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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年6月9日木曜日

私、富士山に二度登りました。

Azby Club『写真俳句クラブ』のギャラリーで、『静岡県 オカピー』さんという方が投稿された写真俳句『梅雨曇り 挨拶代わり 朝の冨士』に眼が留まりました。

次の様にコメントを投稿しました。
『004.私、富士山大好きです。若かりし頃二度登りました。確か、一度登るのは良いが、二回は戴けない、と言う風な格言?があった様な…』
するとオカピーさんから返信コメントを頂き次の様に書かれていました。
『009.…富士山に二度登るのは〇〇、一度も登らないのは〇〇と云われております。…』

早速Googleで検索しました。
そして面白いページを見つけました。

登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿

以下、引用----------

「登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」というのは富士登山をさしていう。日頃山登りしない人でも一生に一度は富士山に登りたいと思う人は多い。「日本一高い富士山に一度も登らないというのは馬鹿げたことだ。しかし退屈なおもしろくない山だから二度も登るのも馬鹿げたことだ」というほどの意味だ。

退屈でおもしろくない山―というと意外に思われるかも知れない。しかし実際、富士山は5合目以上は森林限界を超えた荒涼とした斜面をジグザグに登るだけだ。近隣に山がないから山岳展望がよいはずがない。独立峰だから風の影響をもろに受け、強風の時は危険だ。4000㍍に近い高峰とあって、8月でも最低気温は一桁になり、9月には初雪が降る。だから数十万人の一般登山者が7~8月に一気に押し寄せ、山小屋は混雑をきわめる。1畳に3人押し込められるということもあるし、小屋からあふれる人も出てくる。くわえて成層火山だから水がないので食事はきわめてお粗末だ。最近は改善されているかもしれないが、僕が8合目の小屋に泊まった時はおかずは缶詰だけだった。しかも圧力釜で炊いたというご飯もまずかった。富士山に二度登ったがいい思い出というのがない。富士山は眺めて楽しむのがいいというのが正直な実感だ。
(続く)

以上、引用----------

以前のブログでも触れましたが、私、二度富士山に登っています、つまり『馬鹿』です。

20歳大学三回生の夏の終わり、そして26歳の初夏だったと思います。

最初の富士山登山については以前のブログで書きましたので省略、26歳、2度目の富士登山についての思い出です。

今回は、山開きした良き時期を選び、会社の先輩、そして後輩の3名で富士登山を計画しました。

第1日目、高砂から車を走らせて、東大阪辺り(地名を思い出さない…)後輩の住むアパートで一泊。その夜、部屋でだいぶんと呑んだのか、翌朝起きると後輩は、少し風邪ぎみになっていました。(今、考えるとこれがいけなかった、反省です…)

昼前にアパートを出発、名神、東名と車を走らせて、三島で下り、その週東京出張だった先輩と合流するため、新幹線三島駅で待ち合わせ。当然ながら、携帯電話もない時代、出口で当てもなく先輩を待ち続けました。そして、19時過ぎだったと思います。重い荷物を抱えて先輩が改札から出てきました。
漸く3名揃いました。どこかのレストランで遅い夕食を食べ、富士山の五合目(どこの登山道だったかも忘れています…)をめざして車を走らせました。

五合目のレストハウス駐車場は満車でした。何とか車を止め、着替えて、登り始めたのが23時でした。

当時は、山登りする体力がありました。リズムが取れるようになると行者の如く登りました。登山者の果てしない列に加わっていました。

七合目辺りからガスが立ちこめ、頭に装着したライトの明かりも白いガスを映すだけになりました。八合目に到着するまでには、列の流れが、上から下に変わりました。下る人々の話では、台風が静岡県に接近していて上は非常に危ない、という内容。

でも、登り続けました。無理をさせた後輩は、普段なら私の倍以上の元気があるのにすっかりまいっていました。
八合目の山小屋に辿り着くと、彼を山小屋に置いて先に進む、という判断を下しました。本当に非情でした。

けれども後輩は、登る事を決意、暫し休憩の後、八合目の山小屋を離れて登り始めました。

水蒸気の中をさ迷うようにして、登り続けました。気が付けば、私たち3名以外はだれも登っていません。途中で一人の青年に出会いました。20歳くらいの青年は友人と二人で登ってきたが、友人は頂上を目指すのを断念し、一人でここまで登ってきたとのこと。
しかし、不安であったのでしょう。共となりました。

後輩は気力を取り戻しましたが、今度はその青年が蒼白になっていました。手を引き、背中を押して登りました。そして、頂上に辿り着きました。ただ、ずっと水蒸気の真っ白な世界でしたので、そこが頂上かどうかさえ、ハッキリとは分かりませんでしたが平であったため頂上と判断したのです。

峰の縁を右回りで歩き進みました。頂上にある神社を探していました。
ありました。でも、そこは風の流れが違っていて、龍の如く、白煙が空高く登っていました。恐ろしくなって、戻りました。そして、登り来た道を探して下山しました。

五合目もすっかり雨です。駐車場に止めていた車に戻ると、助手席の窓が全開になっていて降り込んだ雨で、シートはびしょ濡れ、床には水が溜まっていました。
私はもうすっかり、頭に来てしまって、先輩とも後輩とも話をしませんでした。その春に初めて買った新車でした。

東名高速に乗った時には、横殴りの雨でした。海岸線を通る清水辺りでしょうか。おおしけの海と打ちつける波を見ました。

次のSAで後輩に運転を代わって貰いました。そして、私は彼のアパートに着くまでぐっすり寝込んでしまっていました。

彼と別れ、一人で自宅に向かう車の中、自己嫌悪に陥っていました。


今、思い返しても、嫌な思い出です。『二度登る馬鹿』というよりも、たかだか二度目のくせにリーダー風をふかせて、身勝手、思いやりのかけらもない、自分の一面を見ました。

24、25年前の記憶です。でも、こうして記憶は辿れるものですね。それが面白いと思います。

『山は己を知らしめてくれる』、と思います。

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