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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年8月30日火曜日

危機の宰相

『危機の宰相』、作家沢木耕太郎さんが1977年に雑誌『文藝春秋』に発表された『私ノンフィクション』のタイトルである。
1960年、岸内閣時の日米安保新条約(60年安保)締結が引き起こした安保闘争の嵐が吹き荒れる中、岸信介の後政権を引き継いだ池田勇人は『所得倍増』を御旗に、日本を戦後復興の50年代から成長の60年代へと進めた。『危機の宰相』は、池田勇人と彼の『所得倍増』政策を支えた彼のブレーンである経済学者下村治の二人を主軸に語られた物語である。

さて、昨日民主党代表選挙が行われた。菅直人首相が8月26日に退陣を表明してから三日、5名が代表候補に名乗り出て、実りある政策討論も無く、全ての国民どころか民主党地方議員や民主党サポーターさえ蚊帳の外、公開された蛮行選挙、民主党国会議員の民主党国会議員による民主党国会議員のための代表選挙が終決した。
僅差で代表となった野田佳彦氏は、民主党国会議員を前にした壇上挨拶で、『遺恨政治を終わらせよう』『ノーサイド(試合終了)にしましょう』と語り、他の候補には実りある討論の感謝を延べ、全ての民主党国会議員を『同志』と呼び『挙党一致』でとりあえずの難局に向き合おうとする旨の話をした。
野田氏の演説は、民主党再生ありきのメッセージであり、テレビカメラの向こうにいる私たち国民へ向けての、『今ここに在る危機』に向き合おうとする力強い呼びかけではなかった。
そして今日、国会で首班指名が行われ、第95代となる野田総理大臣が誕生した。

自民党政権末期、民意が間接的にせよ反映できる総選挙を行わずに、内輪で首(自民党党首=総理大臣)をすえ替える自民党の行為を糾弾した民主党がである。一昨年の総選挙による政権交代から、宇宙人の呼ばれた鳩山由紀夫元首相は1年満たずにバンザイし尚且つ国民に向けての退陣表明さえ拒否した。菅直人首相はこの5年間で在位が一番長い(約15ヶ月)首相となったが、外交問題、経済問題、そして震災が招いた問題の対応で、与野党の国会議員、官僚、財界、マスコミ、有識者から総スカンを食らって退陣に追い込まれた。そして棚晒しの問題を引き継ぐ『危機の宰相』のくじ引きがこの有様である。

国民の民意が反映されず、ただ与党の代表選挙で数百名の頭に選ばれただけで自動的に国のトップになり得てしまう今の仕組みこそ最悪だと思う。

しかしだ、とにもかくにも野田氏は『危機の宰相』となった。彼の演説は立て板に水、民意の懐柔術には長けていそうだ。また概ね管氏を批判した諸氏にも受けが良さそうである。
野田氏には日本のトップとして、『今ここに在る危機』の解決責任を委ねられた事を肝に銘じ、しっかりとリーダーシップを発揮して欲しいと願う。
私自身への自戒であるが、安易に批判せず、トップが与えられた持ち時間で行う活動を正確に評価する心構え、そして辛抱を持たねばならないと思う。

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沢木耕太郎著『危機の宰相』は、文藝春秋80周年記念として出版された『沢木耕太郎ノンフィクション全9巻』のⅦ巻タイトル『1960』に収録されています。
同時収録は『テロルの決算』です。1960年が如何に日本の転換点であったを、凄みのある文章を読み知りました。


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