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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年7月15日水曜日

驕る平家は久しからず

今朝テレビで、「福岡県のみかん園、強制収用の行政代執行」というニュースを見ました。
27年をかけた東九州道全面開通の悲願を達成するために実施されたというものでしたが、みかん園のご主人の主張に何故にもっと耳を貸せないのか、甚だ疑問を覚えます。
ご主人は、
巨費を投じて建設することへの疑問
30年後、40年後の改修費確保への疑問
なにより
長い時間をかけて丹精に育ててきたみかん園をなくする事への憤り
を訴えられていました。
代執行の意味は
「行政上の義務が履行されない場合、行政庁自らが義務者のなすべき行為を行い、また第三者に行わせ、その費用を義務者から徴収すること」と書かれています。
みかん園のご主人の立場にたってみれば、公共性の名の下に、個人の権利が蔑ろにされてしまったという事です。
もし日本人が、もっと自然保護の意識が高ければ、この高速道路建築というなし崩し的な巨額公共事業への批判運動が、計画段階から起こっていたのではと考えてしまいます。
そして、最大の疑問が
公共性という権利は、誰の権利なのか?という事です。

最近も、似た事案が国民を蔑ろに無分別に進んでいます。
一つは、2020年東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設です。
2500億とも3000億ともいわれる建築費、これを建設する必要性の担保となる公共性という権利とは誰の権利なのでしょうか?
コンペの段階から1500億ともいわれる荒唐無稽なデザインを採用したところから疑問は始まっています。最近行われたオリンピックのメイン会場の建築費は、どこも500~600億未満です。これでは、まるで日本の国威を世界に過度に示そうとしているかの様にしか思えません。国民を蔑ろにして、誰かの権力を誇示するかの様なやり方は、戦前の日本やナチス政権化で行われたベルリンオリンピックを彷彿し、大変危惧します。そして、きっと日本の未来に禍根を残すのは必定と思います。
もう一つは、日本の安全保障を根本から変えることになる安倍政権の平和安全法令が、国民を蔑ろに見限り採択されようとしている事です。
政治家ひとり一人は、誰の代弁者なのでしょう?彼らが行おうとしていることが本当に正しいと信念があって言えるなら、彼らひとり一人が選挙区の有権者に納得してもらうまで訴えるべきです。そして信任を問われるべきです。

それほどに重要な法令であるのに、狭い永田町という権力の巣窟の中で、力学だけで動いている安倍政権とその取り巻きに、次の言葉を告げたいです。
驕る平家は久しからず
国民を源氏にしてはならない
国を騒乱に貶めてはならない

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