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差別の天秤

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2010年9月9日木曜日

湊かなえ著『告白』読後感想

書名:『告白』
著者:湊かなえ著
分類:ミステリー小説
出版:双葉文庫

本を買って、一気に読み切りました。


第一章、森口悠子先生の『告白』、独白は、章の最後、独白が終わるまで、その教室にいて、独白を実際に聴き入っている様な錯覚、臨場感、緊張感を覚えました。

本を構成する六章それぞれに、事件の当事者、関係者の告白が述べられていますが、第三章以外は、独善的で身勝手、そして躊躇のない行動をひたすら肯定しながら語る独白には、思量深さや迷いが微塵もなく、暴走列車の如く、破滅へ一気に進んでいく恐ろしさを覚えました。

そして、物語のエンド、救済はなされず、最悪なシナリオで物語の幕が降りました。


何気ない日常の風景、どこにもいる登場人物・・・、告白がなければ、事件は時間の経過と、新しい事件の発生と共に、いつのまにか闇の彼方に忘れ去られてしまう事を、私たちはこれまの現実社会であった過去の重大事件、猟奇事件で何度も経験しています(忘れ去っています)。

湊かなえさんの本は、この『告白』が初めてでしたが、日常に潜む狂気を題材にして、問題提起され、深遠な議論が沸き上がることを狙っておられるのではないかと感じます。

実際に、中高生のロングホームルームやタウンミーティングで話し合う、良いテーマではないか、と思います。

昨今は、コミュニケーション至上主義といわれるほど、コミュニケーションの大事さが声だかに叫ばれ、誰もが実践しているものの、実際は、携帯メールがその実態を明らかにしているように、本質は、稚拙で身勝手、一方通行で、およそ相互理解を前提とするコミニュケーションからかけ離れたものに成り果ててしまっていると思います。

その恐ろしさ、それがこの本で描かれている恐ろしさの本質だと感じています。

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