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2010年9月9日木曜日

岩崎夏海著「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」読後感想

書名:「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
著者:岩崎夏海著
分類:ドラッカー・マネジメントのケーススタディー&青春小説
出版:ダイヤモンド社(単行本)

※この本は、8/22(日)鹿島中野球部の淡路遠征(第10回うずしお招待新人野球大会2日目の準決勝で、神戸市立住吉中に惜敗した)帰路のバス中で、顧問の先生から『面白いから読んでみる?』と渡されて、読みました。
『感想文宿題ね』と冗談で言われ、9/1(水)に提出しました。以下、その感想文の内容です。


岩崎夏海著「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」は、20世紀の知の巨人と称された、P.F.ドラッカーが提唱した『マネジメント論』を、弱小高校野球部をモデルとして書かれたケース・スタディー・テキストといえよう。

P.F.ドラッカー自身、当時(1970年前後)のGE、或いはGMといったアメリカの巨大企業・組織をケース・スタディーする事によって、『ドラッカー・マネジメント』を導き、大著『マネジメント』として世に発表した。

『ドラッカー・マネジメント』は、原理・原則、或いは基礎・基本を提唱したものであって、特定のマーケットやビジネスに特化した手法を説いたものではない。
たとえ大企業であっても、巨大な組織であっても、それは小さな組織・チームの集合体であり、最小単位は個、つまり人である。それ故『ドラッカー・マネジメント』は、様々なマーケット、ビジネス、或いはビジネス以外(NPO、行政機関等)と、様々な組織で応用が可能なのである。
そしてもう一つ、それは活動期間である。企業等、殆どの組織は永続的な活動、成長を望んでいる。その為に短期、中長期の達成目標を立てて活動している。しかし、組織のところで述べた様に、マーケットもビジネスも人の集合体であり、生きものである、うねりである。そのため、適正な周期で、PDCA手法、つまり、Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)を繰り返す、つまり改善という舵を取り続けなければ、現在の位置や目標の方位を見失う羽目になってしまう。
株式企業の場合、年度毎に株主、つまり出資者に業績を報告すればよい。しかし、現実は、四半期どころか、月単位、週単位、いやそれよりも短い周期で、業績評価・分析を行い、活動手法・戦略を見直し、或いは達成目標の見直しを管理している。

さて、本書である。
ポジティブで活発・利発な女子高生の野球部マネージャーが、P.F.ドラッカーの『マネジメント・エッセンシャル版』を指南書として、弱小野球部を夏の甲子園に出場させるまでに成長させる物語である。
『ドラッカー・マネジメント』を応用して、弱小野球部という組織を、一年という活動期間で、甲子園に出場させるのである。荒唐無稽、或いはファンタジーである。
しかし、主人公である野球部マネージャーのみなみが、ナビゲーターとして読者を誘導し、そして物語中では忠実なる『ドラッカー・マネジメント』のマネジャーとして、登場人物を活かし成長へと導く。青春小説として、二・三の感動的なエピソードが実に巧みに挿入されてもいる。

そして、私が一番感心したのは、配役の妙である。
『ドラッカー・マネジメント』のケース・スタディーとして、配役が妙なのである。
『ドラッカー・マネジメント』は、大きくマーケティング、そしてイノベーションで語られる。
ドラッカーはマーケティングについて、顧客の現状・要求・価値、即ち今どういった状況に置かれ、現状に対する不満や更なる欲求、そしてどの様な価値基準を抱いているかをリサーチし、そして評価・分析して、真に顧客が求めるサービスを見極めて提供する事である、と語っている。
物語の前半、親友の夕紀と共に、野球部員、もうひとりのマネージャー文乃、野球部監督を顧客としてマーケティングが進められ、各自から、現状・要求・価値を引き出し、各自の欲求に答える組織に野球部を再建し、各自が求めていた役割、モチベーションを与えて、やる気のある組織に作り替える。
マーケティング活動のテキストとして、申し分ない配役設定である。

しかし、そこまでして初めて、みなみは、やはり甲子園の道は遠いと自覚する。

そしてイノベーションの登場である。
ドラッカーはイノベーションについて、全く新しい価値・戦略の創造、と語っている。そして、その新しい価値・戦略が組織内だけではなく、組織外にも影響をもたらすこと、と語っている。
物語の終盤、野球部のトップマネジメント・メンバー(野球の専門家である加地監督、加地の通訳として参画し、いつかマネジメントの面白さに目覚めていく秀才の文乃、起業家を志す野球部員の正義は、次々と改革を立案し実行する)は、(そして)現代野球の常識を打ち破る『ノーボール、ノーバント』(投手は全てストライクを取りにいき、打者はバントをせずに、相手投手の投球を見極め、ストライクがきたら打ち返す)戦略を打ち出し、程高野球部は、夏の都大会までの短い期間に、これまでの常識的な野球を捨て、新しい戦略に特化した練習のみに打ち込んだ。

そして、強豪校を打ち破って、『甲子園に行く、連れて行く』というみなみの目標が達成される。

ドラッカーは『マネジメント論』の中で、あらゆる組織において、存立の定義付け、そして役割を明示することが不可欠と説いている。組織の一体性と志向性が統一されていなければ、どんなに小さな組織、チームでさえ、一歩も前には進めないのである。

そして、組織の活力は、その組織を構成する人を活かす、働きがいを与えることと説いている。適材適所で個々が持つ強みを活かし、責任を与え、競争させ、結果に対して賞罰を与えること、と説いている。

最後に、ドラッカーは『マネジャー』の資質として、スキルは学習や経験で補うことができるが、マネジャーとして、重く厳しい責任(人事や賞罰を行使する等)を全うするための『真摯さ』、この『真摯さ』が、最初から備わっていなければならない、と忠告している。

責任ある立場の者は、誰であれ、この『真摯さ』を備え、かつ常に自分を律しなければならない。
そして、付け加えるならば(ドラッカーの金言に、私事を付け加えるとは何とも大胆不敵で真摯さのかけらもない行為であるが)、『志』であろう。今年の大河ドラマでは、幕末の英雄『坂本龍馬』を主人公とした物語を描いているが、龍馬を含め、当時の志士達は、短い生涯を、ただ『志』の一字の為に、奔走し、命を投げ出した。
ドラッカーの『マネジメント』に触れ、『真摯さ』と同格に『志』がなければならないと強く感じた。
もし、ドラッカーが日本人であったならば、幕末期の志士の心根に触れていたならば、きっと『真摯さ』と共に『志』を記したのではないかと、思わずにはいられない。

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