ二つ、美しく思える文字を描けた日もありました。

始めてから半年が経過しますが、書き終えた5冊のノートの頁を捲ると、頁の日の心の有り様が書き文字を通じて甦ってきます。


写経って、自分の心や記憶との対話なんですね。黙想なんです。『摩訶般若波羅蜜多心経』、『本尊回向文』『四弘誓願文』、月命日の日は、これに修証義の『第一章 総序』を加えて写経する、一時間から二時間、対話をする、瞑想するんです。人間の集中力はもって15分程度と云われますが、それよりもさらに長く写経に集中した日もあって、そんな日は、まるで写経をする早朝5時から7時までの清浄された大気の様に、心が清浄された気分になります。

現代の私たちは、なにごとを行うにも、仕事をするにも、スポーツをするのにも対人とのコミュニケーションが必須となり、常に対人に集中力を注いでいます。それだけに留まらず、スマートフォンとSNSが日常生活をすっかり侵食してからは、常にメッセージの応答に心が奪われ、心が安まる時がありません。

『承認欲求』という言葉がありますが、精神的重圧を掛けられる対人に、さらに救いを求めるという螺旋の様な重圧、現代の私たちは追い求めているように思えます。

恐ろしいのは、承認が得られない、或いは承認されない、無視される、といった精神状態に陥った時です。いつでも向き合える筈の自分の心の所在に気付かなければ、対人に求める『承認欲求』を追い求めて、更に辛い重圧に自らを追い込むか、もしくは心の行き場を失って、辛い喪失感に苛まれることになります。最悪は死の危険もあるということです。

それを防ぐ為にも、心を奪われず、己で心を清浄に保てるように、写経の様な、己の心と対話する、瞑想する術を、現代の私たちは見つけ、実践しなければいけないと、非常に強く思います。