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差別の天秤

「愛を読む人」という約10年前公開の映画の、他の方が書いた映画評を読みました。 そこには私が考え及ばなかった、ハンナが隠し通した秘密についての考察が書かれいました。ハンナは文盲でした。そして、その事実を生涯隠し通しました。それは何故かです。 映画か原作小説の序章で、ハンナの...

2011年8月30日火曜日

ルーティーン

日曜日、中学校校庭の除草作業を終えての帰り、一本松連中の谷川(通称ボテ)と久しぶりに会い、談笑しました。(彼も除草作業に参加していました)

会話は、彼の息子啄人の近況から、彼が今も続けている剣道の話へと進みました。

彼は中学から剣道を始め、今も稽古を続けています。
地元北浜小学校の体育館で行われる稽古日には、子どもたちの指導者としても活躍しています。
昨春、竜山中学校体育館で連日の朝稽古が始まりました。退職された先生が音頭をとって始められたそうです。
彼はその朝稽古にも参加していますが、途中稽古を中断した時期があり、今春、稽古を再開、そして久し振りの稽古が初めての日の稽古と寸分違わなかった事に驚くとともに、この違わぬ稽古を守り、習慣の中で常に新しい発見をされる先輩諸氏の凄さに触れたと話してくれました。

私たちは往往にして『変化』を求めたりします。同じ事を繰り返す事が苦痛であったり、『変化』させる事が持続の決め手と考えるからです。
しかし、何も違わずに習慣の中で洗練される様式の美は、崇高な自然美と同様にたまらなく神々しく思います。
私は様式の美に触れる事から久しく離れていますが、友が今も様式の美を追究する道に身を置いて励んでいることに大変嬉しく思いました。

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