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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2017年3月2日木曜日

ヒトラーユーゲントを彷彿させる、怖い話

大阪で今春開校予定とされる私立小学校の、用地買収に関する不可解な問題がメディアで取り上げられる様になってから、同じ運営母体の社会福祉法人が既に運営している幼稚園の、恐るべき教育実態を目にする事になりました。

新聞やテレビニュースが取り上げた
中国や韓国、また在日の人々を誹謗中傷したり、特定の団体を誹謗中傷する文章を、園児達の保護者に送りつけたり、園児達に、一政治家を褒め称えたり、一法案の可決を喜ばせたり
という、思想の強迫や、洗脳まがいの教育には、
江沢民の時代に中国共産党が行った反日教育や
ヒトラーの時代にナチス党が行ったヒトラーユーゲント教育、
さらには北朝鮮などの独裁者国家が行う洗脳教育を彷彿させ
吐き気がするほどの恐怖や怒りを覚えました。

日本人であるものが、自由に思想したり表現したりすることは、日本国憲法で保障されている個々人に与えられた権利です。ですが一方で、自由と民主主義の両方を重んじる理念からすると、個人の自由とともに他者を尊重する、あるいは他者との協調を両立させることが、私達には求められているのだと思います。
ですから、ある個人や組織が、彼等の主義主張や思想を一方的に他者に押し付けたり、植え付けたり、それで他者を攻撃することは、日本国憲法の理念に反する行為だと考えます。

ある個人や組織が、精神や肉体の成長間もない子供や、病んでいる人々また迷っている人々に対して、自分達の主義主張や思想を植え付けたり、あるいは優越を植え付けたり憎悪を植え付けたりすることが、どんな恐ろしい未来を引き起こすのか、私達は何度も経験しました。
ほんの身近な出来事では、オウム事件がそうです。入信した者達が尊師の意に沿わない人達を次々に殺害し、あげくに国家転覆まで企てました。そして事件が明るみになって二十年を経過した現在も、事件の全容が解明されることはなく、未だに燻り続け、そして被害者や元信者の苦しみは続いています。
そして子供を洗脳する事のおぞましさを見せつけたのが、ヒトラーユーゲントです。子供たちは、ヒトラーに忠誠を誓うこと、そしてアーリア人の血統の優越とユダヤ人への見境のない憎悪を植え付けられ、ホロコーストの加害者となりました。

この様な時、愛国心が問題として取り沙汰されます。最近では「~ファースト」「~主義」という御題目に形を変え、声高に叫ばれますが、愛国心、自分の国を大切に思う心は、家族愛と同様に、いちいち声高に叫ぶものではなく、心の中心にしっかりと育て持つものだと思います。当たり前、常識、道徳心と並ぶものにならなければならないと思います。
その愛国心を、足らないと他者を誹謗中傷したり攻撃することは、愛国心なのではなく、自己顕示欲なのだと思います。
反対に、愛国心を敵視し、敵視の行為を他者にまで押し付ける行為も自己顕示欲なのだと思います。それが、自由と民主主義を根底から揺るがして、国家を分断したり、不安定に貶めたり、存亡の危機に貶めることに繋がるのだと思います。

追伸
手塚治虫は、「アドルフに告ぐ」という作品の中で、ヒトラーユーゲントに無理矢理入隊させられたドイツ人の父と日本人の母を持つ少年の、悲惨を末路を描いていました。
この作品では、戦争は戦場で人を殺すばかりではなく、ある日を境に、体制に睨まれた、或いは疎まれた、また憎悪の対象として貶められた人達が、簡単に殺されます。そして、殺し殺された怨みや憎悪は、たとえその戦争が終わっても、消えることがなく、後生の人達まで、怨みや憎悪の念に縛り付けるという、終わることのない空しさを、私の心に強く残してくれました。
まだ未読の方には、一読を勧めます。

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