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Progressive Education Reform(進歩的教育改革)のすすめ

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2026年6月16日火曜日

ワン・バトル・アフター・アナザー

 ”One Battle After Another”は、『次から次へと続く戦い』という意味で、トラブルや苦難が休む間もなく連続する状況を現す英語表現だそうです。

この英語表現がタイトルとなった、今年の第98回アカデミー賞で作品賞、監督賞など最多6部門を受賞した米国映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』を観ました。

この物語は、不法移民が不当に扱われる収容所や事業所を組織的に襲撃して移民を解放する極左革命グループ「フレンチ75(the French75)」と、白人の純潔主義を掟としながら利益のためには不法移民を不当に利用し殺害も厭わぬ秘密結社「クリスマス・アドベンチャーズ・クラブ(the Christmas Adventurers Club)」との『次から次へと続く戦い』、『不毛な戦い』が描かれていました。その戦いはもう壮絶で、身勝手で、残忍で、途中何度も視聴をやめようかと思いましたが、後半に入ってからのカーチェイス(逃走と追跡)のスリリングさと映像の斬新さに引き込まれ、この二転三転する物語の結末を何とか見届けることができました。


あらすじです。

フレンチ75で爆弾製造と爆破を担当し、今は名を変え16歳の娘シャーリーンと聖域都市(不法移民を含む移民に寛容な町)に暮らす冴えない初老の男パット・カルフーンが主人公です。この父娘に、クリスマス・アドベンチャーズ・クラブ(以下、CAC)の暗殺部隊が近づきます。それを察した父娘は別々のルートで逃亡を図ります。

暗殺部隊のリーダーは、16年前に移民収容所を守備していてフレンチ75に襲われ、リーダー格の黒人女性ペルフィティア・ビバリーヒルズに拘束された上、SEXを強要された経験を持つスティーブン・J・ロックジョー大佐です。

ロックジョー大佐は、白人至上主義者・純潔主義者を任じていましたが、ビバリーヒルズとのSEXの昂奮が忘れられず、ビバリーヒルズを自分のものにしたいという欲望に突き動かされます。そして執拗にビバリーヒルズを付け狙い、ビバリーヒルズが銀行強盗にしくじった時に身柄の確保に成功します。そしてビバリーヒルズに取引を持ちかけます。殺されたくなければフレンチ75の活動家のリストを白状した上、自分の女になれという取引です。

ビバリーヒルズは、フレンチ75の中でもひときわ過激な活動家です。その過激さに酔いしれ昂奮し、過度にSEXを求める性癖がありました。いつもその性衝動を仲間のパット相手に晴らしていました。この無節操な行動でビバリーヒルズは妊娠し女の子シャーリーンを出産します。パットはシャーリーンを愛し、ビバリーヒルズに供にフレンチ75を引退して静かに暮らすことを提案しますが、ビバリーヒルズは拒否し、二人のもとを去り、さらに過激で危険な活動に身を投じていきます。そしてつまずきCACに捉えられます。ビバリーヒルズは命乞いし、仲間を売り、ロックジョー大佐の女になることを選択します。

そしてCACによるフレンチ75の活動家狩り、暗殺が始まります。パットは名を変えシャーリーンを連れて身を隠します。ビバリーヒルズもまたロックジョー大佐の隙を突いて、メキシコに逃亡します。

ロックジョー大佐は、一連の活躍からCACの幹部の目に留まり、幹部候補に推薦されます。CACの幹部となるためには、白人純潔主義であることを、これまでも、これからも守り通すことを誓わねばなりません。そしてロックジョー大佐は幹部連中の前で誓います。その誓いは偽りです。そこからロックジョー大佐は、ビバリーヒルズとの関係の痕跡を消すために、ビバリーヒルズ、そしてパットとシャーリーンの追跡を開始します。

そして後半に入ります。

ロックジョー大佐は、シャーリーンの拉致に成功し、シャーリーンの血液を採取してDNA鑑定を行い、本当の親子であることを確定します。

パットは、シャーリーンが拉致されたことを知り、ロックジョー大佐を追跡します。シャーリーンは、ロックジョー大佐の隙を突き、逃亡を図ります。ロックジョー大佐は、逃亡したシャーリーンを殺害するために追跡します。そして、ロックジョー大佐とビバリーヒルズとの関係に気付いたCACは、ロックジョー大佐を排除、暗殺するために殺し屋を差し向けます。四つ巴のカーチェイスが始まります。

そして、おぞましい結末で、この物語は終わります。


この物語は、矛盾した『自由』の理念に突き動かされる人間の恐ろしさを描いたものではないかと想像します。

漢字の『自由』に対する英語は、”Freedom”と”Liberty”です。しかし、”Freedom”と”Liberty”は相反する理念です。”Freedom”は、生まれながらに持つ、制約や束縛がなく、自分の意志で思考や行動ができる「本質的な状態としての自由」を意味します。かたや”Liberty”は、国家や権力などの束縛や抑圧から「自ら勝ち取った・ルールや法の下で保障された権利としての自由」を意味します。

”Freedom”は、利己的な自由の欲求と言い換えられるかもしれません。また”Liberty”は、利他的な自由と言い換えられるかもしれません。どちらも尊い自由の理念ですが、”Freedom”と”Liberty”はバランスを保たなければなりません。”Freedom”に一方的に傾けば、強者による身勝手や独裁を助長することになり、”Liberty”に一方的に傾けば全体主義化を招く恐れがあるからです。

この”Freedom”と”Liberty”のバランスを欠いた人間が幅を効かせば、そして数を増やしていけば、民主国家は危機に陥ってしまう、この物語は、そういう現在の民主国家が直面する恐ろしさをデフォルメして描いているのではないかと想像します。

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