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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2016年11月24日木曜日

今の気持ち

私は、自分で言っちゃあ何ですが涙もろいです。
感動したとき、悲しくなったとき、そして可哀想に感じたとき、涙が目から溢れ出してきます。
でも、本気で泣いたこと、我を忘れて泣いたことは、最近ほとんどありません。
父を亡くしたとき、兄を亡くしたとき、ぽっかりと心に穴が開いたけれど、でも我を忘れることはありませんでした。
本気で泣いた、思い出すのは
たった三ヶ月だったのだけれど、会社の寮で一緒だった悪友が、広島に旅発つその日、顔を合わすことなく行ってしまったときの事です。会社のトイレで、大声を出して泣きました。一言、気の利いた言葉でも掛けて送ってやりたかったのに、それを叶えてくれなかった。否、あいつのことだから、顔を見ると泣いてしまうから顔を出さなかったのだろと、そう思うと無性に悔しくて腹立たしくなって泣きました。
そう、
友人や恩師、先輩との別れの時は、決まって我を忘れて泣いていたように思います。

今日、大学時代の恩師の訃報を知らせる喪中はがきが届きました。
今、当時の悪友達と膝突き合わせて、思いっきり泣きたい気持ちです。

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