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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2016年12月4日日曜日

神戸ルミナリエ、素敵でした。

神戸ルミナリエをはじめて観に行きました。
1995年の冬から毎年行われていたというのに、22年間も何をしていたのかと思います。

元町駅を出ると、普段なら歩けぬ車道を人が埋め尽くしていました。それでもルミナリエ会場まで続く行進は、警察官や警備員の誘導により整然と行われていました。
普段は見ることができない車道からの街の風景が新鮮でした。夕景が深まるにつれて、街角を灯す外灯やショーウィンドウを彩るイルミネーションが輝き始めます。沿道には心を揺さぶるルミナリエのテーマ音楽が流れていて、さながら街全体がミュージアムの如くでありました。
光と音楽が、こんなにも人の心に喜びを与え、笑顔にさせる力があることに、当たり前なんだけど、あたらめて気付かされた様に思います。神戸ルミナリエ、素敵でした。
 

帰りに元町駅近くで食事を摂りました。ピザを焼く石窯の中の薪の火の、揺れる光も素敵でした。

2016年11月27日日曜日

「ハリー・ポッターと呪いの子」を読みました。


最新刊「ハリー・ポッターと呪いの子」を読みました。
ハリーらダンブルドア軍団が、最終決戦となったホグワーツの戦いでヴォルデモートを滅ぼしてから19年後の物語です。
死の秘宝の最終章に、9と3/4番線に停車するホグワーツ特急の前で、新一年生としてホグワーツ魔法学校に入学する
ハリーとジニーの次男アルバス・セブルス・ポッター
ロンとハーマイオニーの長女ローズ・グレンジャー・ウィーズリー
そして
ドラコとアストリアの一人子スコーピウス・マルフォイ
を家族が見送るシーンが描かれていましたが、新たな物語はここから始まりました。

そして読み終わって・・・
J.K.ローリングさんは、この物語をドラコ・マルフォイへの贖罪として描いたのかなと想像しています。
ハリー・ポッターの物語は、11歳のハリーとロン、ハーマイオニー、そしてグリフィンドールの同級生らの成長物語でしたね。友情物語といってもいいかもしれません。しかし、スリザリンに組み分けされたドラコは友情とは無縁で、ひとり孤独に成長していたように思います。ドラコは生意気で不遜な子供でした。しかし、成長するに従って、そして、ドラコの手筈でホグワーツがヴォルデモートの手に落ちる辺りから、心の内の葛藤に非常に苦しんでいたように思います。
第二幕第15場の中で、ドラコはハリーとジニーの前で告白しています。
「君たち三人は、輝いていたんだ。分かるか?君たちはお互いが好きだったし、楽しんでいた。私は君たちの友情が何よりも羨ましかった。」と
ハリー・ポッターの成長物語では、結局ドラコは救われませんでした。ホグワーツの戦いでダンブルドア軍団が勝利した時、ドラコと両親の三人は、死食い人とも袂を分かち、孤独に生き延びることを選択しました。
物語としては描かれていませんが、ドラコは純血の、でもとても心根の穏やかな女性アストリアと結婚した様子です。
第四幕第4場で告白は続きます。
「アストリアは虚弱だった・・・
私は彼女の体を危険にさらしたくなかった。マルフォイ家の血筋が絶えても、私は構わないと思った・・・
しかし、アストリアは、マルフォイ家の家名とか、純血とか、栄光のために子供が欲しかったのではない。我々夫婦のために欲しかった。
我々の子供、スコーピウスが生まれた。我々夫婦にとって人生最良の日だった」
ドラコの長年の希望は、その一人子スコーピウスの手によって叶えられました。
スコーピオスは、ハーマイオニーを男の子にした様な性質です。勉強ができて、ちょっとシニカルではあるけれどユーモアもあり、そして何より友情を積極的に求めていました。
そして、初めてのホグワーツ特急の中で、アルバスと出会い、二人が本当の友だちになるための冒険が始まります。
そして、呪いの子の冒険物語は、バック・トゥ・ザ・フューチャーの様相でしたね。過去を修正すると未来が変わる。しかし、望んだ未来は訪れない。そんなジレンマの中で、時間旅行は、やがて修正を取り消す旅へと変わっていきます。それは、ハリーら親にとって辛い体験の既視感であり、アルバスら子にとっては辛さの追体験となりました。
そして時間旅行の旅は終わります。アルバスは、ひがみっぽい性根は薄れ、明るく勇気を示す事ができる少年へと成長しました。そしてスコーピウスは、この旅で賢さと誠実を示したことで、生まれてから付きまとっていた汚名を晴らすことができました。そして何より、父同士、ハリーとドラコの長年の確執を取り除くことができました。

最後に・・・
この呪いの子には、一点疑問を覚えます。ヴォルデモートに一人子がいたということです。うら若き娘の姿をした闇の魔女デルフィーです。
ヴォルデモートは、闇の帝王、悪の中の悪の存在です。そして何者も服従させ、決して信じない。自らの魂さえ七つに裂くほどの、もはや人間の感情など一欠片も持ち合わせていない化け物です。そんな化け物のヴォルデモートが、何故に忠実な最強の闇の魔女ベラトリックス・レストレンジに一粒種を与えたのか?万一、ヴィルデモートよりも優れた闇の魔法使いが誕生したらどうするのでしょうか?それこそヴィルデモートが一番に恐れることではないかと思うのです。
そこでまた疑問です。ヴォルデモートほどの希代の魔法使いであれば、賢者の石を精錬して不死の力を得ることも可能であっただろうし、究極の逆転時計を作り出し、時を超えて恐怖で世界を支配することも可能であっただろうと思います。それなのに何故に、魂を引き裂いてまで自衛を計ろうとしたのでしょうか?一体、ヴォルデモートは何に恐れを感じていたのか?
そんな風にしてヴォルデモートを眺めると、彼が、トム・リドルが、とても孤独に苛まれた弱々しい人間に思えてきます。もしかしたら、彼の残虐性は、愛情への悲痛な渇望の裏返しであったのかもしれない、そう思えて仕方がありません。

2016年11月26日土曜日

晩秋

午後、光りの下で読書しようと
シロトピア公園を目指しました。
晩秋ではありますが
姫路城周辺は
鮮やかな紅葉が楽しめました。

シロトピア公園、ビックリ桜が咲いていました。








ひなたぼっこ


午前中は、小春日和のあったかさでしたね
柔らかな日差しが部屋の中に差し込みます。
そのしばしの光りの温もりに
うちのノルン
ご満悦の様子でした。


2016年11月24日木曜日

今の気持ち

私は、自分で言っちゃあ何ですが涙もろいです。
感動したとき、悲しくなったとき、そして可哀想に感じたとき、涙が目から溢れ出してきます。
でも、本気で泣いたこと、我を忘れて泣いたことは、最近ほとんどありません。
父を亡くしたとき、兄を亡くしたとき、ぽっかりと心に穴が開いたけれど、でも我を忘れることはありませんでした。
本気で泣いた、思い出すのは
たった三ヶ月だったのだけれど、会社の寮で一緒だった悪友が、広島に旅発つその日、顔を合わすことなく行ってしまったときの事です。会社のトイレで、大声を出して泣きました。一言、気の利いた言葉でも掛けて送ってやりたかったのに、それを叶えてくれなかった。否、あいつのことだから、顔を見ると泣いてしまうから顔を出さなかったのだろと、そう思うと無性に悔しくて腹立たしくなって泣きました。
そう、
友人や恩師、先輩との別れの時は、決まって我を忘れて泣いていたように思います。

今日、大学時代の恩師の訃報を知らせる喪中はがきが届きました。
今、当時の悪友達と膝突き合わせて、思いっきり泣きたい気持ちです。

2016年11月20日日曜日

紅葉狩り in 龍野

曇り空の下、龍野へ紅葉狩りに出かけました。
紅葉真っ盛りで、いつもの日曜日よりも人出があるだろうなと思っていましたが
旭橋を渡って龍野美観地区に入ると驚くほど人だかりがありまして・・・
オータムフェスティバルが開催中でした。普段は閑散とした下川原の通りはどの店も扉を開き店先に出店を出して活気ある縁日の様相でした。

私はその群衆を避けて、通りに沿って西へと歩を進め粒坐天照神社から紅葉谷まで紅葉狩りの散策を楽しみました。

2016年11月14日月曜日

じょっぴんや

犬も歩けば棒に当たる
このことわざには真逆の二つの意味があるようです。
一つは、出しゃばると思わぬ災難にあう
もう一つは、じっとしないで何でもやってみれば思わぬ幸運にあう
昨日、後者の意味で棒に当たりました。

はじめて訪れた喫茶店で、思いがけない楽しい時間を過ごすことができました。
午後、妻と二人であらい浜風公園に出かけました。午前とは打って変わって夕方に近づくにつれ空はどんより曇っていきます。寒くなってきたので喫茶店に立ち寄ることにしました。Googleマップで『近くの喫茶店』で検索すると、地図上に妻がうろ覚えの名前がありました。じょっぴんや、場所は高砂高校のほん近くです。

住宅街の一角にじょっぴんやはありました。落ち着いた佇まいの一軒家で銀色の煙突が目を引きます。入り口には二つの窓があり、右の窓からぴかぴかに光る焙煎機が見えました。左が入り口になっていて、中に入ると店内はコーヒー色に統一され、灯りは暖かいオレンジ色で落ち着いた雰囲気でした。
二人がけのテーブルに座り、壁に掛かる卓上電話帳型のメニューを取り、上から一ページ毎に捲ります。八種類のブレンドがあって、それぞれに漢字の名前が付いていました。その下に『一期一会』という名もありました。オーダーをとりにきた若い店員さんに、お薦めは何ですかとたずねると 代わりに店主がテーブルに来てくれて、八種類のブレンドについて丁寧に説明して下さいました。
八種類のブレンドは、焙煎の深さとその深さにあった豆という風な違いがあって、もっとも浅いのがアメリカン、もっとも深いのがイタリアン、そう読み替えて聞いていました。
店主のお薦めは、漆黒という名のフレンチローストのブレンドと、一期一会でした。一期一会は、その時々で得られた稀少豆を使用した期間限定のブレンドで、それで、店主の変わらぬ渾身の逸品と思われる漆黒を注文しました。
焼き物に淹れられた漆黒は、その名の通り淀みの無い漆黒色でした。湯気がなく少し温度が低いように思われました。まずはストレートで口に含むと濃い苦みが口中に広がります。半分ほど飲んでから少しミルクを加えると、苦みを鮮明に感じる事ができました。そしてまたミルクを加えると苦みのない円やかな味へと変化しました。飲み終えてもしばらくは豊潤な苦みが口中に残りました。妻が注文したクルミのタルトを少し食べたのですが、しっとりとした甘さが漆黒と相性抜群でした。大変美味しかったです。

そして閉店(5時だったかな)が近づいて勘定を済ませて店を出ようとしたとき、店主が前に立ち焙煎室を案内して下さいました。店主に、コーヒーの温度についてたずねると、浅い焙煎は90~95度の高い温度で抽出し、深い焙煎は低めの温度で抽出すると話されました。深い焙煎を高い温度で抽出すると苦みが尖ってしまうからだそうです。それで漆黒は温度が低めであったのだと納得しました。
家で美味しく抽出する方法をたずねると、美味しく抽出できた時の、豆の種類と分量、水の分量をしっかり記録して、以後はそれをしっかりと守る事だと話されました。
その後も、二三面白い話を聞きました。
温度の事ですが、常連さんの中には温度計を持参して、気になるといちいち温度を計る人がいるそうです。また、東京の有名店の店主は、客が飲んだコーヒーカップに飲み残しがあると後を追っかけて、何故に飲み残したのかいちいちたずねるそうです。そんな話を、愉快に話される店主が、私は一番面白いと思って、それを店主に感謝を込めてお伝えしました。
じょっぴんや、コーヒーの他にも紅茶やフルーツティ、生ジュースとメニューが豊富で、またカレーやスパゲッティも、べっぴんに思いました。次に訪れるときは、是非コーヒーと共にべっぴんにも手を付けたいと思います。

自家焙煎珈房 じょっぴんやホームページ
http://www.eonet.ne.jp/~jyoppinya/