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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2010年9月9日木曜日

民主党代表選に対して - 今、大切なのは言論ではないのか?

日本国民の多くが、希望を失いつつある現実に対して、立法府、行政府はもとよりメディア、特に言論の砦であるはずの新聞さえ、右から聞こえた情報を左に伝えるだけの伝書鳩でどうするか。
評論に終始して言論を滅ぼすのか。

民主党は、国家の危機に直面して尚、お家騒動に終始している。
何故に糾弾しないのか。

伝えるだけのメディアに価値などない、何故言論しないのか。

もはや死に体の日本に付け焼き刃の処方など、意味がない。
経済はグローバル化しているのに、乗り遅れた国内の産業界に雇用を押しつけても、誰が国に変わって国民を救済できるのか。

世界最高といわれる貯蓄とて、殆どが海外に流出して、換金などできるはずもなく、また、国内に残された蓄財も、年金支払いや、寿命に近づいたライフライン、道路・鉄道などの公共建造物の修復で瞬く間に尽きてしまうであろう。

平成21年に食糧自給率が40%まで落ち込んだ日本が、現状のままでは自力で国民を守れるはずが無い。

今大切な事は、言論である。力のない小さなものでも、この国の現状、将来を憂いでいる。

自分の言葉で、この国を救おうとする志士を私は求める。
この国のために、命を投げ出す覚悟で、言論し、行動するものを私は求める。

私は力のない小さなものであるが、以下は、私の言論である。

まずは、国民を生かすための食糧自給率100%を目指すことではないか、それが最低限の国民への補償であり安心である。

そして、新しい産業の創造である。世界中をマーケティングの対象として、早急にしかも十分に吟味された、欲求・価値をリサーチし、実のある新しい産業の創造を、日本の持てる力を総動員して行うことである。

最後に、知性・探求・礼節を重んじた教育、真摯さ・志・心の豊かさを育む教育の実践である。
さらにいえば、教育をビジネスから引き離さなければならない、

次代の担い手を育成するのは国家の義務であり、永続の礎だからである。

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