この数ヶ月、ふと気付くとBIOS画面に変わっている、なんてことが数回あって、パソコンそろそろ寿命かな・・・と心配していました。Drawソフトや画像処理ソフト実行中にファンの音が異常に高くなることもしばしばで・・・
二年前の清掃でパソコンの動作が劇的に改善した経験から、まずは清掃することにしました。
必要なものは、ぞうきんとプラスのドライバーとホコリを吹き飛ばす道具だけです。今回はストローを使いました。筐体を開けてみますと、二年前ほどにはホコリは積もっていませんでしたが、でもCPUの冷却ファンや電源部の冷却ファン、そして筐体の通気口はホコリが積もっていました。そのホコリにストローを当て、ひとつひとつ息で吹き飛ばしていきました。30分ほどの作業はベランダで行いましたが、気付けば着ていた服は真っ白になっていました。
そして清掃を終えたパソコンの電源を投入すると・・・
清掃前はブラウザの表示の切り替わりにちょっと時間が掛かっていましたが、すいすい動作する様になりました。そしてファンも静かになりまして・・・
清掃ってアナログだけど、パソコンを生き返らせる最良の方法だとあらためて感じています。
大好きな映画の話、本や朗読の話、また高校野球の試合観戦記、地元播磨の散策記など徒然に書いています。 その他にも、しょうもない昔話やちょっとしたエッセーなども書いています。 本でも読む感覚で読んで頂いて、面白ければ訪問カウンター下にある[G+1]ボタン(Facebookのいいねボタンの様なものです)を押して頂ければ嬉しいです。また、コメントの書き込みも楽しみにしています。
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パンデミックと戦うことを考える
昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...
2016年12月9日金曜日
2016年12月4日日曜日
大正デモクラシーが生んだ傑作「ゴンドラの唄」
今秋の覚え書き、ではないですが・・・
紅葉の写真を背景にしてゴンドラの唄を歌ってみました。
アカペラで歌って、後で加工した音楽を付けました
ちょっとずれているところもご愛敬ということで
お願いします。
それにしても
♪命短し恋せよ乙女
なんて気の利いた口説き文句でしょう
大正デモクラシーが生んだ傑作だと思います。
紅葉の写真を背景にしてゴンドラの唄を歌ってみました。
アカペラで歌って、後で加工した音楽を付けました
ちょっとずれているところもご愛敬ということで
お願いします。
それにしても
♪命短し恋せよ乙女
なんて気の利いた口説き文句でしょう
大正デモクラシーが生んだ傑作だと思います。
神戸ルミナリエ、素敵でした。
神戸ルミナリエをはじめて観に行きました。
1995年の冬から毎年行われていたというのに、22年間も何をしていたのかと思います。
元町駅を出ると、普段なら歩けぬ車道を人が埋め尽くしていました。それでもルミナリエ会場まで続く行進は、警察官や警備員の誘導により整然と行われていました。
普段は見ることができない車道からの街の風景が新鮮でした。夕景が深まるにつれて、街角を灯す外灯やショーウィンドウを彩るイルミネーションが輝き始めます。沿道には心を揺さぶるルミナリエのテーマ音楽が流れていて、さながら街全体がミュージアムの如くでありました。
光と音楽が、こんなにも人の心に喜びを与え、笑顔にさせる力があることに、当たり前なんだけど、あたらめて気付かされた様に思います。神戸ルミナリエ、素敵でした。
帰りに元町駅近くで食事を摂りました。ピザを焼く石窯の中の薪の火の、揺れる光も素敵でした。
1995年の冬から毎年行われていたというのに、22年間も何をしていたのかと思います。
元町駅を出ると、普段なら歩けぬ車道を人が埋め尽くしていました。それでもルミナリエ会場まで続く行進は、警察官や警備員の誘導により整然と行われていました。
普段は見ることができない車道からの街の風景が新鮮でした。夕景が深まるにつれて、街角を灯す外灯やショーウィンドウを彩るイルミネーションが輝き始めます。沿道には心を揺さぶるルミナリエのテーマ音楽が流れていて、さながら街全体がミュージアムの如くでありました。
光と音楽が、こんなにも人の心に喜びを与え、笑顔にさせる力があることに、当たり前なんだけど、あたらめて気付かされた様に思います。神戸ルミナリエ、素敵でした。
帰りに元町駅近くで食事を摂りました。ピザを焼く石窯の中の薪の火の、揺れる光も素敵でした。
2016年11月27日日曜日
「ハリー・ポッターと呪いの子」を読みました。
最新刊「ハリー・ポッターと呪いの子」を読みました。
ハリーらダンブルドア軍団が、最終決戦となったホグワーツの戦いでヴォルデモートを滅ぼしてから19年後の物語です。
死の秘宝の最終章に、9と3/4番線に停車するホグワーツ特急の前で、新一年生としてホグワーツ魔法学校に入学する
ハリーとジニーの次男アルバス・セブルス・ポッター
ロンとハーマイオニーの長女ローズ・グレンジャー・ウィーズリー
そして
ドラコとアストリアの一人子スコーピウス・マルフォイ
を家族が見送るシーンが描かれていましたが、新たな物語はここから始まりました。
そして読み終わって・・・
J.K.ローリングさんは、この物語をドラコ・マルフォイへの贖罪として描いたのかなと想像しています。
ハリー・ポッターの物語は、11歳のハリーとロン、ハーマイオニー、そしてグリフィンドールの同級生らの成長物語でしたね。友情物語といってもいいかもしれません。しかし、スリザリンに組み分けされたドラコは友情とは無縁で、ひとり孤独に成長していたように思います。ドラコは生意気で不遜な子供でした。しかし、成長するに従って、そして、ドラコの手筈でホグワーツがヴォルデモートの手に落ちる辺りから、心の内の葛藤に非常に苦しんでいたように思います。
第二幕第15場の中で、ドラコはハリーとジニーの前で告白しています。
「君たち三人は、輝いていたんだ。分かるか?君たちはお互いが好きだったし、楽しんでいた。私は君たちの友情が何よりも羨ましかった。」と
ハリー・ポッターの成長物語では、結局ドラコは救われませんでした。ホグワーツの戦いでダンブルドア軍団が勝利した時、ドラコと両親の三人は、死食い人とも袂を分かち、孤独に生き延びることを選択しました。
物語としては描かれていませんが、ドラコは純血の、でもとても心根の穏やかな女性アストリアと結婚した様子です。
第四幕第4場で告白は続きます。
「アストリアは虚弱だった・・・
私は彼女の体を危険にさらしたくなかった。マルフォイ家の血筋が絶えても、私は構わないと思った・・・
しかし、アストリアは、マルフォイ家の家名とか、純血とか、栄光のために子供が欲しかったのではない。我々夫婦のために欲しかった。
我々の子供、スコーピウスが生まれた。我々夫婦にとって人生最良の日だった」
ドラコの長年の希望は、その一人子スコーピウスの手によって叶えられました。
スコーピオスは、ハーマイオニーを男の子にした様な性質です。勉強ができて、ちょっとシニカルではあるけれどユーモアもあり、そして何より友情を積極的に求めていました。
そして、初めてのホグワーツ特急の中で、アルバスと出会い、二人が本当の友だちになるための冒険が始まります。
そして、呪いの子の冒険物語は、バック・トゥ・ザ・フューチャーの様相でしたね。過去を修正すると未来が変わる。しかし、望んだ未来は訪れない。そんなジレンマの中で、時間旅行は、やがて修正を取り消す旅へと変わっていきます。それは、ハリーら親にとって辛い体験の既視感であり、アルバスら子にとっては辛さの追体験となりました。
そして時間旅行の旅は終わります。アルバスは、ひがみっぽい性根は薄れ、明るく勇気を示す事ができる少年へと成長しました。そしてスコーピウスは、この旅で賢さと誠実を示したことで、生まれてから付きまとっていた汚名を晴らすことができました。そして何より、父同士、ハリーとドラコの長年の確執を取り除くことができました。
最後に・・・
この呪いの子には、一点疑問を覚えます。ヴォルデモートに一人子がいたということです。うら若き娘の姿をした闇の魔女デルフィーです。
ヴォルデモートは、闇の帝王、悪の中の悪の存在です。そして何者も服従させ、決して信じない。自らの魂さえ七つに裂くほどの、もはや人間の感情など一欠片も持ち合わせていない化け物です。そんな化け物のヴォルデモートが、何故に忠実な最強の闇の魔女ベラトリックス・レストレンジに一粒種を与えたのか?万一、ヴィルデモートよりも優れた闇の魔法使いが誕生したらどうするのでしょうか?それこそヴィルデモートが一番に恐れることではないかと思うのです。
そこでまた疑問です。ヴォルデモートほどの希代の魔法使いであれば、賢者の石を精錬して不死の力を得ることも可能であっただろうし、究極の逆転時計を作り出し、時を超えて恐怖で世界を支配することも可能であっただろうと思います。それなのに何故に、魂を引き裂いてまで自衛を計ろうとしたのでしょうか?一体、ヴォルデモートは何に恐れを感じていたのか?
そんな風にしてヴォルデモートを眺めると、彼が、トム・リドルが、とても孤独に苛まれた弱々しい人間に思えてきます。もしかしたら、彼の残虐性は、愛情への悲痛な渇望の裏返しであったのかもしれない、そう思えて仕方がありません。
2016年11月24日木曜日
今の気持ち
私は、自分で言っちゃあ何ですが涙もろいです。
感動したとき、悲しくなったとき、そして可哀想に感じたとき、涙が目から溢れ出してきます。
でも、本気で泣いたこと、我を忘れて泣いたことは、最近ほとんどありません。
父を亡くしたとき、兄を亡くしたとき、ぽっかりと心に穴が開いたけれど、でも我を忘れることはありませんでした。
本気で泣いた、思い出すのは
たった三ヶ月だったのだけれど、会社の寮で一緒だった悪友が、広島に旅発つその日、顔を合わすことなく行ってしまったときの事です。会社のトイレで、大声を出して泣きました。一言、気の利いた言葉でも掛けて送ってやりたかったのに、それを叶えてくれなかった。否、あいつのことだから、顔を見ると泣いてしまうから顔を出さなかったのだろと、そう思うと無性に悔しくて腹立たしくなって泣きました。
そう、
友人や恩師、先輩との別れの時は、決まって我を忘れて泣いていたように思います。
今日、大学時代の恩師の訃報を知らせる喪中はがきが届きました。
今、当時の悪友達と膝突き合わせて、思いっきり泣きたい気持ちです。
感動したとき、悲しくなったとき、そして可哀想に感じたとき、涙が目から溢れ出してきます。
でも、本気で泣いたこと、我を忘れて泣いたことは、最近ほとんどありません。
父を亡くしたとき、兄を亡くしたとき、ぽっかりと心に穴が開いたけれど、でも我を忘れることはありませんでした。
本気で泣いた、思い出すのは
たった三ヶ月だったのだけれど、会社の寮で一緒だった悪友が、広島に旅発つその日、顔を合わすことなく行ってしまったときの事です。会社のトイレで、大声を出して泣きました。一言、気の利いた言葉でも掛けて送ってやりたかったのに、それを叶えてくれなかった。否、あいつのことだから、顔を見ると泣いてしまうから顔を出さなかったのだろと、そう思うと無性に悔しくて腹立たしくなって泣きました。
そう、
友人や恩師、先輩との別れの時は、決まって我を忘れて泣いていたように思います。
今日、大学時代の恩師の訃報を知らせる喪中はがきが届きました。
今、当時の悪友達と膝突き合わせて、思いっきり泣きたい気持ちです。
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