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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2024年7月30日火曜日

ドラマ「新聞記者(Journalist)」を観て

『もし私を死刑にしたら、もう簡単にはこんな人物を見出すことはないでしょうから。実際、可笑しな言い方かもしれませんが、私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統は良いが、その大きさ故にちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思います。

その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのを止めない存在なのです。ですから、皆さん、こんな者はもうあなた方の前には簡単には現れないでしょう。むしろ、私の言うことを聞いて、私を取っておくのが得策です。』

この言葉は、詩人のメトレス、手工業・政治家のアニュトス、民衆扇動家(デマゴーグ)のリュコンら三名によって、『国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落させた』という罪で訴えられたソクラテスが、裁判でアテナイ市民500名の陪審員の前で弁明を行う、プラトン著「ソクラテスの弁明」の中で、私が一番感銘を受けた言葉です。

ソクラテスは若い頃から、賢者・智者を自認する雄弁家、教育者、政治家、芸術家などとの対話を求め、その結果、彼らの愚かさを図らずも世間に知らしめたばかりでなく、ソクラテス自身の智者としての名声を高めたことにより、彼らや彼らのような人々から憎しみや怨みを買う存在となっていました。そして70歳の直前にソクラテスは、彼らから遂に、いわれのない罪を着せられ、裁判に掛けられ、彼らの煽動的な告発に感化された陪審員によって罪が確定したのみならず、罰として死刑が確定し、最後は、友人や支援者に見守られながら自ら服毒し死を遂げました。

私は、先のソクラテスの言葉から、ソクラテスこそがジャーナリストの祖なのではないかと考えるようになりました。ジャーナリストは、不明なることや不確かなことを自ら調査して明らかにし、明らかになった事実を世の中に問い、世の人々が正しいと考えられる行動を促す役割を担っています。それ故に、事実を明らかにされたくない者たちから憎まれ、恨まれ、狙われ、陥れられ、最悪の場合には命が奪われる存在だからです。


なんで、このように思いを馳せたかといいますと・・・

先日、Netflixで2022年に公開されたドラマ「新聞記者(英語タイトル:Journalist)」を観たからです。

このドラマ、見た方なら御存じでしょうが、安倍内閣の時代に世間を騒がせた森友学園問題や参与として政府の闇に深く関与する人物の犯罪疑惑、そしてコロナ感染初期の人間軽視などを彷彿とする物語であったために、公開当時、保守系の新聞や雑誌等から、現実の疑惑やその疑惑の調査過程とのそごが指摘され非難されていました。また、疑惑の中で亡くなられた方の遺族のドラマ化への賛同が得られぬままに、制作され公開されたことも、批判の理由となっていましたが、実際に鑑賞された視聴者の感想は、肯定的な意見や俳優の鬼気迫る演技を称賛する意見も多数見受けられました。


私も、素直に、このドラマが描き出す、疑惑に人生を傷つけられた人々や疑惑に荷担した人々の葛藤や苦しみに、大いに胸を痛め、また、隠蔽を指導し、隠蔽が暴かれることの無いように、どんなに人々が苦しもうと、手段を選ばず、脅し、世論を誘導し、弾圧する政府中枢に潜む冷血漢に心底恐怖を覚えました。

そして、それ以上にドキュメンタリーを思われるこの物語が、どんな結末を用意しているのかを見届けたいと強く思い、見届けました。

ドラマは、疑惑の中で亡くなられた方が、一体誰に殺されたのか、何で殺されたのかを明らかにするために必須であった、証拠や証人が現れて、ようやく、裁判が行われる場面で終わりを迎えました。

現実の疑惑の裁判は、政府の鉄壁に阻まれて、解明すら遅々として進まないでいる状況です。ドラマには疑惑を解明する一筋の光明が見出せたことも、現実と比べ楽観的と厳しく観られる点であるのかもしれませんが、現実でも、今後、解明を一気にするめるような証拠や証人が現れることを、私は希望してなりません。

また、これこそが、このドラマが作られ公開された意義ではないかと思いました。


古代ギリシャ世界では、賢者・智者として認められることが成功の糸口でした。この成功によって名声、金、地位、そして権力を手にすることができました。

ソクラテスは、若い頃に友人のカレイフォンが、アポロンの神託所において巫女から「ソクラテス以上の賢人はいない」との神託を授かってきたことにショックを受けて、自らは愚者であると自覚していたことから、自問し、遂に一生を掛けて神託の反証を試み続けました。それが賢者・智者を自認する人々との問答でした。ソクラテスは、問答を続ける中で、「知らないことを知っていると思い込んでいる人より、知らないことを知っている私の方が、少しは賢いのかもしれない」と神託の意味を考えるようになっていきます。

しかし、もしかしたらソクラテスは、アテナイに蔓延る様々な疑惑や問題に光を当て、アテナイ市民に善と悪について考える切っ掛けを与え続けていたのではないか、とも想像します。


現代の世界においても、報道の自由は、ヒューマニズム、参政権とともに、もっとも重要となる人間の権利です。

ジャーナリストが活躍できなければ、報道の自由が失われれば、一握りの絶大な権力を握る為政者の堕落を招き、組織もシステムも、国家でさえも、停滞や腐敗によって死に体に陥ってしまいます。その結果は、歴史を見れば明かです。独裁や戦争が始まり、国民の命が踏みにじられることになります。

ジャーナリストが活躍できれば、停滞や腐敗がいち早く捉えられ、それによって改革や改善に繋がり、組織やシステム、国家の新陳代謝をよくすることに繋がります。


現在の日本は、様々な組織やシステム、国家に対して不信が広がり、日本人が美徳としていた礼節、利他、そしてか弱き隣人、子ども、女性、高齢者、身体や精神に不自由を抱える人々に手を差し伸べる無償の行為、そして、社会の基盤となって働いてくれる保育士、教師、介護士、看護師、医師への感謝と尊敬がどんどんと失われ、すべてが拝金ビジネスに取って代わられ、人間がもの扱いされる事態となってきました。


本当にどこから手を付ければよいのか、難しいですが、私たち一人ひとりは物でなく、大切な命、人権が保障された人間であることに立ち戻れるように、ジャーナリストに活躍してほしいと願わずには居られません。

2024年7月8日月曜日

民主制の本当の選挙について考えてみました。

 56名が立候補した七夕都知事選は、現職の三選で幕を閉じましたね。兵庫県民からみれば関係のない首長選挙でしたが、現職や参議院議員を辞職して立候補した候補の学歴詐称疑惑が取り沙汰されたり、もっともえげつなかったのは多数の候補を擁立した政党が「供託金の有り様」に一石を投じるという名目で選挙ポスターの掲示板を広告板として売り出し、選挙とは全く無関係の広告、さらに云えば公序良俗に反する広告や画像が掲示されるという前代未聞の事態が起こった選挙戦となりました。選挙ポスターの件で云えば、こういう事態を取り締まる法律がないということで、よっぽどの公序良俗に反するもの以外は、選挙戦中広告板として利用され続けました。法律に規定がなければ何をしてもよい、そしてそれを取り締まれないというのは、日本人が大切にしてきた礼節というものが軽んじられたり、廃れたりしている何よりの証のように思えました。


ただ「選挙の供託金」については、私は無くさなければならないという考えです。高い供託金を課すことで、泡沫候補を候補者から閉め出すというのが供託金の名目です。

しかし、国政選挙だけでなく地方選挙でさえ、結局は何故か潤沢な資金力のある現職の候補に有利に働くばかりで、志あれども金も人脈もない人は、選挙に出て、公の場で声を発することが出来ないばかりか、潤沢な資金を要する既成政党におもねってロボット議員になるしかないのが実際です。

同時期に行われたイギリス総選挙では、現職のスナク首相に並んで泡沫候補の自称ゴミ箱伯爵が「クロワッサンの価格に上限を導入」と声高に訴えていました。彼がイギリス国民に訴える真の狙いは「誰を支持するかに関わらず、皆さんには是非投票に行って欲しい。そして何より皆さんの票を無駄にしないように」でした。


今回、都知事選の立候補者は56名でしたが、たとえばの話ですが、選挙権を持つ18歳以上は誰でも、立候補でき、供託金も必要がないとするならば、東京都の18歳以上の人口約1200万人の全員が立候補することも可能なのです。たった一言でも、自分の声を公共の場で発言することが出来るのです。その声に賛同した100人がその候補に投票したとする、これを無駄とは、私は思えないのです。

誰もが、志が高かろうが低かろうが無かろうが、ただ一言発したい、意見を述べたい、と云う理由だって、議員になりたい有無なんて構わない、立候補するに十分過ぎるほどの理由なのではないかと思えるのです。これこそ民主制の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選挙戦は、インターネットを利用したって構わない、公共に設置された会場で発言したって構わない、小さな集会所や自宅を利用して、有権者に訴えても構わない、但し、公序良俗に反しない限りにおいて。他の候補者を誹謗中傷したり迷惑行為、暴力行為は絶対に許さないという制限のもとに。有権者に立候補者としての自分の訴えたいことを訴える。

こんな選挙なら、実際に投票率100パーセントの選挙も夢では無いと思います。国民一人ひとりが声を発する、声を届ける、声を聞くお祭りとしての選挙、これこそ民主制の本当の選挙の有り様ではないかと思えるのです。

選ぶのも国民なのです。だれかれに指図されるものではないのです。

2024年7月4日木曜日

第3回「核なき未来」オピニオン募集!「核兵器に頼る国のリーダーへ ―今、あなたなら何を訴えますか?―」

午後のNHKニュースを見ていたら、長崎放送局から『核なき未来テーマに意見募集 若い人に核兵器問題考えてもらう』という話題が報じられました。


『核なき未来』をテーマにした意見を募集している長崎大学核兵器廃絶センター(略称:RECNA Research Center for Nuclear Weapons Abolition)のホームページを開くと、具体的な設問は、『核兵器に頼る国のリーダーへ 今、あなたなら何を訴えますか?』とあり、核兵器保有国のリーダー、或いは「核の傘」の下の国のリーダー(一人でも複数でも)に宛てたメッセージを書いてみてください、と書かれていました。

募集資格は、U-20の部が16歳~19歳、U-30の部が20歳~29歳で

応募期間は、2024年5月1日~7月31日でした。

https://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/topics/45990


私は、募集年齢制限に抗って、私の意見を以下に綴りたいと思います。


と、その前にRECNAに問いたいことがあります。それは核兵器保有国のリーダーを一括りにしてよいのか?という問い掛けです。RECNAは核兵器保有国に、ロシア、米国、中国、フランス、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の8カ国を挙げていますが、国の安定度合、発展度合、核兵器としての脅威の度合、そして戦争状態か否か、まったく異なります。一元化してよいものでは、私は無いと思います。

そして、もう一つは、核兵器保有国と核の傘の下の国とは、破壊力の保有という点で天と地ほどの差があるという事です。核の傘の下の国は条約という契約で保護受けているのです。その前提で話を始めなければいけないのではと思います。


地球上の世界は国連の下で平和が維持されるという幻想は、もはや世界中の誰一人として抱いてはいないでしょう。

20世紀末、経済と軍事力で世界中の国々を米国主義に従わせた格好の米国が、国内問題から二つの大戦前の内向きな米国へと退行し始めた結果、冷戦期に米国と世界を二分したロシアが再び軍事力で世界の脅威となり、この30年余りで米国と経済と軍事力で拮抗するまでに急成長した中国、そして中国を追う世界最多の人口を誇るインドも、近隣諸国に力を誇示するようになってきました。北朝鮮のような経済だけでみれば世界の最貧国である国が、国民を犠牲にした核兵器開発に邁進した結果、核弾頭ミサイルの保有国の一つに数え上げられるまでになりました。そしてイスラエルが現在進行形でパレスチナの人々に行ってきた非道は、まったくもって非人道的としか云えません。

これらの国が保有する核兵器は、隣国を脅し、最も強大で最悪の破壊をもたらす兵器であり、また、自国が核兵器による最悪の破壊を受ける代償として敵国にも同様の破壊を与える、それが為に敵の核兵器使用が抑止される武器、自国が敵国の攻撃から守ることができる唯一の武器という神話を帯びた武器となっています。

たった一つの国、一人のリーダーが「核なき未来」は世界中が我にひざまずく未来と掲げる限り、「核なき未来」を人類だけで導くことは出来ないと思います。

もし「核なき未来」が開けるとしたら、人類よりも遙かに進歩した知性が現れ、人類から悪癖、悪行を消し去るか、われわれ人類が滅びるしかないのではないかと思います。


そして、一つ確かなことは、核兵器が存在する限り、人類はいつ滅んでもおかしくないと云うことです。一握りの人間が、核兵器戦争の勃発を察知して、地中深くの核兵器に破壊されず、放射能の汚染にも晒されないシェルターに逃げ込めても、世界中が核兵器で破壊され、何十年、何百年にも及ぶ放射能汚染に晒されれば、シェルター内の人間も安全な食料、空気、水が尽きれば、死を免れることはないということです。


如何様なリーダーも、独裁者も殺戮者も、いつか死が訪れます。自分の子、孫、遠い未来まで子孫を存続させたければ、核兵器を廃絶するしか手がないのです。

しかし、自分の死を持って世界を終わらせたいとする独裁者、殺戮者、いわゆるヒトラーのようなリーダーが再び現れれば、躊躇することなく核兵器を実践で使用するでしょう。

ということは、リーダーを、というよりも、そのようなリーダーを持たない、作らない、許さないという、われわれ一人一人の意志の決意こそ、本当に大事なのだと思います。

民主的でないかもしれない、でも、決意してわれわれが実行しなければ、遠からずわれわれは、われわれの子孫は、悪に取り憑かれたリーダーによって滅ぼされてしまうことになってしまうでしょう。

その為にも、われわれ、それぞれが欲望を抑えて、世界中の人々と連帯し、核兵器保有を良しとするリーダーを排除し、そして二度と、そのようなリーダーを持たない、作らない、許さない、という意志の決意を強い行動で示し続けなければなならないと思います。

 

2024年6月23日日曜日

ありったけの地獄を集めた戦場

沖縄県が制定している記念日『慰霊の日』(6月23日、沖縄戦等の戦没者を追悼する日)の今日、朝日新聞の

記事:「ありったけの地獄」沖縄戦とは何だったのか?

https://www.asahi.com/articles/ASS6P3T3XS6PUTIL032M.html?iref=pc_ss_date_article

の記事は『米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場と呼んだ。』という書き出しで始まっていました。が、この一文についての解説や補足説明はありませんでした。


ググって見ますと、ある方のブログに、

『アメリカ軍兵士が、目の前の惨状を見て口にしたと言われています。』

と書かれていました。


ウィキベディアの沖縄戦の概要説明には、

『沖縄戦は、1945年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、沖縄本島での組織的な戦闘は4月1日に開始、6月23日に終了した。』

『使用された銃弾・砲弾の数は、連合軍側だけで2,716,691発。この外、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された。地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われた為「鉄の暴風」と表現される。』

『残された不発弾は、70年を経た2015年でも23トンにものぼり、陸上自衛隊などによる不発弾処理が続く。1トン爆弾も本土復帰の1972年以降だけでも6件見つかっている。』

『沖縄での両軍および民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる。その内訳は、沖縄県生活福祉部援助課の1976年3月発表によると、日本の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。戦前の沖縄県の人口は約49万人であり、実に沖縄県民の約4分の1がなくなったことになる。』

住民の犠牲者数については、

『沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず正確な数は不明で94,000人は推定である。終戦直後の1946年統計は戸籍が消失したり一家全滅が少なくないなどの諸事情により誤差が大きいと思われ、また、1946年の人口には、沖縄戦の後で生まれた子どもや、戦時中は沖縄県に不在だった本土への疎開者、また海外からの引き揚げ者4万人以上や復員兵が多数含まれる為、計算上の人口減少より実際の戦没者の方が大きいと推定される。』

『また、日本側死亡者のうちに朝鮮半島出身の土木作業員や慰安婦など1万人以上が統計から洩れているとの見方もある。』

アメリカ軍側の戦死者については、

『アメリカ軍側は死者・行方不明者20,195人となったが、これは1944年12月に戦われた西部戦線最大の激戦の1つであるバルジの戦いの戦死者最大約19,000人を上回り、アメリカ史上での、オーヴァーロード作戦(ノルマンディーの戦い)、第一次世界大戦におけるムーズ・アルゴンヌ攻勢に次いで3番目に死者数が多い戦いであった。』

『戦傷者は最大で55,162人、戦闘外傷病者26,211人を加えた人的損失は実に投入兵力の39%という高水準に達した為、ハリー・S・トルーマン大統領らアメリカの戦争指導者たちは大きな衝撃を受けて、のちの日本本土侵攻作戦「ダウンフォール作戦」の方針決定に大きな影響を及ぼした。』

などが書かれていました。


沖縄戦の激戦の1つとされる「前田の戦い」という日本軍陣地「前田高地」を巡る戦いを描いた映画があります。2016年に公開された「ハクソー・リッジ」です。監督メル・ギブソンは、前田高地をこの世ではない地獄の世界として映像表現していました。日本兵は殺しても殺しても立ち上がり向かってくる屍人として表現していたのも印象的でした。


これほどまでに、アメリカ軍兵士におぞましいと言わしめた惨状は、誰が引き起こしたのか?何が引き起こしたのか?誰も止めようとはしなかったのか?


沖縄県の平和記念公園の平和の礎(いしじ)には、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名が、国籍や軍人、民間人の区別なく、刻まれ続けています。掲げられた理念には、『国内外の20万人余りのすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰めるとともに、今日、平和の享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。』と書かれていました。


現在は、やはりかりそめ平和なのだと思います。沖縄戦ひとつをとっても、79年と年月ばかり過ぎて、日本政府すら総括したことがありません。アメリカは尚更です。

現状のなし崩しの平和を受け入れている状況では、いつまでも戦没者の御霊は彷徨うばかりなのではと思います。

2024年6月13日木曜日

昨日は、アンネ・フランクの誕生日でした。

 朝、何気にNHKワールドニュースを見ていたら、ドイツの放送局のニュースの中で、『今日はアンネ・フランクの生誕95回目の誕生日です』というニュースを目にしました。


アンネ・フランク Anne Frank 1929年6月12日-1945年3月12日


10代の頃に、『アンネの日記』を読みました。このアンネの物語を題材にした1959年公開の映画『アンネの日記』もリバイバルで何度か観ました。映画でアンネを演じたミリー・パーキンスの大きな瞳が、今も強い印象として残っています。でも、実際のアンネの肖像写真から受ける印象は、まだ幼さの残るはにかみ屋の少女です。

15歳で、後二ヶ月生きられていればドイツが降伏し強制収容所は開放されたというのに、アンネは引き離された両親の生死も判らず、強制収容所の中で姉の死を見届け、そして病死したと伝えられています。

家族の中で一人強制収容所から生き延びた父親が、アンネの残した日記に見つけました。その奇跡の様な出来事の結果、私たちはアンネの物語を知ることが出来ました。


アンネ・フランク、生きていれば95歳です。家に7月で99歳になる母がいますので、アンネの止まった時間の長さを実感します。

2024年6月10日月曜日

怒りと悲しみが襲ってきます!

 怒りの感情がわき上がりました。

突然に目に飛び込んできた、『日本中学校体育連盟が、全国中学校体育大会の規模を2027年度から縮小する』というニュースを見てです。


ニュースは、どれも

・少子化が背景

・2022年度に部活動設置率が男女とも20%を切っていた競技を、原則として縮小

・夏季と冬季の計19競技のうち、水泳、ハンドボール、体操、新体操、ソフトボール(男子)、相撲、スキー、スケート、アイスホッケーの9競技が開催されなくなる

と無味乾燥な文言で伝えていました。


同じく2022年に、スポーツ庁が、少子化を背景として、部活動の地域移行の方針を打ち出しました。しかし、高砂市議の一人が広報誌にて、2023年から移行がスタートしているのに、課題ばかりでいっこうに進まないことを問題視していました。


スポーツ庁という国の機関が、部活動の地域移行を打ち出して、2023年度からスタートすると打ち上げていますが、実際のところはどうなのでしょうか?

地域移行の受け皿としてのハードウェア、つまり広いグランドと建物は、そうそうに作られていますが、ソフトウェア、つまり指導や管理、運営を私企業に丸投げになっていないか、と危惧します。

実は、わたしごとですが、息子がスポート指導のできる教員免許を取得して、働く場を求めていましたが、受け皿の教員の枠に入れず、そこに地域移行に呼応した私企業が、それに対応するために指導員を募集していることを知り、息子はそこに飛び込んだのですが、それは入社するまでの話で、いまもホームページには打ち出していますが、実際はまったくの対応しておらず、当初の話とはまったく違う、まったく厳しい生活を強いられています。

小中学校の児童数、生徒数の減少、そして教諭の負担軽減という二大課題の当面の解決策としての地域移行に、スポーツが好き、児童や生徒と向き合って働きたいとする純朴な多くのスポーツで身を立てたいとする若者の期待は、ハードウェアだけが先行して、ソフトウェアがまったくの手付かずなために、その事業に期待した私企業も、指導員として身を立てたいとする若者も、はしごを外された状態になっているのが現状だと思います。


そこに、中学生のスポーツ活動の目標の一つである全国大会が縮小、或いは廃止されるとなると、いよいよ、誰もがスポーツを生涯の友とす、のはじまりであった学生がスポーツを学ぶ、競技を楽しむという権利や義務が奪われてしまうことになります。


競技人口減少や、設置数が激減する競技は、まるで教科書から誰かのおもわくで『坂本竜馬』が削除されたように、削除されることになるでしょうし、ニッチであまり人気のないスポーツや新しいスポーツの芽は、日本では育たないことになるでしょう。


そもそも、小学校、中学校は日本国民、或いは日本に在住して日本を学ぼうとする外国の子弟の義務教育の機関です。日本の国力が弱くなったから、人口減少したから、予算がつかないから、と縮小されるべきものでは、絶対にないです。そうであっては絶対にいけないのです。


義務教育は、もうずいぶん前から、破綻しています。義務教育なのに、不登校が常態化し、学校に一度も行かずして、卒業年齢に達したら、卒業が可能なのです。教師は、教育委員会や職員室のヒエラルキー、パワハラ、逆パワハラに苦しめられ、賃金が払われない残業は常態化し、また児童や生徒、また保護者からの、顧客でもないのに、顧客ずらしたカスタマーハラスメントに苦しめられて、3割が常時、退職するか療養休業状態です。

そんな教師たちは、それでも『予算がないから』『自分がせねば』という責任感を煽られて、そういう理不尽な環境に、まるでロボット兵士の様に指示通り動こうとするのです。人間がおかしくならないわけがないと思います。


日本憲法が平等や人権を謳うなら、7歳の児童も、15歳の生徒も、23歳の新米教諭も、40歳の酸いも甘いもかみ分けたベテラン教諭も、そして定年間近の教頭や校長も、そしてすべての保護者も、平等に、お互いの人権を尊重し、互いを守り、日本の義務教育を守るという強い意志をもたなければ、早晩、スポーツだけでなく、日本人を作るという義務教育自体が破壊されてしまうでしょう。


政治家は利権や権力争いにうつつを抜かすばかりで、いまや日本の政治はボロボロで、日本政治は今や、炎上系ユーチューバーのやりたい放題の場に成り下がってしまっています。そんなユーチューバーに、スマホを手にした児童や生徒は熱狂し、憧れを抱いているのです。大人になればそんなユーチューバーになって大金を稼いで勝ち組になると夢を見ているのです。


この国は、子どもから、若者から 他を利する喜びという人権尊重を大切にする人間性を育てず、その中でも、他を利する喜びに生きようといする若者から、夢も希望も奪い去ろうとしています。


メディアは、常に他人事です。ただ淡々と発信された内容を横並びに報道するだけで、政府に睨まれないこと、おもしろければいいという軟弱極まりない風潮に染まっています。


本当に悲しいです。


2024年6月4日火曜日

荒野に希望の灯をともす

 6月1日、中村哲医師の遺志を継いだ、アフガニスタンの干ばつの大地に水を引込み農作物が育つ耕地に生まれ変わらせるための、新しい用水路と貯水池の建設が完了したとのニュースを見ました。

その日、アクリエひめじで上映のあった、中村哲医師の生き様を追ったドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす』を観てきました。


劇場版 荒野に希望の灯をともす

http://kouya.ndn-news.co.jp/


映画は、2019年12月4日に中村哲医師が凶弾に斃れたところで終わりました。でも、そう、その後、あの用水路はどうなったのか、緑豊かな耕地に生まれ変わった大地は、今どうなっているのか、この映画の上映を知るまでは、全く気にも留めなかったというのに、恥ずかしながら気になったのです。

2021年8月31日にアフガニスタン戦争は、アメリカの敗北となし崩しの撤退で突然に終わりを迎え、アメリカとの戦争に勝利したタリバンがアフガニスタンの政権の座に着きました。

民主化を求めてアメリカに協力した人々や、教育の機会が与えられていた女性たちは、アメリカの庇護を失い、人権を失い、そして彼ら彼女らの消息は一切報道されなくなりました。アフガニスタンの人々の生活を支援していた各国のNGOもすべて国外に脱出しました。中村医師が先頭に立って築いてきた用水路も、緑地や耕地に生まれ変わった大地も、再び内乱の中で放置され、荒れ果て、干ばつの大地、人間が生きていけない大地に戻ってしまったのではないか、悪い想像をしました。


しかし、遺志を継いだNGOペシャワールのメンバーや中村哲医師と労苦を共にしたアフガニスタンの技術者、スタッフ、そして多くの用水路建設と維持に希望を託す農民たちが力を合わせ、過酷な自然と共生しながら持続的に恵みを得る為の、決して終わらない用水路建設と維持の活動は続いていました。

中村哲医師の、医療の技術や土木の技術、農業の技術は持ち込んでも、外界の主義主張、制度は持ち込まず、アフガニスタンの宗教、文化、制度に敬意を払い、何ものを奪わず、恵みをアフガニスタンに生きる人々に実感してもらえるよう、決して投げ出さず、逃げ出さず、命を賭してやり抜いてこられた、その生き様が、人間の根っこの深いところで、人々を結びつけ、勇気づけ、希望の灯をともし続けてきたこと、実感しました。


映画鑑賞中、ずっと私の頭の中に浮かんできたのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」でした。


雨にも負けず


風にも負けず


雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫な身体を持ち


欲は無く決して怒らず

いつも静かに笑っている


一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ


あらゆる事を自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かりそして忘れず


野原の松の林の陰の

小さな茅葺きの小屋にいて


東に病気の子どもあれば

行って看病してやり


西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い


南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと云い


北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないから止めろと云い


日照りの時は涙を流し

寒さの夏はオロオロ歩き


みんなに木偶の坊と呼ばれ

褒められもせず苦にもされず


そういう者に私はなりたい


中村哲医師は、アフガニスタンでの医療活動や灌漑用水建設活動に邁進する切っ掛けを、若き日、日本での医療技術の進歩による延命という倫理的問題に悩み、一時、登山隊の医師として日本を離れたけれど、その遠征の途中で、医師の訪問を聞きつけ遠方から数日かけて集まってきた人々に、遠征隊専属の医師としての役割を果たす為に、何も出来なかったことの後悔があったことを述べられていました。

それにしても、四十年近くも、中村哲医師をその地に留め、ソ連との戦争、アメリカとの戦争の戦禍の中で、理不尽な攻撃に命が危険に晒される中、誰も想像もしなかった、誰も実現できるとは思えなかった人力での灌漑事業を成した、その原動力は何であったのでしょうか?

想像のヒントと思えたのは、竹山道雄さんの児童小説「ビルマの竪琴」です。悲しみ、憎しみ、怒り、そして後悔、懺悔、等々の気持ちが、厳しくも美しい世界にも引きつけられもし、心に誓った事業をやり遂げるという不動の決意に至った、のかと想像します。


最後に、中村哲医師は、日本憲法の不戦の誓いが、私たちを守った。武器を執らず、不戦を貫いたことが、その不戦の意志が、信頼が、私たちを守ったと語られていました。

戦争が悲しいことに、日本国内でも身近に感じられるようになってきた昨今、私たちは何に信念を置くべきか、ひとりひとりが自分事として、私もあらためて考えたいと思います。