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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2017年9月15日金曜日

ミサイル防衛の矛盾

北朝鮮が、また日本に向けて大陸弾道ミサイルを発射しました。前回8/29と同様、襟裳岬上空を越えて、北太平洋の海上に着弾、飛行距離は約4000㎞でした。
北朝鮮がミサイル発射する度に、矛盾の故事について考えてしまいます。
『どんな盾でも突き通してしまう鉾で、どんな鉾でも突き通せない盾を突いたらどうなるか?』韓非子の故事では、つじつまが合わないことの喩えとして語られます。しかし、こんなつじつまの合わない武器でも本当に戦争となれば使うでしょう。そして有利なのはやっぱり鉾だと思います。
鉾は、必ず突き通せるところに突けばいいのです。突ける場所、弱点を突けば確実に戦果をあげることが可能です。盾は、ひとつふたつあったところで、すべてを防御することは不可能です。ましてや、その盾で鉾の攻撃が防げない事が判明すれば、盾への信頼、延いては国への信頼を大いに損なうことは間違いないでしょう。

鉾を北朝鮮のミサイルに置き換えます。そして盾は日米韓の遊撃ミサイルです。
北朝鮮は明らかにオープンな状態で、二度のミサイル発射を行いました。
北朝鮮の思惑は、
ミサイルの発射実験を行うことで完成度を高め、
武器としてのデモンストレーションを行う。
日米韓に脅威を与える
そして、日米韓の手の内をテストする。
だと思います。
特に三つめは、遊撃に最適な条件をわざわざ提供した上で、遊撃ミサイルの性能、精度をテストしようとしている様に思えます。
それは、たとえ遊撃ミサイルで撃ち落とせたとしても、本当の戦争での北朝鮮のミサイル発射を巧妙化させることに繋がるだけです。そして万一打ち落とせなかった場合、また打ち落としたミサイルの残骸で被害が生じた場合は、世論は北朝鮮の思惑通りに動くでしょう。ミサイル防衛の信頼は地に落ち、同時に政府やアメリカに対しての信頼が崩れます。
そして、北朝鮮に利のある講和へと向かうかも知れないし、この危機から逃れるために中ロの軍門に下るかもしれません。或いは、独自の核武装や軍事国家への道を歩み出すかも知れません。いずれにしても、それは平和憲法を頂く日本の国の終焉です。
だから遊撃ミサイルが撃てないのだと思います。ミサイル防衛の矛盾です。

日本は、三度目の日本へ向けたミサイル発射を断固阻止する決意が必要です。
ミサイル防衛では国を守れないことを認識して、北朝鮮が日本にミサイルを撃てば、それがたとえ日本本土に撃ち込まれるミサイルではないとしても、抑止が効かなかったと判断し、日米韓で、韓国が同調しなくても、アメリカが同調しなくても、たとえ日本だけになっても、日本の全戦力で北朝鮮を攻撃する。そういう北朝鮮への最後通告を行うことが必要と思います。迎撃ではなく、日本の決意という抑止力を示す事が必要だと思います。
その上で、北朝鮮との講和を模索すればいいのだと思います。
たとえ脅しであっても、本気で戦う決意を示す
その決意と同じ本気で、和平に挑む
これが、日本を北朝鮮の暴走から守る唯一の手立てではないかと思います。

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