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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年6月20日木曜日

高橋千鶴作画『コクリコ坂から』を見つけました。

本屋のリサイクル本コーナーで、佐山哲郎原作高橋千鶴作画『コクリコ坂から』文庫版を見つけました。買って帰りさっそく読みましたが、ストーリーは映画『コクリコ坂から』とは似て非なるものでした。

とくに大きな相違は二点で、まずは時代背景です。映画版は1960年当時が舞台で、若者たちは硬派で堅実でした。方や原作は、高橋千鶴さんが作品を発表された1980年当時が舞台で、若者たちに自由と軽薄さが広がり始めます。
もう一つは、助演の二人、新聞部部長風間俊と生徒会長水沼史郎のキャラクター設定の違いです。映画版では共に硬派な青年でしたが、原作では共に頭は良いが、なかなかの悪ガキです。バイト芸者の女子大生と雀卓を囲み、ぼられて十数万円を借金してあげくに担保として学生証を取られてしまいます。そして借金を返済するため、生徒会費を使い込み、それでも足りずに、学園内で様々な軟弱な企画を企てては、濡れ手に粟でお金を稼ごうと謀ります。

そんな悪ガキ俊くんが、海ちゃんに淡い恋心を抱くところから物語は始まりました。
海ちゃんは、巧みに乗せられて俊&史郎の企ての片棒を担がされます。そして俊への嫌悪と同情に振り回されながらも、やがては俊の純朴な好意を受け入れて二人は相思相愛になります。しかし、そこで重大な問題が明らかになりました。それは、俊と海が異母兄弟!?かという疑惑です。
でも映画版と同様に、その疑惑は海の母親によって晴らされて、二人はめでたくハッピーエンドを迎えます。

文庫のあとがきに、映画版の監督宮崎吾朗さんが寄せられた解説がありました。解説には、今作品との出会いと、映画版のストーリーが生まれた経緯が書かれていました。
ずいぶんと前、まだ父宮崎駿と鈴木敏夫が若かりし頃に集まって、高橋千鶴さんの原作をモチーフに、自分たちの青春時代に舞台を置き換えて物語を創作していったのです。
そして戦後ようやく成長へと転じた日本を舞台に、少女よ君は旗を揚げる、何故?というミステリーと、そしてカルチェラタンで営まれる学生自治のファンタジーをらせん状に絡ませた豊潤な物語が生まれたのです。

現在の私は、高橋千鶴さんが描かれた青春ラブストーリーにはとても気恥ずかしさを感じます。ですが10代の頃に出会っていたならば、たぶん共感と憧れを覚えた事と思います。

映画版には、もう一つ深いメッセージが込められていましたね。それは、この映画の制作途上で起こった東日本大震災の悲劇を乗り越えて進んでいこうというメッセージです。
映画の後半、美しく甦ったカルチェラタンに理事長を招いた時のシーンです。
生徒達が合唱する『紺色のうねりが』に、願いが込められています。

『紺色のうねりが』
原案:宮沢賢治 作詞:宮崎駿、宮崎吾朗

紺色のうねりが
のみつくす日が来ても
水平線に君は没するなかれ

われらは山岳の峰々となり
未来から吹く風に頭をあげよ

紺色のうねりが
のみつくす日が来ても
水平線に君は没するなかれ

透明な宇宙の
風と光を受けて
広い世界に正しい時代をつくれ

われらはたゆまなく進み続けん
未来から吹く風にセイルをあげよ

紺色のうねりが
のみつくす日が来ても
水平線に君は没するなかれ

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