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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2019年3月25日月曜日

新しい象徴天皇とともに

5月1日、今上天皇の生前退位により、現皇太子が新しい象徴天皇に即位されます。

今上天皇は、1989年に昭和天皇崩御に伴い、象徴天皇に即位され、以後30年間、象徴天皇のあり方を模索されながら、国民に寄り添うこと、また第二次世界大戦の戦没者、戦争犠牲者に哀悼の誠を捧げることに、皇后と二人三脚で歩まれてこられました。

三代続けば末代続く、ということわざがあります。家は三代続けて栄えれば、基礎も固まって長く続くという意味ですが、
皇室は神話の神の血を引く一族として、今上天皇は初代天皇(神武天皇)から数えて125代目、皇室は2679年という長きにわたって、やまとの国、日本国の君主であり続けました。

天皇は、現人神であり国権の象徴でした。それが第二次世界大戦後に人間宣言され、国権を持たない象徴天皇となりました。
初代象徴天皇となられた昭和天皇は、疲弊した日本の隅々まで行幸されて、天皇を敬愛する国民の生活再建の様子を身近で寄り添い見守り続けて下さいました。国民にとって昭和天皇は、国権の象徴から日本国の平和の象徴へと変遷していきました。
二代目象徴天皇となられた今上天皇は、昭和天皇の後を継ぎ、昭和天皇が成せなかった沖縄訪問、第二次世界大戦の戦地となった国々、敵対国であった国々を訪問されて、平和外交に尽力されてきました。国内で発生した大きな災害時には、真っ先に現地を訪問され、被災者を見舞われました。今上天皇は、日本国の平和の象徴であり続けてこられたのだと思います。
昭和天皇も今上天皇も、天皇が国権の象徴とされた時の、日本国民に対する、また諸外国に対する大いなる災いを二度と繰り返してはならないという決意の行動であったのだと思います。
5月に三代目象徴天皇として即位される皇太子も、昭和天皇、今上天皇のご意志やご決意を継承されていかれると思います。

ただ、象徴天皇と第二次世界大戦後を歩んできた日本国民は、そのほとんどが戦後生まれとなり、戦争が招く悲惨や悲劇を実体験した人は、ほとんどいなくなりました。そして私たち現代の日本人は、平和は当たり前にあるものと錯覚し、平和の意味さえ考えようとしなくなったように思います。
しかし、日本は高度成長期を経て、経済のバブルとバブルの破裂を経験し、再び内向性を強めています。日本だけでなく、世界中の国が、協調と融和から再び排他と敵対にシフトし始めています。
近年では、隣国から、国力の低下した日本国の象徴天皇への礼を欠く行動が目につくようになりました。
危惧するのは、このような外交の不安から、日本国民の中から象徴天皇を再び国権の象徴として祭り上げ、その威光を笠に着て、権力を握り、国民の権利を奪い、戦争を起こすことも辞さない者が現れないかということです。
荒唐無稽なことではないと思います。
象徴天皇の時代は、まだ70年あまりです。
それ以前は、天皇は常に国権の象徴であり、戦国時代や江戸幕末期がそうであったように、第二次世界大戦前夜がそうであったように、天皇のご意志に関係なく、時の権力者が威光という笠にして、権力を振る舞っていたのですから。

これから本当に大事なことは
天皇が象徴のあるべき姿を模索され続けるのと同時に、日本国民も、象徴天皇を決して国権の象徴として用いない様に、そして日本の平和の象徴であり続けるように、常に考え続けなければならない事だと思います。

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