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差別の天秤

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2015年3月21日土曜日

写真を撮ろう

友人から、祭りの時に写した写真の中に、母が写った写真はないか?と相談されて、ハードディスクに保存しているこの20年間で撮影した写真データ約34万枚の中から、おばちゃんが写っている写真を探しました。

写真データは、撮影した日付でフォルダを分けています。
それで、祭りが行われた日付のフォルダの中に、おばちゃんが写っている写真を探しました。でも残念ながら、おばちゃんの写っている写真は一枚もありませんでした。
友人とは、子供の学年も同じため、次に幼年時から就学後の学校行事(入学式、卒業式、運動会、マラソン大会等)が行われた日付のフォルダを調べてみました。
すると、たった一枚ですがありました。
その写真は、1998年10月1日(木)、幼稚園の運動会で撮影した写真です。
今年高校を卒業した孫娘を抱くおばちゃんが写っていました。
62才の、まだ若々しいおばちゃんが写っていました。


写真を撮る事が好きで、何か行事がある度にカメラを持って出かけていき、パチパチとシャッターを切ってきました。でも、その中から数枚プリントするだけで、ハードディスクに保存した写真データを、その後振り返り見る事はほとんどありませんでした。

今回、おばちゃんが写っている写真を探す、という目的で見た写真には、この20年間の家族や一本松連中、また子供たちの友だちの、変遷が記録されていました。一枚一枚に、活き活きとした姿が写っていました。

最近、家族と写した写真があまりない事に気付き、それからは家族のポートレートを撮ることもカメラの写真で撮る目的の一つとなりました。母については、遺影となる写真を残すという気持ちで撮影をしています。

でも、あらためて過去の写真を振り返り、次の様に考える様になりました。
今日撮影したポートレートは、今日鏡に映った自分の姿です。
笑顔であれば、明日もきっと笑顔になれる
もし沈んだ顔であったとしても、明日は笑顔になろうと思う
それが写真の力ではないかと考える様になりました。

今日の自分を写す、今日の自分の活躍を写す、そしてそれを写真で見る事によって、きっと明日への活力が生まれると思います。そして、素敵な笑顔の自分にきっと出会えると思います。
ポートレートを撮られる事は嫌い、という人がいますが、どんどん自分を撮って、素敵な自分に出会って欲しいと思います。
それが、自分の最高の写真となれば、どんなに素敵な事でしょう。

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