播磨の国ブログ検索

寅次郎を通して考えた、学校ってなんだろう?先生ってなんだろう?

学校ってなんだろう? 勉強するところかな 友達をつくるところかな でも素朴に 学校に通う子どもにとって 楽しいところ 安全なところ 一人の人間として 誰とも違う個性を認めて貰えるところ 一人でなく回りの仲間と成長できるところ であって欲しいと思います。 ...

2010年12月3日金曜日

O.Henry 作『賢者のおくりもの』の朗読ビデオをYouTubeにアップしました。

近代のクリスマスの物語として最初に浮かぶ物語は、
ディケンズ作『クリスマ・スキャロル』ではないでしょうか。
お金持ちだけれども強欲で誰にも心を閉ざしたスクルージのところに、
3人の精霊が次々に現れます。
最初の精霊は過去、まだスクルージが暖かい心を宿し、貧しいけれども家族や友人に囲まれて幸せであった時代へ導きます。
そして第二の精霊は、現在、お金に心を病んだスクルージの非情により、クリスマスの寒空の中で苦しみ悲しむ家族や友人達の姿を垣間見せ、スクルージの罪を指摘します。
最後、第三の精霊は、未来、天罰が下されるスクルージを予言し、
そしてスクルージは、悔い改め、本当の幸せ、人を愛し愛される者として導かれるのです。
この様な物語だったと思います。

とてもファンタジックな物語であると同時に、ディケンズの解釈によるキリスト教的な死生観、道徳観が溢れている作品だと思います。また、想像力を掻き立てられる物語であるため、数多くの映画やドラマ、アニメ等々で、数多くの映像作家が題材として作品を作り続けています。昨年、ロバート・ゼメキス監督そしてジム・キャリーでモーションキャプチャー映画として公開された作品が記憶に新しいです。

この長編ファンタジックなクリスマス物語と双璧な物語として、私の記憶に残る話が、今回朗読作品として制作し登録した、O.Henry作『賢者の贈り物』です。
短編小説で、ある貧しいけれどもとても愛し合っている若い夫婦が、互いに心からのクリスマスのプレゼントを贈るために、自らの一番大切な品物を売って、プレゼントを贈る、という物語です。
妻は、夫の大切な金時計に見合う高雅なプラチナの時計鎖を得るために、豊かな美しい髪の毛を手放します。
夫は、妻の美しい髪に似合う、美しい櫛を得るために、大切な金時計を手放します。

物語の中で、作者O.Henryは読者に対して、『週8ドルと年百万ドル-その違いはなんぞや』と問いかけてきます。
唐突な問いかけです。またその金額にもさして意味があるとは思えません。
ただ、持たざる者、でも愛情に溢れる者同士だからこそ、見方によっては愚かな行為、しかし愛ある心で見れば、それはとても高貴でとても素敵な行為であることが分かります。

この『賢者の贈り物』も、聖書の『マタイの福音書』第二章、救い主イエス様の誕生と東方の賢者による最初の高雅な貢ぎ物のエピソードが題材となっています。

私は、この物語を約40数年前に教科書か絵本で読み、大切な物語としてずっと覚えていました。
今年の夏か、古書店周りをしていて、冨山房出版 リスベート・ツヴェルガーさん挿絵、矢川澄子さん訳による、絵本『賢者の贈り物』を求めました。挿絵はとても繊細で、登場人物の心情を見事に描いています。また日本語訳の文章も重厚で読み応えがあります。

本題からはそれてしまいますが、色々な読書、様々な楽しみ方、読み方、観賞の仕方があると思います。
これしかない、という硬直した見方ではなく、自分らしさで読書を楽しめばよい、そう思います。
また、面白い、とか大切、と思った本は何度も読書を繰り返すうちに、作者と心を通わせる事ができると思います。
それは、私だけの、貴方だけの作者との心の繋がりです。そういった繋がりを幾つも繋いで、心の豊かさを養いたいと思います。



2010年12月1日水曜日

絵本朗読『クリスマスのおくりもの』をYouTubeで公開しました。

絵本朗読を、YouTubeにアップロードし、公開しました。
本の題名は、『クリスマスのおくりもの』、もくしは『いちばんすばらしい贈り物』です。

この物語は、新約聖書『マタイの福音書』2章に記されている、救い主イエス様の誕生と、東方の博士達が夜空に輝く星に導かれて、幼子イエス様に拝礼する記事を、幼き王子イレーヌスの3つの勇気と愛に溢れるエピソードを交えて、描かれた物語です。

残念なことに、聖書にはキリストの誕生を12月25日とは明言されていません。当時のイスラエルの関わる記事などから、イエス様の誕生は、春頃ではないかという説もあります。
キリスト降誕際は、後に北欧の太陽神を祀り感謝する祭事を、時の教会が取り入れたものだと言われています。

ただ、そういった歴史の歪曲、補完は大した事では無いのです。
救世主がお生まれになった、そして救世主を信じる事が大切なのだと思います。
どんな世情であっても、毎年12月25日は訪れます。世界中の人々が、共に喜び合える、その事実が大切なのだと思います。

Merry Christmas to You !
普段、言葉足らずで伝えきれない、感謝と貴方を思っている誠実な気持ちを、クリスマス、主への感謝と共に伝えられたらと思います。

2010年11月29日月曜日

『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~

岩崎弥太郎の視点、回想として描かれた大河ドラマ『龍馬伝』は、11月28日、最終回『龍の魂』で完となった。

幼少の頃より、泣き虫、夜ばあたれと悪口をたたかれ、実母が病で逝った後、剣術に目覚め、下士の次男坊、また裕福な家庭という環境も手伝って18歳で、江戸へ剣術修業。江戸中期、太平の頃なら、せいぜい道場主として生き、名もなき一藩士として歴史に刻まれる事なく一生を終えたであろう。

しかし、時代は時の統治組織である徳川幕府の凡庸さでは対応できぬ、産業革命を経て富国強兵を成し遂げた列強国の襲来、開国の突き上げに、日本国の志あるものは、尊皇攘夷また開国の二極に分かれ、やがて対立は国家を二分した
内戦へと突き進み、それぞれの組織を後押しする格好で、搦め手で日本への侵略・占領を図ろうとする列強国が舌なめずりして機会を覗っている・・・

丁度、江戸剣術修行中に、黒船の来航に遭遇し、幕府の狼狽え振り、凡庸さを肌で感じ、剣術を通じて知り合った諸藩の若き闘士と交わる中で、龍馬の中に眠っていたあるものが目覚めたのだと思う。
それは、狂気じみた『愛国心』や列強国への『恐れ』ではなく、開かれた世界への『憧れ』と、どうすればそこへ辿り着けるかを知りたいという『探求』である。

そして、龍馬がその強い衝動に駆られて走り始めた第一歩が、国抜け『脱藩』である。
険路、韮ヶ峠~榎ヶ峠~泉ヶ峠を越えて伊予の国に入り、船で長州へ、片道切符の出奔である。

龍馬には天分がある。
ドラマ『龍馬伝』第一回の中で龍馬を回想する岩崎弥太郎が吐き捨てるように言う龍馬評である。


龍馬はのう・・・
わしがこの世で一番嫌いな男やった!
あんな脳天気でっ
自分勝手でっ
人たらしでっ
おなごに好かれてっ
あれば腹が立つ男は
どこにもおらんのじゃき!


そう、龍馬が行くところ、龍馬が成そうとするところ必ず有志が集まる。
志が高く、また優秀なる人材が集まる。
また、龍馬は必要ならばどこへでも出かけていく。
幕府側では松平春嶽、勝海舟、永井尚志、ともに大大名である。
動乱の時代でなければ、近づくことなどできぬ、身分が違う。
しかし、彼らの方が龍馬を遇した、可愛がった。
真っ直ぐに夢を語り、度胸も腕も立つ。雄弁ではないが、例えが面白く、聴き手をグイグイと龍馬の夢の支援者に引き込んでいく。

そして、一触即発、日本国存亡の岐路の険路を悠々と渡り歩いて人類が文明を築いてから、誰も成し遂げたことのない、『大政奉還』、時の統治者が、権力の座から退くという無血革命を成し遂げた。

龍馬には多くの友がいた。武市半平太、以蔵、饅頭屋長治郎、他土佐勤王党の面々、そして龍馬が旗揚げした亀山社中、その後の海援隊の隊士達、その多くが龍馬の立った夢の頂きを共に踏みしめることはなかった。
それぞれの道、志半ばで斃れ、野に散った。

そしてまた、龍馬を敵視するもの、その数多く・・・
『龍馬伝』最終回で、龍馬の潜伏する近江屋に乗り込み、これまでの龍馬への複雑な感情を露呈した弥太郎が、最後に龍馬に告げる予言である。


けんどのぅ龍馬・・・
人が、みんなぁ自分のように・・・
新しい世の中を、新しい世の中を
望んじゅうと思うたら大間違いじゃぞ。
口ではどういうちょたち、いざ扉が開いたら
戸惑い、怖じ気づくもんは山のようにおるがじゃき
恨みや妬みや、恐れ、保身・・・
その内、怒りの矛先はオマンに向くろ
わしにはわかる。
眩しすぎる陽の光は
無性に腹が立つことを、知っちょうきのう。



もし、もしも龍馬が暗殺されずに、明治を迎えたとしてその後の、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争は起こらなかっただろうか

欧米列強に並ぶ、富国強兵の振興、近代化、欧米化、そしてアジア諸国を巻き込んだ侵略、植民地政策の強行そして太平洋戦争は起こらなかっただろうか・・・

龍馬は、天性の外交官、であったと思う。それも大局を見て謀ができ、また商才にも長けている。
それまでの、またそれ以降を見ても龍馬ほどの世界の列強国と渡り合える外交官を日本は輩出できてはいないと思う。

しかし、またそこが龍馬の限界であったと思う。

大政奉還までの道筋を描き、実現に奔走し、各藩の有力者を説き、また幕府の重役を説き、彼らを動かした。共感を与え働かせたのである。
そして『大政奉還』を成した。
ただ、『大政奉還』が成したとて、明治という時代が開かれたとして、すぐに龍馬が描く、志ある者が、学び、そして国民に選ばれて国の運営を司る、という仕組みが受け入れられて、この国に馴染むには、果てしない時間を要する事業なのである。

龍馬には、日本を指導する強力な権力も、盤石な地盤も財力さえ無いのである。

国の中枢に巣くう政治屋には到底なれず、また岩崎弥太郎の様に、現代に残る大企業『三菱』を興す祖たるに相応しい人物でもない。

龍馬には野心がない、いや日本に留まる程度のこんまい野心は持ち合わせていなかったのであろうと思う。

だから、もし龍馬が命を長らえ明治を迎えていたとしても、その後の歴史は、なんちゃあ変わる事はなかったと思うのである。

天は、龍馬を用いて、日本から侍の世を葬り、開かれた国へと日本を導びかれた。龍馬の使命は終わったのである。


最終回、弥太郎がもう一度吐く。


龍馬・・・龍馬・・・龍馬・・・龍馬
龍馬はのう-!
脳天気で
自分勝手で
人たらしで
おなごに好かれて
あれば腹が立つ男は
どこにもおらんかったんじゃき!
あんな男は・・・あんな・・・
あんな龍は
どこにもおらんぜよ!


龍馬が残したモノは、志ある者、才能ある者、勇気ある者に希望を繋いだことである。

明治以降、在野から多くの卓越した人物が出現した。
それは、国家が推し進める富国強兵よりも、日本の文化・文明を清く高めるに大いに貢献した。

龍馬の辞世の句として語り継がれている言葉がある。


世の人は
われをなにとも
ゆえばいへ
わがなすことは
われのみぞしる


この言葉は、龍馬の青春時代、希望の見えない土佐暗黒の時代に読んだ詩とも言われている。

明治維新の西洋文明の導入期、また太平洋戦争からの復興、そして成長期において、先進国、戦勝国に追いつけ追い越せ、を掛け声に、物を真似て製造し、他国から『猿まね』と揶揄されながらも、学び、工夫・改善し、いつか世界一の品質の証である "Made in Japan"の称号を日本製品は勝ち得た。

日本人は、自分たちのそれぞれの夢を信じて、われのみぞ知る、頂きに到達したのである。


現在、世界はこれ以上無いほどに密接し、しかも様々な思想に支配される国々とより一層関係を密にしなければ、一国では立ちゆかない時代に入ってしまった。
そして日本は、1980年代から1990年代にかけての『陽いずる日本~Rising Sun~』『世界一安全な国』と称された時代から一転、凋落し、内外の問題が噴出し、政治も経済も停滞し、日本から夢や希望がどんどん失われていく喪失感に苛まれている。

今、私達に必要な事は、それぞれが天から与えられた唯一無二の天分に従って現状の枠組み・ルールの中で自分を活かし、争わず笑顔で、学び、働き、楽しむ事ではないだろうか。

また、国、社会を運営する任を与えられし者は、それぞれの個性、パーソナリティーを尊重し、活かす社会システムの再構築(イノベーション)をもたらすことではないだろうか。

それが、龍馬の描いた『夢』なのだと思うのである。
それが、私の、私達の『必要な夢』なのだと希望する。


『坂本龍馬』考

『坂本龍馬』考 その1 ~司馬竜馬との出会い、そして竜馬と歩む人生~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/09/blog-post_5723.html

『坂本龍馬』考 その2 ~お田鶴さまのいない『龍馬伝』、いよいよクライマックスです~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/10/blog-post.html

『坂本龍馬』考 その3 ~龍馬の夢~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2010/11/3.html

『坂本龍馬』考 その4 ~デモクラシー~
https://harimanokuni2007.blogspot.com/2017/11/blog-post_20.html

2010年11月11日木曜日

クリスマス絵本『ポーラーエクスプレス』の朗読ビデオをYouTubeにアップしました。

初めに、
本日11/11、10日振りの投稿となります。暫く調子を崩していました。先週末は、鹿島中野球部の練習試合が土・日、両日で4チームを迎えて行われましたが、大好きな野球観戦も写真撮影も休みました。漸く調子が戻ってきました。
野球部員のお父さんで、写真撮影の相棒(元ラガーマンのサユリスト)も体調を崩されているとの事、共に調子を戻して、今週末に行われる『中上雅文記念 第12回高砂市招待中学校軟式野球交流会』でお会いしたいと思います。

では本題に入ります。m(__)m

先日、中古書店で、絵本『The Polar Express - 急行「北極号」 -』を見つけました。
『ポーラーエクスプレス』といえば、最初に、2004年公開の、ロバート・ゼメキス監督そしてトム・ハンクス(CGキャラクターと声)出演のCGアニメーション『ポーラーエクスプレス』を思い出します。
この映画の原作が、この絵本です。
1985年に、クリス・ヴァン・オールズバーグさんが創作された絵童話です。日本では、翻訳者が村上春樹さん、また映画公開などもあって、ある時期、多くの方が読まれた事と思います。

最近というか、以前から感じていた事ですが、書籍、絵本、映画、音楽等々、近年その発表される作品数は膨大で、しかし一部の話題を獲得したコンテンツ(商品)のみが、短期的に話題を独占し、その他の大多数は、記憶に残ればよい方で、遺産にもならず、過去の大量の記録物の中に消えていきます。

この『ポーラーエクスプレス』、発売当初は全く感心無く、映画もそして絵本にもタッチしませんでした。でもどうでしょう、現在、新刊書店に置いてあるでしょうか。
一時期、ベストセラーとなった作品は、その凋落振りも甚だしいです。

話はそれますが、
新刊書店に行けば、新刊書籍が大量に並べられ、書店側も様々な戦略を講じて、本をどうにかして売ろうしています。
ですが、新刊(新刊は単行本で値段が高い)は、少ない情報(新聞や雑誌の書評)しかなく、これまでの自身の作家や過去作品に触れた経験・感想を踏まえて、購入するか否か判断します。(まぁそれ以上に、財布の中身とまず相談なのですが)そして、当たり外れが大きいという難があります。
しかし、過去作品、文豪作品は、私にとっては宝石の山(というより知識の泉)です。未読作品は膨大です。また、読み継がれ、語り継がれた作品は十分に批評されていて、当たり外れがありません。しかし、そういった作品を新刊書店で見つけるのは至難です。売れ筋と書棚スペースの兼ね合い、書店側の販売方針が蔵書目録に色濃く出ます。
そういう時、Book-off等の中古書店です。中古店は、様々なジャンル、また様々な刊行時期の作品が置かれています。ですから、思わぬ作品に出会える楽しさがあります。また新刊よりも圧倒的に安い。一種、宝探しの趣向があります。

さて、『ポーラーエクスプレス』、約15分くらいで作者の創作世界を堪能しました。
物語は・・・
あるクリスマスイブの夜、自宅の前に汽車が停車し、僕はサンタクロースの町、地上で最も北にある町に汽車に乗って旅をし、その町でサンタクロースからサンタのソリについた銀の鈴をクリスマスプレゼントとして貰います。それは、僕が1番欲しかったプレゼントです。
ですが、帰りの車中で、無くした事に気付き落胆しますが、翌朝、クリスマスの日、プレゼントの中に、サンタからのプレゼントとして銀の鈴が届きます。
その鈴の音は、これまで耳にした事がない素敵な音色でした。
ですが、その音色は、何故かお父さんお母さんには、沈黙としか伝わらない不思議さがありました。
時が経ち、僕は大人になりました。昔、一緒にサンタの鈴の音を楽しんだ、妹や友だちには、もう沈黙の鈴になりました、しかし僕は聞こえる、サンタを、夢を心から信じているから・・・

という行の物語です。

信じればいつもそこにあり、信じればいつも叶う、夢心地の子どもの呪文の様ですが、この気持ちをいつまでも持ち続ける事が、本当に大切な事なのだと思います。
この思いは、純真さや優しさ、畏れといった心から生まれるものです。
恐れを知らぬ、恐れを忘れる、恐れを伏せる、それが大人なのでしょうか、と作者は子どもたちに問いかけている、そう感じました。私もその疑問に常々感じている者の一人であります。

人は、これまでの数千年間で文明を興し、科学や技術を発展させてきました。でもそれは、海岸の砂浜に子どもが作った砂の城と同じであると気付くべきです。
打ち寄せる波を避けて築いたつもりでも、いつか予想もしない波に崩され、流されます。
私達は、そういう大いなる自然、この世界を司る大なる存在を畏れ、また感謝しつつ日々を送る、今では過去となった精神性の高い生活に立ち戻る時なのではないかと思っています。

投稿した、朗読『The Polar Express - 急行「北極号」 -』どうぞ、ご鑑賞下さい。
バックミュージックは、これも20数年前、ワゴンセールで買ったクリスマスソングCD(輸入版)の曲です。余り日本には馴染みのない楽器で演奏されていて、どの曲も大好きです。私にとって貴重な音楽です。

2010年10月31日日曜日

第28回全日本少年軟式野球大会高砂予選 宝殿中戦観戦記

10/30(土)、
来年夏、横浜スタジアムで行われる第28回全日本少年軟式野球大会の高砂予選大会が、兵庫県中播大会出場の二枠を掛けて、宝殿中(A代表選出)、竜山中(B代表選出)にて行われた。

鹿島中は、宝殿中グラウンドにて、1回戦第2試合宝殿中と対戦。
前公式戦、新人体育大会軟式野球競技大会高砂大会でも対戦し、その時は辛くも鹿島中は守り勝ったが、
今日のこの試合、宝殿中選手達の意気込みが違っていた。まさに全員が、絶対に鹿島中に勝って俺たちが上位大会に進出するんだ、という気迫が溢れていた。

先週の加西市立泉中との練習試合から、鹿島中野球部選手達から東播大会時の熱気が伝わってこないと感じていたが、この試合も淡々として、宝殿中選手達の真剣に呼応して火花を散らす、熱気が感じられなかった。

それでも試合は、一進一退、互いに決めきれず、2回表鹿島中の攻撃、先頭打者5番拓樹が死球で出塁の後、6番真己がレフトオーバーのタイムリー三塁打を放ち先制。この後、7番耕太郎も四球で歩き、チャンスを広げるも、追加点が取れず。

4回裏、一死から4番四球、すかさず盗塁を決まられ、5番にタイムリーヒットを打たれて同点。

そして7回裏、7番死球、8番送りバント、ワイルドピッチで一死3塁、9番、1番と四球で満塁。そして2番四球でゲームセットとなった。

高砂予選では、宝殿中、松陽中が11月下旬に行われる上位大会、中播大会の出場権を得た。
今年の夏、小野市立河合中が全国大会、横浜スタジアムの土を踏んだように、宝殿中、松陽中には、中播大会でベスト4以上に勝ち進み、来年の兵庫大会へ、そして近畿ブロック大会、全国大会と勝ち進んで欲しい、そう期待します。

そして、鹿島中野球部員達には、『勝敗は時の運』という言葉はありますが、とはいっても、まずは結果はどうあれ、君達がゲームが終わってへとへとになって、試合をしたという余韻、満足感に溢れる試合を、どうかやり尽くして欲しい。このチームで野球が出来るのも、もう折り返しを過ぎた。

今日の試合で他校、宝殿中、白陵中、高砂中が指導で動くチームから選手自らが牽引するチームへと変貌している様をまざまざと見せつけられた。
野球は、ルールを守り、監督の指示・ゲームメイクで対局するゲームである。しかし、例えは悪いが、その駒である選手が監督同様に視野を広げて野球感を養い、向上した技術と心意気で、戦い合うゲームでもある。そしてチームの総合力、チームメートへの信頼、チームメートからの信頼がよりチーム力を強固にする。

練習再開後、自分たちの望む姿を、求める姿を想像して欲しい。そして、それに向かって残りの時間、精一杯、燃焼して欲しいと願います。

2010年10月27日水曜日

今年最後となる公式戦『第28回全日本少年軟式野球大会・高砂予選』の直前練習試合 感想

10/16東播新人体育大会の翌日から中間考査週間に入り、練習は休み、10/21-22中間考査終了後から練習再開となったが、10/24の練習試合はそれが関係しているのか、まるで消化試合の様な、クラブ選手権高砂予選の直前練習試合と思えないほど、元気がなかった。
第1試合は、雄大-拓樹のバッテリー。5回表、凌のタイムリーで先制するものの、7回裏、二つの死球から同点に追いつかれ、引き分けに終わった。
第2試合は、投手健介に対し、捕手が悠将-雄飛-将吾、また野手もオーダーを変更して挑まれた。
今年度チームの、各ポジションの二番手もしくは競争者、さらにいえば、来年度を見据えてのテスト、そういう風に見ると、興味深い練習試合であった。
試合は2-1で鹿島中が勝利した。

《第1試合の記録写真》
http://picasaweb.google.co.jp/115534743271292658497/201010241#

しかし、打てない。試合をひっくり返す長打力を性急に求めるのは厳しく、またタイムリー欠乏症でもある。

東播新人大会に優勝し東播地区の代表として兵庫県大会に出場した小野中が、1回戦で丹有地区代表春日中に9-0ノーヒットノーランで敗れた。
県大会優勝は但馬地区代表夢が丘中で、
1回戦で神戸地区代表横尾中を4-0完全試合で下し、
準決勝で西播地区代表那波中を3-0、
そして決勝では中播地区代表山陽中を1-0で下しての優勝。

攻守共に優れたチームが、秋にして既に県内で台頭してきているという事である。

中学野球をもっともっと、長く楽しみたい、やり尽くしたいのであれば、この冬、しっかりと
・体力強化
・怪我に強い体作り
・しなやかさとここぞという場面で集中できる精神力、チーム力
を地道に養って欲しい。
頑張れ!
鹿島中野球部員達!

写真ギャラリーに『姫路城』写真をアップしました。

デジタルカメラを持って、10数年、当初は風景や草花、そして家族の成長記録を撮影していました。
『姫路城』は、今年2010年から約5年掛けての、いわゆる平成の大修理、天守閣の瓦の葺き替え、漆喰、白壁と、約半世紀ぶりの全面改装で、暫くは工事の覆いで、その優美な姿を見ることができません。
それで、という訳ではありませんが、この10数年で撮影した姫路城の写真、また姫路城周辺の四季の花(桜が中心です)を写真ギャラリーにアップしました。
枚数だけがやたら多く、見にくい、という点はご容赦頂き、どうぞ観賞下さい。
この10数年、余り雪には縁遠い瀬戸内、播州地方ですが、何度か積雪がありました。雪の姫路城の写真もあります。
http://picasaweb.google.co.jp/115534743271292658497/RVsMID#


『四季の花』は、桜花の接写写真や風景写真が多く、季節が違うやろっ、と突っ込まれるところは重々承知の上、まぁ、どうかその点も勘弁頂き、ご鑑賞下さい。
http://picasaweb.google.co.jp/115534743271292658497/GTlMfI#

2010年10月26日火曜日

贈られた歌『旧友再会』

先週は、色々な事柄が重なり、ポン!と頭のネジが飛んでしまうほどに混乱していた。

10/14、15の秋祭りでは、連中講頭(町集会所に掲げられている連中名札で最高齢講から3番目に位置する、その名も高き、『一本松連中』である)宅に集い、大勢の連中と共に、ご馳走に舌鼓を打ち、酒を酌み交わし、戯れ話で賑わいだ。

しかし、息子の怪我や、その他、個人的な理由により宮には行かず、自宅で過ごした。

その後、ある事柄が勃発し、それは融通のきかない私では解決できない(処方も持ち得ない)事柄であったため、その道の経験者である友人に相談、率直な意見を受けた。厳しい意見であったが、それは理解できる範疇であり、光明を見出すことができた。ただ、その後、長年お世話頂いた心療内科医師が急変で死去された事実を知り、何もかも未解決の状況の上に、さらに深い重みを心に抱くことになった。心も頭も深い霧に覆われた。

そこで友人に、ただ『呑みたい』とだけ伝え、一つ返事『了解』で応えてくれた。

土曜日、まだ陽が落ちる前から、友人宅で対座し、夕食準備が忙しい最中、奥方に酒、肴を運んで頂き、ゆらゆらと呑んだ。人肌より少しぬるめ、好みの燗である。酒は日本酒、銘柄には興味はないが、ほのかな黄金色と、口に含むと、爽やかさが広がり、すーっと喉に染み込んでいく。旨い酒だ。

何を話したか、戯れ言である。
高杉晋作の辞世の句『おもしろき こともなき世に おもしろく』、下の句は高杉晩年の庇護者女流歌人野村望東尼(のむら もとに)がつけたといわれる『すみなすものは 心なりけり』。そこから、龍馬伝で高杉を演じた俳優は、なかなか様になっていたとか、若かりし頃の阿呆な思い出話で笑いあった。
友人が、仕事の件で、これまで取引先との連絡はFAXで行っていたのだが、昨今の風潮に習い、それがEメールに変わり、その為、四苦八苦しているという事から(友人自身も昔は少し、その方面をかじっていたのだが、あっさりと『忘れた』、するりと言い切るのである)、そして、彼の、というか長女が主に使っているパソコンで、即席のパソコン講座と相成った。
メールの開き方、受け方・出し方、そしてインターネット閲覧についてである。

そうこうしている間に陽はすっかり落ち、このまま酔いに任せる訳にもいかなかったので、引き上げた。

自宅に帰って、夜、パソコンを開くと、友人からメールが届いていた。
『今日の酒はうまかった 川島えいごの旧友再来聞いてくれ』

先週の悶々とした事柄については、共に活動しているチームの仲間と話し合い、道筋が成った。

昨夜、友人からのメッセージ「河島英伍の『旧友再会』聴いてくれ」を思いだし、YouTubeに投高されていた、『河島英五記念ライブ『元気だしてゆこう2007』ラスト映像』で、『旧友再会』を傾聴した。

『旧友再会』、河島英伍が亡くなる数日前に友人達に贈った最期の歌とされている・・・

*****

『旧友再会』

今日は本当に笑った
腹の底から笑った
夕べはあんなに塞いでいたのに
君に会えてよかった

今日の酒は美味かった
気持ちよく酔っ払った
ひとりでしんみり飲むのはつらいが
今日の酒は美味かった

ラララ ラララ 

共に過ごした青春
今では笑い話さ
もしも もしも やり直せるならば
も少し 上手くやりたいね

今日は本当に笑った
腹の底から笑った
わざわざここまで訪ねてくれて
今日はどうもありがとう

ラララ ラララ 

わざわざ ここまで 訪ねてくれて・・・
今日は 本当に どうも ありがとう

《河島英五記念ライブ『元気だしてゆこう2007』ラスト映像》


*****

2010年10月20日水曜日

コイン精米機での出来事

昨日、息子の通院の帰りに、いつも利用しているコイン精米機に寄りました。

設置場所が狭い通路沿いにあり、そこには駐車できるスペースが1台しかなく、
また先客があって、路肩で待っていました。
出ようとしている様子なのですが、なかなか出ない。
私もまぁ運転が下手な方ですが、輪を掛けてのお下手らしく四苦八苦の末、
ようやく出られました。

車を止め、玄米30Kg(一体)の袋を抱えて、
米の投入口に置き、300円を投入している最中、ふと後ろに人の気配、
振り向くと、『にいちゃん、どのボタン押すの?』と問われ、
さらに『奥さんから精米して来て、言われて精米したんやけど、ちごとったら怒られる・・・』
・・・そんなんしらんわ、と思いながらも『僕はいつも標準ですよ』と答えると
『ああ、標準でよかったんやなぁ』とホッとした表情で出て行かれました。
先客のおっちゃんでした。

年格好は、そんなに離れていないように見受けられたのですが、にいちゃんと呼ばれたから、おっちゃんと呼び返しました。

でもまぁ、『上米』でも『標準』でも『八分』でも、どのボタンでもエエんとちゃうの思いつつも、少し気になり、あらためて表示を読むと『色の白さ選択』と書いてあります。要は磨きの違いやろ、と可笑しさを堪えて精米して帰りました。

でもやっぱり何か気になり、帰ってグーグりました。
そして分かったことは、磨きすぎると量が減る、という事でした。機械によっては、最上米という磨きボタンもある様で、その場合、一割が削り取られるという事です。30Kgの玄米に対して27kgの最上米、ああもったいない、それが気になっていた理由でした。

最近は、米ぬかを持ち帰る事ができる様になっています。
ボタンの存在は知ってはいました。が、持ち帰るという発想はありませんでした。

ある人のホームページに、面白い記載がありました。

以下引用です。
-----------
すばらしい!ISEKI殿、H/Hもったいない推進委員会よりヌカ賞を差し上げます。特にすばらしいのが、ヌカ持ち帰りの方法を書いた「ヌカ持ち帰り要領」であります。なんてったってこの『要領』という堅苦しい表現が最高なのであります (^_^)

それだけではありません。ヌカ取り出しボタンという、誰もが押したくなる赤ボタンの注意書きがスバラシイのです。「ヌカを必要としない方は、絶体に押さないで下さい」。絶対ではなくて絶体なのであります (^_^; これは単なる誤字ではないと推測します。ヌカを必要ともしないのに、おもしろ半分に押された方は絶体絶命のピンチに陥るのは間違いありません。決して生半可な気持ちで押さないようにしましょう。
http://homepage3.nifty.com/hungryhunter/seimai/
-----------

家にぬか床があるわけではありませんが、これからは小袋も持って行き、米ぬかを持ち帰って、庭の草木の肥料にでもしようかと思います。

それから、もう一つボタンがあること、知っていました?
玄米持ち帰りボタン、投入した玄米の残りを排出するボタンです。このボタンの存在も前から気付いていました。
昨日、実際に押してみました。
下向きの排出口を手のひらで塞ぎ、ボタンを押しました。暫く待つと、手のひらにこんもりと玄米が積もりました。
で、半分口の中に放り込み、半分は精米機を設置しているプレハブ小屋の屋根に巻きました。天へお返しです。

口の中に放り込んだ玄米、しっかり噛んで食べました。噛むほどに甘みと旨味が口の中に広がってきました。
例えるとすると、素焼きせんべいを良く噛んで食べたときの食感に似ていました。

これから精米するときは、八分で十分やな、と感じています。

2010年10月17日日曜日

3位! 第32回東播地区中学校新人体育大会 軟式野球競技大会の感想

鹿島校区の秋祭りが終わった10/16(土)、野球部部員達は、気持ちを引き締め、東播地区新人体育大会軟式野球競技大会 準決勝・決勝に挑んだ。


鹿島中vs.魚住中に先立ち行われた、準決勝第1試合、小野中(小野地区1位)vs.二見中(明石地区1位)を観戦した。
先攻の小野中が2回表、4番からの攻撃で、ヒット-送りバント-四球-四球で満塁とし、8番打者のヒットでまず2点を先制。
追う二見中も5回裏、ショート捕球エラー-送りバント-内野安打で1死一三塁、しかしこの後の、三塁ランナー飛び出しが痛かった。三本間に挟まれ刺殺。この間に三塁に進塁した走者が、次打者のライト前ヒットを生還するから皮肉である。7回2-1小野中が決勝進出。小野中(打席数:23)、二見中(打席数:24)、試合時間:110分と、決定打のでない重苦しいゲーム展開で、どちらに勝機が転がり込んでもおかしくはなかった。
しかし、ゲーム開始時に思ったのだが(決勝の布陣を知らないので間違っているかもしれない)、小野中はエース番号で挑み、二見中はそうではなかった。チーム力が拮抗したゲームは、最後の一押し、思い入れの強い方に女神は微笑む、そう感じた試合だった。

【加西球場 準決勝第2試合 魚住中学校(明石地区2位)との対戦】
先のブログでも書いたが、凌のじゃんけんの強さには舌を巻く。高砂地区大会から6戦全て先攻である。

鹿島中バッテリーは、エース雄大と恋女房拓樹。


1回裏魚住中の攻撃、速攻であっという間に1点を先攻された。先頭打者松田君ライト前ヒット-2番秦野君送りバント-4番萩原君レフトオーバーの二塁打で1点である。
そして、このゲームはシーソーゲームとなった。
3回表鹿島中の攻撃、2死から一番凌が内野安打で出塁、悠将四球、雄大の内野ゴロをセカンドがはじく間に凌が二塁から一挙に生還。凌の足で同点となった。


4回裏魚住中の攻撃、1死から4連打で1点、である。6番今中君レフト前ヒット、7番佐藤君センター前ヒット、8番山本君レフト前ヒットで満塁。そして9番楠目君のセンター前テキサスヒットで1点である。しかし、落ちたところはほぼ二塁ベース後方で、躊躇した一二塁の走者をアウトに仕留めてスリーアウト、このピンチを1点でしのいだ。


そして最終回7回表鹿島中の攻撃、9番悠介センター前ヒット、1番凌もセンター前ヒットで続き、2番悠将が送りバントで1死二三塁。ここで、ほたえて右腕を怪我した耕太郎、ベンチで仲間を応援するしかできなかった耕太郎が、三塁代走で出場、3番雄大がクリーンヒットで耕太郎が生還し、同点となった。しかし、この後、1死満塁まで攻めたが、逆転できなかった。


延長9回裏魚住中の攻撃、4番萩原君のピッチャー前ゴロを雄大が捕球エラー、5番田中君のセカンドゴロを悠将がはじいて、無死一二塁。7番佐藤君のライト前の当たりを幸伍が打者走者を一塁でアウトにし、1死二三塁。
そして、8番山本君のショートゴロを凌の送球エラーで、三塁走者が還り、サヨナラゲームとなった。


10:52-12:48 116分の熱戦は、2-3x、鹿島中の惜敗で終わった。

【加西球場 決勝戦 小野中学校(小野地区1位)vs.魚住中学校(明石地区2位)】
小野中が、逆転で魚住中を下し優勝した。
結果は、東播地区中体連野球部公式ホームページで見る事ができる。
http://www.geocities.jp/iwasaki0509/list1.html


10/11の試合が終わった後、加西球場から学校に戻る車の中で、後部座席に乗せた1年生部員(レギュラーとして出場している健介と悠将)に、二つのことを話した。
ひとつは、スタンドにもチームメートがいて、声を嗄らしながら戦っている。チームメートがいつも一緒に戦っている事を忘れないで欲しい、ということ。
そして、10/16までの間、秋祭りがあるが、決して、怪我や体を壊さない様にして欲しいということを話した。
それは、自分たちの今最高の楽しみを味わうためであり、またチームメートに迷惑を掛けないためである。


しかし、祭りでも野球の練習でもなく、普段の学校生活の中で、いつものように友だちとほたえあっていて、我が息子が怪我をした。大した怪我ではない、が怪我をした直後は、傷口が少しでも早く治る様、試合当日も含め、一週間は野球部活動を休ませるつもりであった。
が、しかし思いの外、縫った傷口の直りが好く、また監督(野球部顧問の先生)からもベンチに入れるなら、やる仕事があるから、入れという指示もあり、本人には、ベンチに入る限りは、一選手として、監督に指示に従い全力でやれ、とだけ伝えた。


息子は、まったく打てず、チームに対して打撃ではまったく貢献できなかった。しかし、10/11の試合で、チームメートのファインプレーに触発されたのだろう、守備でも溌剌と動き、そして、そのチームメートから、『打席で余計ことは考えず、来た球を打て!』と言われ、その試合で久々のヒットを打った。
小学校時の少年野球指導者であり、また耕太郎も長く指導を受けた友人が、忙しい合間を縫ってバッティングの指導をかって出てくれた。バッティングは一朝一夕で成ることはない。自分で見えない事は真摯に教えを請い、そして練習に励み、また打席では迷ったり、ただ投球に集中できる状態の繰り返しの先に光明を見出すのだと思う。
その一つの切っ掛けとなるか、と思った矢先の怪我である。
しかし、スポーツに怪我は付きものである。グラウンド内の、ゲームメイクの差配は、監督の領分、と私自身は思っている、また信頼もしているからお任せである。

そして、東播地区新人大会は、準決勝で負けた。東播大会を勝ち上がり県大会に出場する為の確率は『60数分の1』と、野球部部長が話されていた。狭き門である。
試合の勝ち負けへの思いは、人それぞれ様々である。野球部顧問の先生方は、何十年とこのトーナメントに挑戦し、それでも頂点を極める事は至難であるという事を実感されている。だから、もう一階段、二階段登ったら頂点を極められた、その思いはいかばかりかと察することはできる。
でも私は、部員達が1試合でも多く試合を勝ち続け、次の試合を観に連れて行ってくれる事が嬉しく、また幸せなのである。相手も必死である。負ければ残念ではある。しかし、自分自身が何かをしているわけではないので、悔しさはない。ただ、部員達には、何故負けたか、を狭く見るのではなく、チームとして広く考え、どうすれば次の試合で、それを防ぐことができるかを考え、練習で取り組み、次の試合に活かして欲しいと切に願う。

今週は、中間考査で、練習は休みである。テストが終了した後、再開された野球部活動で、課題に取り組み、次の試合に活かして欲しいと切に願う。


2010年10月13日水曜日

ベスト4進出! 第32回東播地区中学校新人体育大会 軟式野球競技大会

開催予定が、10/9(土)、10/11(月)、予備日10/16(土)であったが、年間で1番雨が少ないといわれるこの時期10/8、9の両日大雨となり、大会初日が順延、10/11(月)、晴天を取り戻した秋空の下、芝の緑色がさらに鮮やかにさえた加西球場で、東播大会4ブロック目の1回戦、2回戦が行われた。


今年の春の総体東播大会の覇者、兵庫教育大附属中(加東地区1位)は第3ブロック(西脇市民球場)で1回戦黒田庄中(西脇地区1位)と対戦、高砂新人戦で一位通過した荒井中は第1ブロック(榊公園野球場)で朝霧中(明石地区3位)と対戦である。

【加西球場 1回戦第2試合 浜の宮中学校(加古川地区1位)との対戦】
まず最初に驚かされたのは、第1試合、自由が丘中(一塁側)vs.加西中(三塁側)が3-0で終了した後、三塁側スタンドで、応援の準備をしていたところ、一塁側ベンチ前で、整列した一団が校歌を高らかに斉唱しだした。勝った自由が丘中の選手達かと見ていたら、歌詞の最後に『浜の宮~!』と歌っているではないか!!!

宣戦布告である、『トラ・トラ・トラ』である・・・

ゲームも、予感通りに厳しい展開であった。
先攻は鹿島、リードオフマン凌が出塁、内野手の乱れを突いて二塁を狙ったものの、一二塁間に挟まれ挟殺プレーでアウト。その後は、浜の宮中エース大村君に沈黙させられた。
鹿島先発は、エース雄大、そして捕手拓樹のバッテリー。



4回裏浜の宮中の攻撃、この回先頭の2番西村君を四球で出し、次打者の送りバントが野選、その後、送りバントを決められて、1死二三塁。四番を四球で歩かせ満塁とした後、五番キャプテン波戸君がバットを一握り短く持って、低めの球を叩きつけ、打球は投手雄大の前で大きく弾き、西村君が悠々と生還、浜の宮中に1点を先取された。
ゲームが動いた。
5回表鹿島の攻撃、この回先頭の4番健介がセンター左へクリーンヒットを放ち、続く真己も三遊間を抜くレフト前ヒット。



拓樹が送りバントを決めて、1死二三塁。7番幸伍の時、二塁牽制のボールがセンター奥まで深々と達し、鹿島中にとっては棚ぼたの2点、浜の宮中に取ってはまさかの2点、逆転した。
6回表浜の宮中の攻撃、先頭打者9番前田君が四球、そして二盗・三盗を決めた後、1番田中君も四球で無死一三塁。
2番西村君が二球目を投手前にスクイズ。
ここから鹿島中バッテリーの守備が光った。
雄大がグラブトスで拓樹がホームで前田君を刺殺。



3番大廣君の時、重盗を決められ、1死二三塁。大廣君もしぶとく、そして低めの球を叩きつけたが、前進守備のショート凌が捕球して本塁に送球、クロスプレーとなったが、拓樹が田中君を刺殺、同点を防いだ。



そして最終回となった7回裏、先頭打者、9番前田君の代打で打席に立った今栄君がしぶとくライト前テキサスヒット。ここで、一塁走者が大熊君に替わる。鹿島中も外野守備固めとして、レフト悠介がライトへ移動、そしてレフトに雄飛が入った。
続く田中君が三遊間を抜くレフト前ヒット。野球とはつくづく不思議なスポーツだ、替わった所に打球が飛ぶ。
無死一二塁。
2番西村君三振の時、それぞれの走者が進塁を図ったが、大熊君を三塁で刺殺。2死二塁。
最後のバッターとなった大廣君をサードゴロに打ち取り、ゲームセット、10:51-12:31、100分間をしのいだ鹿島中が2-1で勝った。



【加西球場 2回戦 自由が丘中学校(三木地区1位)との対戦】
自由が丘中は、エース岩崎君、連投であった。ずんぐりした体型、一昔前の鉄腕タイプだ。ゆっくりとしたモーションから投げる球は威力十分。先の加西中戦で見せつけられた。
但、この大舞台、加西中戦の様にはいかない、そう観た。

2回戦も鹿島が先攻。高砂大会から5試合全て先攻だ。凌の勝負運の強さに感じ入る。
初回鹿島の攻撃、先頭打者凌が四球で出塁、ボークで二進、牽制悪送球で三塁まで進み先制のチャンスを掴む。
2番悠将も四球で出塁、しかしディレード・スチールを試みるも一二塁間に挟まれ憤死。
3番雄大の内野ゴロで凌が本塁に飛び込むも、クロスプレーでアウト。
このイニング、先取点をものに出来なかった。
鹿島中先発は健介、そして拓樹のバッテリー。


1回裏自由が丘中の攻撃、先頭打者森下君センター前ヒット、牽制悪送球で二進。チャンスの後にはピンチである。
2番吉田君、3番松山君を連続三振に取るも、続く4番岩崎君、5番空中君を連続四球で満塁。
しかし、6番潮見君をピッチャーゴロに打ち取り、無失点で切り抜けた。
2回から4回まで試合が膠着した。そして、5回、試合が動いた。
5回表鹿島中の攻撃。
先頭打者8番耕太郎が四球で出塁。
9番悠介が送りバントを決め、1死二塁。
そして、1番凌がセンター右を破る三塁打を放ち、耕太郎が生還、1点を先取。



尚も2番悠将のスクイズバントで凌が生還し、この回2点を奪う。



7回表鹿島中の攻撃。
7番幸伍の代打として、今大会初出場となる帆岳が打席に立つ。
初球を空振り、二球目ボール、三球目空振り、四球目ファウル、五球目空振り。帆岳はこの打席、思いっきりアピールした。


8番耕太郎、二球で追い込まれた三球目、内角高めをジャストミート。打球は高々とレフトの頭上を越え、ワンバウンドでレフトフィンスに当たって大きく跳ねた。久々のヒット、三塁打である。


9番悠介の打席でワイルドピッチ、耕太郎が生還し、この回1点目。悠介は四球で出塁。


1番凌センターフライ、一死一塁。
2番悠将四球、一死一二塁。
3番雄大のレフト前テキサスヒットで、二塁悠介が生還し、この回2点目。


4番健介の三遊間を抜くレフト前ヒットで満塁。


5番真己の打球はファースト手前で大きく弾み、カバーのセカンドも越えてライトに転々とする間に、悠将、雄大の2者が生還し、この回4点を奪った。


健介-拓樹のバッテリーは5回以降も自由が丘打線を抑えた。しかし、随所にファン・プレーがあった。加西球場の見事な外野芝生が選手に勇気を与えたのだろうと思う。
5回裏、1死から8番黒川君のレフト前テキサスヒットになろうかという当たりを、この試合レフトに入った雄大がスライディングキャッチ。


6回裏、1死から2番吉田君の右中間を抜けるかという当たりを耕太郎がヘッドスライディングキャッチ。


そして7回裏、最終回守備固めとしてライトに入った雄飛が、1死後、ライト前内野と外野芝の境に飛んだ打球を果敢にスライディングキャッチ。セカンド悠介ともう少しでクラッシュする場面であったが、悠介が右にとっさに避けて大事に至らなかった。


雄飛はこの後、ウィニングボールをキャッチした。


13:11-15:04の試合、鹿島中は6-0で勝った。東播新人大会ベスト4入りである。





感想として、
ベスト4である。また10/16(土)、この加西球場で鹿島中の試合が観られる、応援できる。こんなに嬉しいことはない、である。
この文章は、10/13に書いている。
今日から三日間、鹿島中校区は秋祭りで染まる。10月13-14日は曽根天満宮、そして10月14-15日は大塩天満宮の秋祭りである。町を上げての祭りである。ヤッサの大太鼓の響きに、心が騒がぬ漢はそうはいないだろう。いや、漢だけでなく女子もである。
昔、秋祭りは、1年の苦役の果ての秋の実り、豊作を喜び、そして神に感謝する神事であり、それこそ1年の最大の喜び、大騒ぎが許される時であった。でも今は、内には伝統行事であり、外には観光行事である。節度とルールを守らなければいけない。
野球部員には、少々酷な話となるが、君達にとって、今最高に楽しめる10/16を控えている。どうか、余り浮かれすぎず、決して怪我等せず、体を壊さず、10/16を迎えて欲しい。
それから、野球である。
君達は全力でプレーしている、試合の後の表情を見ればそれはわかる、くたくたな中にも満足感、安堵感を漂わせているからだ。ただ、残念なことがある。
新チームの秋の大会は、守りきった方が勝つ、いつも君達が監督・コーチから言われている事だと思う。君達はそうして勝ってきたし、また負けもした。
負けの要因はエラーである。特に送球エラーが致命的になるケースを他数見てきたし、君達も経験したことだと思う。
送球は、キャッチボール、野球の基本である。そんなことは君達は分かっているだろうし、一生懸命取り組んでいると思う。でも、ゲームの最後、エラーがでたら負けである。夏の暑さに比べれば、日中、例え日差しが強くても、心地よい。心地よい風を感じ、空気を感じ、グラウンドの匂いを感じながら、心を落ち着けて、長くても2時間、最後まで、自分の技量を惜しみなく出し尽くして欲しいと願う。
もう一つは、声である。
雄大や健介に尋ねてみたい、ピンチの時、コントロールを乱したとき、周りから声援や叱咤が飛ぶことに対して、マウンドでどの様に感じているのか?
君達の勇気にプラスとなっているのか、それとも、言われなくともわかっているとマイナスに感じているのか、それとも、無関心なのか。
野手の皆に尋ねてみたい、掛け声や声援を出している、一生懸命プレーしている。でも、広い球場では、折角の声も、届けたい相手に届かなければ、伝わらなければ、心に響かなければ、もったいないと思う。
今大会は、ベンチ入りに制限がありスタンドから戦っているチームメートが7名いる。彼らは、2試合、ずっと声を張り上げ嗄らし、勇気を届けようとし、また、勝機には歓声・歓喜で応えている。スタンドにいても、彼らの言霊はグラウンドにいて戦っているのである。


グラウンドに立つものは、一層応える義務があると思う。彼らと共に戦っている、勇気と共に責任もとは、常にとは言わない、しかし胸の中でしっかりと育てて欲しいと思う。

10/16(土)、君達の誇らしげな笑顔が見られる事を願う。