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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2010年9月9日木曜日

民主党代表選に対して - 今、大切なのは言論ではないのか?

日本国民の多くが、希望を失いつつある現実に対して、立法府、行政府はもとよりメディア、特に言論の砦であるはずの新聞さえ、右から聞こえた情報を左に伝えるだけの伝書鳩でどうするか。
評論に終始して言論を滅ぼすのか。

民主党は、国家の危機に直面して尚、お家騒動に終始している。
何故に糾弾しないのか。

伝えるだけのメディアに価値などない、何故言論しないのか。

もはや死に体の日本に付け焼き刃の処方など、意味がない。
経済はグローバル化しているのに、乗り遅れた国内の産業界に雇用を押しつけても、誰が国に変わって国民を救済できるのか。

世界最高といわれる貯蓄とて、殆どが海外に流出して、換金などできるはずもなく、また、国内に残された蓄財も、年金支払いや、寿命に近づいたライフライン、道路・鉄道などの公共建造物の修復で瞬く間に尽きてしまうであろう。

平成21年に食糧自給率が40%まで落ち込んだ日本が、現状のままでは自力で国民を守れるはずが無い。

今大切な事は、言論である。力のない小さなものでも、この国の現状、将来を憂いでいる。

自分の言葉で、この国を救おうとする志士を私は求める。
この国のために、命を投げ出す覚悟で、言論し、行動するものを私は求める。

私は力のない小さなものであるが、以下は、私の言論である。

まずは、国民を生かすための食糧自給率100%を目指すことではないか、それが最低限の国民への補償であり安心である。

そして、新しい産業の創造である。世界中をマーケティングの対象として、早急にしかも十分に吟味された、欲求・価値をリサーチし、実のある新しい産業の創造を、日本の持てる力を総動員して行うことである。

最後に、知性・探求・礼節を重んじた教育、真摯さ・志・心の豊かさを育む教育の実践である。
さらにいえば、教育をビジネスから引き離さなければならない、

次代の担い手を育成するのは国家の義務であり、永続の礎だからである。

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