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藪の中

先月、BSで黒澤明監督作品「羅生門」を観ました。同じ黒澤明監督作品である「用心棒」や「椿三十郎」の様な痛快な時代活劇ではなく、陰鬱な気分になってしまう平安時代が舞台の物語です。 物語は、ある殺人事件の重要参考人として捕らえられた盗賊の多襄丸、殺された若侍の新妻真砂、そして殺さ...

2020年11月6日金曜日

うるちゃん、冬が来ました

 朝晩すっかり寒くなると、うるちゃんが私の寝床に入ってきます。うるちゃんと寝ると暖かいです。寝顔可愛いです。




中華風満腹感満載のつゆだくロールキャベツ

 朝晩すっかり寒くなりましたね。こんな夜は温かい料理が一番です。

そこで、つゆだくロールキャベツを作ってみました。

中に入れる具は、家で作る餃子の具をアレンジしたものです。

不器用ですから、俵型おむすぶサイズの大きさの具を、中々上手にキャベツで巻くことができません。きつく巻けないから爪楊枝でピン止めします。

中くらいのキャベツ一つで、巻けたのが10個。

余った具は冷凍庫へ

余ったキャベツは一緒に煮ます。人参も大きめにカットして煮ます。

これで満腹感満載のつゆだくロールキャベツの完成です。

中華の香りがとても食欲をそそります。(#^.^#)


レシピは、
クックパッドはりまのくにキッチンで参照願います



2020年10月31日土曜日

ジェームス・ボンド逝く

初代007ジェームス・ボンドを演じた名優ショーン・コネリーさんが、本日バハマで死去されたというニュースに触れました。


在りし日のカッコいい姿を、残された作品を見返して偲びたいと思います。

とっても大好きな、どこまでもカッコいいスコットランド人でした。




2020年10月22日木曜日

これはリンゴである

 "This is an apple.

Some people might try to tell you that it's a banana.

They might scream "Banana, banana, banana" over and over and over again.

They might put BANANA in all caps.

You might even start to believe that this is a banana.

But it's not.

This is an apple."

これはリンゴである。

あなたは誰かにこれはバナナだと言われるかもしれない。

彼らは「バナナ、バナナ、バナナ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「バナナ」と強調するかもしれない。

あなたまで、これはバナナなのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これはリンゴである。


「真実の終わり」

原題:The Death of Truth: Notes on Falsehood in the Age of Trump

著者 Michiko Kakutani

訳 岡崎玲子

の第一章「理性の衰退と没落」の扉に掲載されていた

リンゴの写真を示すCNNコマーシャルメッセージを膨らませました。




「これはリンゴである」


これはリンゴである。

あなたは誰かにこれはバナナだと言われるかもしれない。

彼らは「バナナ、バナナ、バナナ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「バナナ」と強調するかもしれない。

あなたまで、これはバナナなのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これはリンゴである。


これは私たちの友達である。

あなたは誰かにこれは私たちの敵だと言われるかもしれない。

彼らは「敵だ、敵だ、敵だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「敵だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは私たちの敵なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これは私たちの友達である。


これは分かち合いである。

あなたは誰かにこれは略奪だと言われるかもしれない。

彼らは「略奪だ、略奪だ、略奪だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「略奪だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは略奪なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これは分かち合いである。


これが真実である。

あなたは誰かにこれは嘘だと言われるかもしれない。

彼らは「嘘だ、嘘だ、嘘だ」と、繰り返し繰り返し叫ぶかもしれない。

彼らは「嘘だ!」と強調するかもしれない。

あなたまで、これは嘘なのでは?と信じかけるかもしれない。

でも違う。

これが真実である。

2020年10月17日土曜日

笑えません

 友達から、近所の兄ちゃんが探偵ナイトスクープに出るという連絡があり、深夜番組であるので録画して、朝に観ました。

そして朝、友達と話しました

一言でいうならば、30年を越える、あの輝かしい番組は終わった、という事をです。


近所の兄ちゃんが登場したのは、

13歳のゴジラ大好き女の子が、可愛い妄想をリアルに体験したいという突飛な依頼を、探偵が叶えるというVTRの中でした。

そのVTRは、女の子が澤部探偵が連れてきたゴジラとの一日デートを物怖じせずに思いっきり楽しむ姿と、デートについてきた女の子のおじいちゃん(これが近所の兄ちゃんです)が見せる感傷的な姿を、奇異なものとして見せることに終始していました。

VTRの後、他の探偵も松本局長もフォローに苦慮している様が見て取れました。


そのVTRからは、感動も面白みも全く感じることができませんでした。

もしVTRの中で、女の子とおじいちゃんよりも年上のゴジラとのなれそめ、出会いにまで踏み込んでいたならば、そして、女の子とおじいちゃんとの心温まるエピソードにまで踏み込んでいたならば、間違いなく、年間最優秀感動VTRの候補になるほどの作品になったと思います。近所の人間からすれば、ただただ腹立たしい気持ちです。


今回、探偵ナイトスクープを見たのは久し振りでした。松本局長になってからは初めての視聴です。

探偵ナイトスクープが始まった頃は、駆け出しの芸人探偵たちが、上岡局長の厳しくも愛情ある叱咤激励をうけて、心の底から大笑いできる作品や感動できる作品を次々に見せてくれました。どの短いVTRにも、愛と哀があり、泣き笑いがあり、しっかりと上方のお笑い文化が継承されていました。だからこそ、関西人に長く愛されてきたのだと思います。

笑いの質が変わったのでしょうか、芸人の位が変わったのでしょうか、忙しくなったのでしょうか、上方のお笑いの神髄である、喜怒哀楽はどこへいったのでしょうか、眺めるだけの意味の無い笑いが最近あまりにも多すぎて・・・、

笑えません。

2020年10月15日木曜日

親愛なるアメリカ人の人々へ

 私は一人のしがない日本人ですが、アメリカ大統領選挙の行方を、これからのアメリカがどうなるのかが心配で見守っています。


アメリカ建国の父たちがアメリカの理想として後継者に託したリバティとデモクラシーは、250年の時を経てアメリカ以外の多くの国へも理想として引き継がれました。

リバティは、アメリカ国家は古い国家、独裁国家の様に国民を弾圧することなく、国民の自由を保証する。アメリカ国民の、行動の自由、選択の自由、思想の自由、言論の自由等々を保証する。と云うことですね。

そしてデモクラシーは、すべてのアメリカ国民は、リバティの享受者であるとともに、その守護者であり、リバティの理想を追い求める国家運営、政治に参加する事が出来る。と云うことですね。

私は映画「スミス都へ行く」を観て、以上の様に理解しました。


しかし、リバティとデモクラシーと云う理想の実現は、アメリカ同様にすべての国が道半ばです。そして理想への厳しい道程よりも、安易に進めそうな別の道の誘惑によって、リバティとデモクラシーが危機に瀕しています。


日本も同様です。

日本は75年前の第二次世界大戦敗戦の後に、アメリカを主体とする占領国の指導によりリバティとデモクラシーを理想とする国家へと生まれ変わりました。しかし、それはアメリカ建国の父たちの理想とは似て非なるものになっていると思っています。

戦争以前からの日本の支配者層、エスタブリッシュメントは、戦後も生き残り、この国を支配し続けています。彼らは戦争以前まで、天皇を絶対権威に仕立て上げて国民を平伏させ、精神も肉体も支配しました。そして戦後は、自由と民主主義を教義として国民を教育し、支配を続けています。自由はリバティの翻訳語、民主主義はデモクラシーの翻訳語です。

しかし日本では以前から、自由には身勝手という意味があり、民主主義には数の多いほうが勝ちという意味がありました。そしてその行動は、別の誰かが責任をとるだろうという無責任なものでした。その結果、日本の政治は国民を顧みることのない「身勝手な政策」と「数が力」で支配され続けています。

それでも日本は、勤勉さ、辛抱強さ、和を尊ぶという国民性によって、戦後復興を果たし、1980年代にはアメリカが警戒するほどの経済大国と呼ばれるようになりました。

しかし、戦後が遠くなり、戦争時の苦渋を知る人々が死んで少なくなるに連れて、勤勉さ、辛抱強さ、和を尊ぶという国民性も薄れてきました。その結果が、1990年代に起こったバブル経済の崩壊です。そして日本国民は、経済力という柱を失い、自信も失いました。

そして現在、エスタブリッシュメントが御題目として唱えるようになったのが、「経済の持続性」です。それは、かろうじて生き残った経済システムを維持し続けるために、国民のあらゆる権利を踏みにじるというものでした。そして国民は、非正規雇用に誘導されました。非正規雇用は、摩耗すれば交換される安い部品の様なものです。そうして非正規雇用となった国民は、夢や希望を失いつつあります。


アメリカも同様ですね。

アメリカ建国の父が理想として後継者に託したはずのリバティやデモクラシーは、今はまるで日本の自由や民主主義の様に思えます。

日本人から見れば民主政治の理想と思える二大政党制ですが、二つの党は、それぞれの支持者にのみ迎合し、国家を二分する対立を生む元凶になっているように思えます。

進歩的と云われる民主党は性急な国民の統合を掲げて、民族、宗教、肌の色、性的少数派への差別を無くし、国家による社会保障の充実を訴え、かたや保守的と云われる共和党は、建国以来の多数派である白人の国民に与えられたあらゆる権利(その一つが、身を守るための銃を所持する権利)、キリスト教会の教えを忠実に守る権利(中絶や性的少数派を認めない権利等々)の守護者であることを訴えて、政党支持者の熱狂を誘い、対立政党への憎悪を煽っているように思えます。


親愛なるアメリカ人の人々へ、

冷静になってアメリカ建国の父たちがあなたがたに託したリバティやデモクラシーの理想に立ち戻り、すべてのアメリカ国民が希求する安全な生活の実現と融和の実現のために、協力されることを願います。

そして、理想のリバティやデモクラシーを追求する守護者としての誇りと指導力を取り戻されることを願います。

どうか、これから先もリバティとデモクラシーを理想に掲げる他の国々の目標であり続けて下さい。お願いします。

2020年10月4日日曜日

Where have all the flowers gone? 花はどこへ行った?

 60年前、アメリカで生まれた一曲のフォークソング「Where  have all the flowers gone?(邦題:花はどこへ行った?)」は、アメリカ国民を泥沼に引き込んだベトナム戦争の「反戦のシンボル歌」となりました。そして、この歌は様々な言語でも歌い継がれて、やがてこの世界の「反戦のシンボル歌」となりました。

この歌が、今もこの世界のどこかで歌い続けられているという現実が意味するのは、この世界から今も戦争や紛争が無くなっていない、ということです。

それでも、この歌を歌っていこう、歌い続けるんだと奮闘する在野の人々がいます。

そういう人々を描いたロードムービーに出会いました。

2015年スペイン映画「A Perfect Day (邦題:ロープ 戦場の生命線)」です。


1991年、ユーゴスラビア社会主義国の解体から端を発したユーゴスラビア紛争は、隣人として共生していた異なる複数の民族が10年にも及び、憎しみあい、至る所で殺し合いを続けるという凄惨で破滅的で終わりの見えない民族紛争となりました。

それでも停戦協定を結んだ地域では、UNが平和維持の名目で駐屯し、様々なNGOが現地に入り、住民の生命や健康を守るための活動を展開しました。「国境なき水と衛生管理団」もその一つでした。

「国境なき水と衛生管理団」、彼らは停戦地域の荒野を、自ら車で駆け巡り、住民の為の飲料水の安全確保やトイレの確保、維持・修理を行っていました。


ある日、とある村にある唯一の井戸が、よそ者が投げ入れた誰かも分からぬ死体で汚染されたとの通報があり、遺体引き上げと井戸水の洗浄作業のためにその村に向かいます。

しかし、村に行くのも一難です。彼らを好としない者達(助けようとする民族を敵視する者、或いは外国人を敵視する者、或いは井戸水を汚染した上で飲料水ビジネスで大もうけを企む者等々)が、行く手に地雷を仕掛けているかもしれないのです。経験と勘と勇気を総動員して彼らは道を進みます。

そして村に到着し、まず遺体引き上げに取りかかりますが、使い古され傷んだロープは、遺体の重さで切れてしまいます。彼らは近隣の村を巡りロープを買い求めに走りますが、雑貨屋にロープはあっても、村人は彼らにロープを決して売ろうとはしません。

それどころか「ロープは首を吊る道具だ」と言い放ち、あからさまに敵意を向けてくる始末です。

停戦地帯に駐屯するUNに窮状を訴えても、地雷撤去が優先だと、彼らの窮状は聞き入れられることはありません。結局、丸腰の彼らは、この危険な場所で孤軍奮闘するか撤退するか、そのどちらかを選ぶしかないのです。

そして彼らは、孤軍奮闘する道を選びます。

彼らは道の途中で、一人の少年を拾っていました。その少年は彼の持ち物であるサッカーボールを他の村の少年に銃で脅され奪われていました。彼らはその少年を保護し、彼の祖父の元に送り届けるために同乗させていました。その少年が、彼が両親と住んでいた家にロープがあると言います。少年の両親は遠い町に働きに出ることになって、彼は祖父の元に預けられたと話します。彼らは少年の話を信用して、少年の家に向かいます。

少年が住んでいた家は、数件の家が建ち並ぶ村の中にありました。

彼らは少年を外に待たせて、彼の家に入りロープを探します。家の中は、誰かが持ち込んだ爆弾によって屋根が吹っ飛ばされていました。そして勝手口に面した外の木に、少年の両親と思しき二体のロープで首を吊された遺体を見つけました。

彼らはロープを見つけました。彼らは少年に真実を告げず、少年の祖父の元へと車を走らせます。

少年の祖父に真実を話し、その後、彼らは手に入れたロープを使って井戸からの遺体引き上げ作業を始めます。もうすぐ遺体が引き上げられるという段になって、UNが現れ、停戦協定を守るために遺体を勝手に移動することは許されないと、ロープを切って遺体を元の井戸の底に沈めます。

彼ら「国境なき水と衛生管理団」の懸命な活動は、徒労に終わることになりました。

疲れ切った体で、彼らは安息地であるホテルのベッドを目指します。そんな彼らのもとに無線で通報が入ります。それは七千人が暮らす難民キャンプのトイレが壊れ、至急修理してほしいと云う依頼でした。彼らは目的地をホテルから難民キャンプに変更し、疲れ切った体でトイレ修理に向かいます。

今回がこの仕事のデビューであった新人がトイレ修理は簡単かと、ベテラン達に問い掛けます。雨さえ降らなきゃ大丈夫、とベテラン達は応えます。道すがら急に天候が悪化して強い雨となりました。新人は「A Perfect Day (なんて完璧な日なんだ『なんて困難なんだ』))」と呟きます。

雨音に代わって「Where  have all the flowers gone?」の歌が聞こえてきます。

雨は荒野に洪水をもたらしました。

遺体の沈む井戸も水が溢れて、遺体が入り口まで押し上げられます。それを認めた村人達は総出で遺体を井戸から引き出します。


end


あらためて、「Where  have all the flowers gone?(邦題:花はどこへ行った?)」を聴きました。詩を読みました。


Where have all the flowers gone?

Long time passing

Where have all the flowers gone?

Long time ago

Where have all the flowers gone?

Young girls have picked them everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the young girls gone?

Long time passing

Where have all the young girls gone?

Long time ago

Where have all the young girls gone?

Gone for husbands everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the husbands gone?

Long time passing

Where have all the husbands gone?

Long time ago

Where have all the husbands gone?

Gone for soldiers everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the soldiers gone?

Long time passing

Where have all the soldiers gone?

Long time ago

Where have all the soldiers gone?

Gone to graveyards everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the graveyards gone?

Long time passing

Where have all the graveyards gone?

Long time ago

Where have all the graveyards gone?

Gone to flowers everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


Where have all the flowers gone?

Long time passing

Where have all the flowers gone?

Long time ago

Where have all the flowers gone?

Young girls have picked them everyone

Oh, when will they ever learn?

Oh, when will they ever learn?


花はどこへ行ったの?長い時を経て

花はどこへ行ったの?長い時が流れて

花はどこへ行ったの?

花は娘達がみな摘んでしまった

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


娘達はどこへ行ったの?長い時を経て

娘達はどこへ行ったの?長い時が流れて

娘達ははどこへ行ったの?

娘達はみな夫に従うために嫁いで行った

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


夫達はどこへ行ったの?長い時を経て

夫達はどこへ行ったの?長い時が流れて

夫達ははどこへ行ったの?

夫達はみな兵隊に採られて戦場へ行った

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


兵隊達はどこへ行ったの?長い時を経て

兵隊達はどこへ行ったの?長い時が流れて

兵隊達はどこへ行ったの?

兵隊達はみな殺されて埋葬された

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


兵隊達の墓場はどうなったの?長い時を経て

兵隊達の墓場はどうなったの?長い時が流れて

兵隊達の墓場はどうなったの?

兵隊達の墓場はみな花に覆われた

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


花はどこへ行ったの?長い時を経て

花はどこへ行ったの?長い時が流れて

花はどこへ行ったの?

花は娘達がみな摘んでしまった

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?

ああ、彼らはいつになれば学ぶのだろうか?


YouTubeに、NHKスペシャルの過去番組「花はどこへ行った♫ 静かなる反戦の祈り」があり、観ました。この歌がどの様に生まれたかを学ぶことができました。


花はどこへ行った♫ 静かなる反戦の祈り

https://www.youtube.com/watch?v=1tk91SF2soo


忌野清志郎が歌う日本語バージョンも聴きました。

https://www.youtube.com/watch?v=_Ei6qM5A_SE&feature=emb_logo


この歌を最初に作ったピート・シガーの歌も聴きました。

https://www.youtube.com/watch?v=1y2SIIeqy34


そして、今私は思います。

この歌は反戦歌の域を超えて、

人権や行動の自由、言論の自由が無かった時代の人々の哀れを伝え、

人権や行動の自由、言論の自由を奪われようとしている現代の私たちに、

繰り返すな、過ちを犯すな、と語りかけているように思います。