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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2023年5月23日火曜日

平成中村座姫路城公演を観劇しました。

俳優の高橋英樹さんが、平成中村座姫路城公演を観劇されたというニュースを妻が見つけて教えてくれました。高橋英樹さんのオフィシャルブログには、中村勘九郎、七之助ご兄弟と共に舞台の上で記念撮影された写真が掲載されていました。その写真には、舞台の借景として、実物の姫路城天守の姿が、夜の静寂に青く輝いていました。

高橋英樹さんのオフィシャルブログ写真にリンク

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実は、この平成中村座姫路城公演を、5月15日(月)に妻と一緒に観劇してきました。座席は舞台から見て右側にあたる二階の竹の後方の席で、舞台右側に延びる花道は真下にあって座席の前の柵の上に顔を伸ばさなければ見ることが出来ず、また舞台奥の借景も画角の下の方しか見ることの出来ない窮屈この上ない席でありましたが、でも第二部公演の二作目「天守物語」のクライマックス、舞台の背が開いて、光に照らされて緑に輝く姫路城内の松林が目に飛び込んで来るや、感動が頂上に達して、感激の涙がとめどなく溢れてきました。





歌舞伎なんて敷居が高いとか堅苦しいという何となくのイメージを持ってこの歳まできましたが、平成中村座という名と姫路城公演という希少さから、公演の座席を取り、いざ観劇すると、これまでのイメージは見事に払拭されました。

最初の演目「棒しばり」は、酒に目がない次郎冠者と太郎冠者の二人が、殿様の留守中に盗み吞み出来ぬ様に棒しばりされていたにも拘わらず、二人協力して酒蔵に潜り込み飲酒の挙げ句に棒しばりのまま酔いに任せて舞踊に興じるという、とても心躍る華やいだ演目で、その様子を楽しく堪能しました。そして何より、演ずる三名の演者とともに鳴り物奏者の方々、後見の方々、皆さんの一分の隙もない技量の素晴らしさに感銘を受けた次第です。

そして幕間後の二作目「天守物語」では、二時間近くにも及ぶ一幕の中で膨大なセリフと、一時も目が離せない演技、演出に対峙することになり、観る側も技量が試されている事を理解しました。そして私はその緊張に堪えきれず、前段の天守に潜むあやかしの姫君豊姫のところに、妹分である亀姫が遠く猪苗代の亀ヶ城から空を渡って訪問する怪しげで艶やかな交わりの段の途中で、窮屈な姿勢のまま寝落ちしてしまいました。気付くと亀姫がお供の鬼と帰路に着くところでした。しかし二段目では、豊姫と若侍の悲恋、そして追っての侍衆との立ち回りと、展開に強弱があって、そこでは舞台で展開される物語に引き込まれて、没頭して観劇しました。

豊姫の守護神である獅子頭が侍に刀で目を突かれると、豊姫と若侍ともに盲となり、このまま悲劇で終わるのかと悲観し始めたところで、この獅子頭を彫ったという名匠の翁が現れて獅子頭にのみを振るうと獅子頭の目に光りが戻り、それと同時に豊姫、若侍ともに目に光りが戻り、豊姫の怨念も晴れて、昇天するという大団円を迎えたところで、舞台の背が開き、外の本物の姫路城がライトに照らされた風景が、私たちの目に飛び込んで幕が下りました。

大大大大、大満足の観劇となりました。

2023年3月5日日曜日

ロシア 衝突の源流

 2月25日にNHK-BSプレミアムで放送のあったドキュメンタリー「ロシア 衝突の源流」を観て、これまでよく知らなかった現在も続くロシアの帝国化の歴史を少しですが知ることが出来ました。

ドキュメンタリーは、オックスフォード大学の教授で国際政治学者であるリチャード・ネッド・レボー教授が、古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスが「人はなぜ戦争を選ぶのか」の動機としてあげた「fear 恐怖」「spirit 威信」「Appetite 欲望」の三つのキーワードに照らし合わせながら、大国化強国化帝国化の野望を実現するために、人民の犠牲も厭わず、なりふり構わず戦争に邁進し続けてきたロシアの戦争の歴史を解説するという内容でした。


番組は、3月11日(土)13:30から再放送されます。


番組の終盤に、三人の学者が語ったメッセージを、下記に記します。


クリストファー・コーカー教授 専門分野:軍事史・戦略史

「19世紀、ヨーロッパのほぼすべての国が国民国家になろうとしていました。しかしロシアは一度も国民国家になったことがない。ロシアはずっと皇帝がいる国なんです。」


ナレーション

「ソ連崩壊から9年後の2000年、ロシア共和国のリーダーとなったプーチン大統領。

東ヨーロッパの国々はロシアの影響下から離れ、ウクライナなどソ連の構成国も次々に独立しました。ロシアの勢力圏は帝国時代と比べて狭くなりました。

今、戦場となっている地域はかつてのロシア皇帝たちが求めて止まなかった黒海への道に位置します。しかしそこは古来からのロシア領ではなく、戦争によって手に入れた土地でした。」


ウラジミール。プーチン

「ウクライナ侵攻はロシアの同胞を守るためです。我々には他の手段はなかったのだ」


ナレーション

「かつて自らを正教会の守護者として戦争に及んだロシア、しかし、ウクライナもまた正教会の国です。プーチンが崇拝するかつてのロシア皇帝たちの主張とそれは矛盾しないのでしょうか。

核兵器の使用さえほのめかしているロシア、破壊の限りを尽くした先に何が有るのか、プーチンはかつての皇帝たちが想像さえしなかった領域に踏み込もうとしています。」


アンドレイ・ゾーリン教授 専門:ロシア文学・ロシア歴史

「歴史家である私が言うのも変ですが、世界を平和に保つ為に重要な事は、指導者たちが現代の問題に対する答えを歴史に求めないことです。歴史的に自分たちの土地がどうかを考えても不満しか産みません。あなたの国が過去に私の国を迫害したかどうかを考えても憎しみしか産みません。

歴史が国際政治の議論の中心になってはいけないのです。国の指導者が歴史を政治に利用し始めたとき戦争の前触れとなるのです。

私たち専門家の仕事は歴史を戦争の道具にしないことです。学問として冷静に捉え、憎しみや恐怖を生まないようにしなければいけないのです。」


リチャード・ネッド・レボー教授 専門:国際政治学

「20世紀に入り、大国が戦争に負けるようになりました。その理由の一つがナショナリズムです。戦争とは敵に苦痛を与えるだけでなく、自らも犠牲に耐えなければなりません。だからこそナショナリズムが必要なのです。

ウクライナ人は、こう話している間にもロシア軍と良く戦っています。西側諸国がウクライナに最新武器を提供したからだけでなく祖国を守るために戦って死ぬ覚悟があるからです。一方のロシア兵にはそんな覚悟は有りません。

ウクライナだけではありません。歴史を見れば明らかだと思います。戦争はもう起こしてはいけないのです。犠牲が大きすぎるのです。

更に、周囲の反対を押し切って戦争を仕掛けても国際社会からは孤立してしまいます。ロシアは今、非常に大きな代償を払っています。

プーチンは自分をピョートル、エカテリーナやスターリンの後継者でありロシア帝国を築き上げる使命があると考えています。しかし現実はその逆で、プーチンはロシア国家を破壊している最中だと思います。」


2023年2月6日月曜日

この世界は美しく 人生は素晴らしい

 この世界は美しく 人生は素晴らしい


この文句は、きれいごとでしょうか?

この世界では、紛争、戦争、テロリズムが一日でも止んだ例しはなく、

身近でも、欺し、脅し、暴力、殺人が一日でも止んだ例しはありません。

そして

毎日毎日、大切なものが破壊され

毎日毎日、大切な人が生き物が傷つけられ殺されています。

しかし、今の私たちには

毎日毎日、苦しむ人、悲しむ人、絶望する人、怨みを抱く人が増え続けても、

彼らを救う手立てが見つかりません、ありません。


この世界は美しく、人生は素晴らしい


それでも、私たちはこの文句を、きれいごとを

夢に、目標に、しなくてはなりません

そうでなければ、絶望が、暗黒が、終わりが、

私たちの世界を飲み込んでしまうからです。


明日が少しでもマシな一日にするために

生きている内に、少しでも実感できるようにするために

子供たちが、孫の世代が、未来の人々が、当たり前に思えるために


そのために私たちに与えられた道は一つしかありません

デモクラシー

日本では、民主主義と呼んでいる

ひとりひとりが、誰もが、すべての人々が、

大切にされる、尊重される、社会、国家、世界の実現を目指して

進化すること、進歩すること、持続すること、これを止めないこと

です。


そのために、私たちは

私たちが目指すデモクラシーを、民主主義を

何よりもまず学び、血肉にして、

デモクラシーを、民主主義を

進化するために、進歩させるために、持続するために、止まないように

行動しなければなりません。


この世界は美しく、人生は素晴らしい


次の世代に、引き継ぐために

私たちは行動しなくてはなりません。諦めてはなりません。


2023年1月8日日曜日

今日、耕太郎が門出を迎えました。

 次男耕太郎はスポーツ指導・運営管理に関わる職を得て、今日横浜へと旅立ちました。

高校卒業後一度就職しましたが、スポーツに関わる仕事をしたいという夢を実現するために一念発起して、スポーツの指導が出来る教員免許を取得するために学校に入りました。

しかし、無事に卒業を迎えても世の中は不景気とコロナ禍のまっただ中で、なかなか就職が決まらず、派遣社員登録して介護の仕事に就きながら就職活動を続けて一年あまり、漸く希望するスポーツを事業の柱とする会社に就職が叶いました。そして明日から始まる新人研修に参加するため、研修場所で本社のある横浜に旅立ちました。


二十六才の旅立ちです。

ずぼらな性格です。無愛想な性格です。少し気の弱いところもあります、優柔不断なところもあります。

ですがそれ以上に、友達思い、仲間思い、心根の優しい、そして少しずつですが思慮深さを学びつつある、偉丈夫です。

しんどいことでも進んで行い、仕事を覚え、いずれは周りの人たちから信頼に足る者になって欲しいと願っています。

人を大切にし、自分自身も大切にできる、労れる者になって欲しいと願っています。

2023年1月1日日曜日

母と暮らせば

 母は年末の介護認定更新調査の結果、要介護5に認定されました。

しかたありません、年齢も今年誕生日を迎えれば98才になりますし、年相応に認知機能も身体の衰えも進んでいます。

見ていて辛いのは、左手が丸く引きつってしまっていること、起床時ベッドから起こすときに、少しでも足が伸びてしまっていると関節部分に強い痛みが生じる時です。そんな時、母は顔を大いに歪めて痛みを訴えてきます。でもどうしようもありません、これが人間が痛み衰えてゆく姿なのだと、ただただ頑張れと笑顔で声かけするだけです。


それでも改善したこともありました。

母は衰える以前から便通が悪く、ダイオウ粉末などの薬を服用して排便を促していました。認知機能や身体の衰えが進んで、家族によるケアが必要になってからも服用を続けていました。服用しないと一週間経っても便が出ないのです。しかし、服用すればするで、今度は緩い水便がドバッと排出されオムツパンツからも漏れ出して、服から床から布団からシーツから便塗れになってしまい、その後の片付けや洗濯が大変でした。


それが二年前の母の誕生日の時に、一番上の姉が介護食弁当の一ヶ月お試しをプレゼントしてくれて、これが契機となって、母の食事に色々と気を使うようになりました。


そして現在、母の食事は基本一日二食となり、

朝は、手作りのカボチャやさつまいものピュレに、豆腐と黄身とチーズを混ぜ合わせてスープやシチュー類と合わせて温めたグラタン、そして牛乳から作ったリコッタ、季節の果物のすりおろし、これらを組み合わせて一食にし、

夕刻に、介護食の弁当と、市販の介護食おかゆ御飯類、そしてスープで一食、

間食としてプリンや介護ゼリー

飲み物は、コーヒー、紅茶、日本茶と栄養剤ドリンクであるエンシュアリキッドで水分補給をしています。

テーマは誤嚥防止と、とりあえずしっかり食事を取る事です。

代わり映えしないメニューですが、これを続けている内に、ダイオウ粉末など服用せずとも、形を維持した軟便が出るようになりました。合わせて、汚れることもほぼ無くなって、トイレサポートが楽になりました。


こちらも体調の優れないことも多く、冬場になると風呂に入れることは難しくなりました。けれど、こういう時、温水が出るウォシュレットがあって助かります。

後は身体を温湯で浸したタオルで拭いて、清潔な着替えをすることで、肌のダメージを防いでいます。


十分に満足する様なサポートは出来ないけれど、手を抜くことも多いけれど、それでも母は、時折に「ありがとう」と言ってくれます。いつもはぶっちょずらの私ですが、母の前では笑顔と大きな声で接しています。


母の口癖は「呆けても呆けてもいんだから」「呆けるときは呆ける」などなどです。この口癖を聞くと、なんとも緩やかな笑みがこぼれます。後どれくらい、この口癖が聞けるかは分かりませんが、聞けなくなるまで、母と暮らしていたいとと思います。


2022年12月31日土曜日

大晦日の朝の、思わぬ出来事

 深夜...突然の電話のコール音で目を覚まし、相手を確認すると娘でした。

なんや、こんな深夜にといぶかりながら電話を取ると、数名の男女の会話声が聞こえてきます。とっさに娘の名前を呼ぼうとしましたが、会話の様子からまだ仕事中みたいなのです。偶然スマートフォンの電話ボタンに手が触れて、こちらに掛かってしまった様子です。本人も気が付いていない様子でしたので、察して電話を切りました。

メガネを掛けて、時間を確認すると5時でした。明け方です。

娘は現在アニメーション制作会社に勤めていて、ある作品のアニメーション制作のプロジェクトマネージメントに携わっています。追い込みで年末年始は帰れないと連絡はありましたが、頑張っているな、と頭が下がる思いがしました。

夕方電話を入れると、これから帰宅すると話します。今朝は一度家に戻って午後から出勤、それでも大晦日ということで、一応仕事納めとなった様子です。

明日は秩父の方に初詣に出かけると話していました。きっと、大変だけど、しんどいんだろうけど、充実しているんだろうと、自分のことのように誇らしく思います。

一段落付いたら帰省するとも話していたので、来年の娘の帰りを楽しみにしたいと思います。

2022年12月12日月曜日

保育の現場で、今起きていること

イエスはオリーブ山に行かれた。そして、朝早く、イエスはもう一度会堂に入られた。民衆は皆、御許に寄って来た。イエスは座って、彼らに教え始めた。

すると、パリサイ派の律法学者が、姦淫の現場を捕らえたひとりの女を連れて来て、会堂の真中に置いてから、イエスに言った。「先生、この女は姦淫の現場で捕まえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ち(死刑)にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」彼らはイエスを試してこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。

しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。けれども、彼らが問い続けて止めなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなた方の内で罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。

彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、一人ひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者は無かったのですか。」

彼女は言った。「誰もいません。」

そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」


新約聖書、ヨハネの福音書第8章1-11節の御言葉です。

イエスは、神がモーセに授けたイスラエルの民の律法に反する罪を犯した者を裁けるのは、罪を犯したことのない者だけだと語り、そして、神の子として地上に使わされた私(イエス)、神の権威を授かる私(イエス)は、罪人の罪を許し改心に導くと語ります。殺伐な現代においても、心が平安に満たされる御言葉です。

保育園での保育士による園児虐待の報道が、連日テレビのワイドショーでヒートアップしながら取り上げられる様を見ていて、人が死ぬような事態にならなければよいのにという不安を感じ、この思いを妻に話すと、妻は上の御言葉を沿えて同意を示してくれました。


保育士が行ったとされる園児へのあるまじき行為が一つでも事実だとすれば、これは被害者となった子どもとその保護者にとってとても許せない事件です。報道でこの事件を初めて知った時の私でさえ怒り心頭になったほどです。ですが冷静になってみると、私は行為を行ったとされる保育士に向かって石を投げつけることは出来ません。私は彼らが犯したとされる罪に対する量刑を決めることも、刑を執行することも出来ないからです。彼らの人生を左右する責任を負えないからです。

保育士は、事件が報道されてから数日後に逮捕されました。しかし、保育士は、逮捕されるまでに人生が終わるほどの私刑に晒されたのではと想像します。

テレビの報道では、様々なコメンテーターから、一様に厳しい言葉を投げつけられ、逮捕されてからは顔写真と氏名も公表されました。ネット上では、誹謗中傷の餌食となっているかもしれません。それは本人だけで無く、家族にも累を及ぼしているかもしれません。


この事件が、残念でならないことは、事件が通報されてから、役所の担当部署が三ヶ月も放置していたこと、また園長が何をとち狂ったか隠蔽しようとした事です。

もしも、他の保育士から通報があった時点で、すぐに行為の事実関係を明らかにして、保護者を交えて、行為の事実内容と謝罪、そして行為に至った原因を示して、再びこの様な行為が起きないようにするための話し合いがもたれていれば、責任ある者が罪を犯した保育士に対して罪に相当する罰を与え、また利用者、保育士にとって、園の環境や運営を良いものに改善する契機に出来たのではないかと思います。


保育士は、大変な仕事です。

預かる園児の数によって必要な保育士の人数が決まり、その余裕のない人数で、保育業務にあたっています。保育士は、児童心理に精通しなければならず、園児一人ひとりの安全確保から、児童向けの遊びや童謡にも精通し、創意工夫して、園児の良き遊び相手にもならなければなりません。当然に園内の雑務から事務処理も行わなければならず、保護者の応対から、外部の有識者と呼ばれる方の視察にも対応しなければなりません。

平時ならなんとか回せたとしても、この三年にも及ぶコロナ禍の様な非常時では、途端に保育士の人数不足に陥ります。ですから保育士は、自らや家族にも行動制限を課すなりして、非常に過敏な精神状態を強いられます。つまり常に強いストレスに晒されています。

政治がアフターコロナに舵を切った後も、世の中がアフターコロナを謳歌しようという風潮に変わっても、コロナ禍が全く収まる兆しのない現在、保育の現場は何も変わりません。何も変わらないどころか、もはや無防備にコロナ禍に晒されている状況です。

それは医療の現場でも、介護の現場でも同様であると思います。最近のコロナ罹患による高齢者の死亡が増加に転じていることを見ても、そう言えるのではないかと思います。


今回の事件から、他の園からも同様の問題が指摘され始めています。原因は多様でしょう。しかし、保育士が現在晒されている職場環境の悪化から受けるストレスが、大きなウエイトを占めているのではと思います。

子どもにとって、保育園、こども園、児童園は、現在の社会環境においては必要不可欠なシステムです。そして子どもが安全で安心に過ごせるためには、保育士にとっても安全で安心に働ける職場でなければなりません。そして利用者の理解と互いの尊重も必要です。そして労働に見合う報酬に引き揚げること、それが保育士のプライドを高めるために必要です。

その事を、政治だけで無く、政治を動かす力の源泉である民意としなければいけないと思います。

そうしなければ、近い将来にも児童保育システムが崩壊し、さらに日本人の出生率が激減するという事態が起こりかねないこと、想像に難くないと思います。