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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2020年10月17日土曜日

笑えません

 友達から、近所の兄ちゃんが探偵ナイトスクープに出るという連絡があり、深夜番組であるので録画して、朝に観ました。

そして朝、友達と話しました

一言でいうならば、30年を越える、あの輝かしい番組は終わった、という事をです。


近所の兄ちゃんが登場したのは、

13歳のゴジラ大好き女の子が、可愛い妄想をリアルに体験したいという突飛な依頼を、探偵が叶えるというVTRの中でした。

そのVTRは、女の子が澤部探偵が連れてきたゴジラとの一日デートを物怖じせずに思いっきり楽しむ姿と、デートについてきた女の子のおじいちゃん(これが近所の兄ちゃんです)が見せる感傷的な姿を、奇異なものとして見せることに終始していました。

VTRの後、他の探偵も松本局長もフォローに苦慮している様が見て取れました。


そのVTRからは、感動も面白みも全く感じることができませんでした。

もしVTRの中で、女の子とおじいちゃんよりも年上のゴジラとのなれそめ、出会いにまで踏み込んでいたならば、そして、女の子とおじいちゃんとの心温まるエピソードにまで踏み込んでいたならば、間違いなく、年間最優秀感動VTRの候補になるほどの作品になったと思います。近所の人間からすれば、ただただ腹立たしい気持ちです。


今回、探偵ナイトスクープを見たのは久し振りでした。松本局長になってからは初めての視聴です。

探偵ナイトスクープが始まった頃は、駆け出しの芸人探偵たちが、上岡局長の厳しくも愛情ある叱咤激励をうけて、心の底から大笑いできる作品や感動できる作品を次々に見せてくれました。どの短いVTRにも、愛と哀があり、泣き笑いがあり、しっかりと上方のお笑い文化が継承されていました。だからこそ、関西人に長く愛されてきたのだと思います。

笑いの質が変わったのでしょうか、芸人の位が変わったのでしょうか、忙しくなったのでしょうか、上方のお笑いの神髄である、喜怒哀楽はどこへいったのでしょうか、眺めるだけの意味の無い笑いが最近あまりにも多すぎて・・・、

笑えません。

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