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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2019年3月27日水曜日

危険な世界

人類が作った最大のものは国家です。
国家の三要素は、
・領域(一定に区画された領土、領水、領空)
・人民(恒久的に属する者)
・主権
です。

国家は、その誕生から長きに渡って君主による専制政治が行われてきました。君主が世襲で国家を統治し、国家のすべてが君主の所有物でありました。
しかし18世紀になって、アメリカで独立革命1775/4/19~1783/9/3)が起こり、続いてフランスで資本主義革命(1789/5/5~1799/11/9)が起こり、二つの国において、主権は君主から人民に移り(国民主権)、立憲主義で制定された憲法は、人民の精神的自由(人権尊重、言論の自由、表現の自由)と経済的自由(職業の自由、資本主義)を保障しました。
しかし、精神的自由と経済的自由を得て民主政治に参政できたのは、一握りの男性(商人、資本家、軍人)で、女性、資本を持たない労働者、農民、奴隷、その他の社会的弱者が、同じ自由を獲得し参政できるようになるまでは、長きに渡る権利獲得の戦いが必要でした。

19世紀、産業革命が起こります。資本家は新しい産業の振興に投資をして莫大な冨を得ました。資本者階級(ブルジョワジー)は産業革命以後の世界の冨と権力を握るリーダーとなりました。しかし、産業の振興を労働力として支える大多数の労働者は、冨の分配に浴する事は無く、労働者階級(プロレタリア)の精神的自由や経済的自由は、遅々として進みませんでした。

そして20世紀の初頭、共産主義革命が起こります。資本主義を否定し、生産手段を社会で共有し、経済活動の恩恵はすべての労働者が均等に分かち合うという社会主義、さらには個性を廃して共同体の一部となることで、国家も階級も競争も差別もない世界を実現するという共産主義を掲げる国家が現れます。代表がソ連であり、中国です。
そして20世紀は、資本主義国家と社会主義・共産主義国家が世界を二分し、対立する冷戦の時代となりました。

しかし、ここで考えなければいけないのは
資本主義も、社会主義・共産主義も、経済活動、社会活動に対する主義であり、これらの国家の始まりは、指導者が主権のある人民の中から選ばれる民主主義、自由主義の国家であったという点です。

民主主義と自由主義は究極的には対立する主義です。
《民主主義の原理=主権原理(公的意見決定の領域)=ひとりで決めてはならない
自由主義の原理=人権原理(私的意見決定の領域)=ひとりで決められる
主権原理が蔑ろにされれば、そこには独裁が待ち受けている
主権原理が万能になると、個人の領域が侵害され、多数決で個人の人格が剥奪される》
出典:日本国憲法を学ぶ 松本基弘著

自由民主主義国家を持続させるためには、民主主義と自由主義の均衡を保ち続けなければなりません。この均衡が破れれば、指導者が多数派(マジョリティー)に迎合する少数派(マイノリティー)にとって不平等な国家、もしくは指導者が独裁化する国家へと変貌してしまいます。

社会主義国家、共産主義国家は、建国後まもなく独裁国家へと変貌しました。指導者層は、人民を弾圧し、従うよう強制的に教育し、反抗するものは死で粛正しました。それが社会主義国家、共産主義国家の正体でした。
イギリスの作家ジョージ・オーウェルは、小説「動物農場」(Animal Farm 1945)で、ソ連の正体を暴露しました。

※「動物農場」は下記のオンラインサイトで、すぐに読むことができます。
http://blog.livedoor.jp/blackcode/archives/1518842.html
百田尚樹さんの「カエルの楽園」と同様に、寓話の形をとっていて、とても読みやすい中編小説です。しかし、登場する動物が誰の配役かを知れば、これが恐ろしい実録だと理解できます。
配役については、次のウィキペディアのページに書かれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%BE%B2%E5%A0%B4
私は「動物農場」を読んで、スターリンが行ったウクライナ人大虐殺(ホロドモール)を初めて知りました。
この小説は、イギリスですぐに出版することができませんでした。この時代、イギリスとソ連は同盟国であったためソ連を刺激したくないという思惑が働いたという事ですが、それだけでは無いように思います。小説「動物農場」では、無知で純朴な動物たちが弾圧されていることを知りながら、人間たち(資本家)は動物農場の支配者である豚や犬と手を組んで冨を得ていました。イギリスはそれを認めたくなかったからだと思います。

20世紀の終わり、社会主義国家、共産主義国家は内部崩壊によって衰退し、ゆるやかに資本主義を取り入れる国家へとシフトしました。
そして資本主義、自由主義は、国家の枠組みを超えて、地球規模のグローバリズムを生み出しました。世界規模の民主主義と自由主義の均衡が求められる時代となりました。
しかし、グローバリズムは、反グローバリズムも生み出しました。ナショナリズムです。
国家の指導者はナショナリズムを煽って大衆に迎合し始めました。協調と融和を掲げてグローバリズムを先導した国家が、次々と排他と敵対を掲げるナショナリズム国家へとシフトし始めました。宗教対立、人種対立、民族対立が顕著になって、国家同士が争う戦争だけでなく、主義主張を強引に行使しようとする無差別殺人のテロリズムが横行するようになってきました。


国家にしてもグローバリズムにしても、そして様々な主義主張にしても
共存共栄していくためには協調と融和が必要です。しかし、協調と融和を是とし続けるためには、人民に異なる者を受け入れられる心の広さ、我慢強さ、それを貫く意志の強さが必要です。
対して排他と敵対は、衝動的で感情的で誘惑的です。一度支配されれば後には戻れず、意志を行使することもできません。すべてを失ってはじめて我に返るのです。
そう考えると、現在の世界は非常に危険な状態であるのだと思います。

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