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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年10月26日金曜日

新聞記事『ドイツ、ロマ人犠牲者追悼の碑建立』を読んで


昨日の新聞に『ロマ人犠牲者追悼の碑-ベルリン中心部にロマ慰霊碑建立-』という記事がありました。

以下引用---
ナチスドイツによる集団殺害の犠牲となったロマ民族を追悼する記念碑がベルリン中心部に完成し、24日、ガウク大統領やメルケル首相が出席して除幕式典が行われた。
記念碑は直径12メートルの黒い円形の水盤などからなり、かつてジプシーと呼ばれたロマ人詩人の作品が、ドイツ語と英語で記されている。迫害の歴史を解説した説明板も設置された。記念碑建設は1992年の独政府が決定したが、碑に刻む文を巡ってロマ人団体相互の間で合意が長引いたことなどから、完成までに20年の歳月を要した。
欧州では、ナチスドイツ時代に約50万人のロマ人が強制収容所などで殺害されたとされる。戦後ドイツでは、ユダヤ人大量殺害(ホロコースト)への関心が高く、補償や記念碑建設の対象となったのに対し、ロマ人迫害は注目を浴びることが少なく、ロマ人団体では記念碑建設を求めていた。

時事通信記事引用---
ナチス・ドイツに虐殺された少数民族ロマを追悼する慰霊碑がベルリン中心部の連邦議会議事堂前に建立され、記念式典が24日、開かれた。式典にはメルケル首相やガウク大統領のほか、生存者約100人が参列した。
かつてジプシーと呼ばれ差別されたロマは、ナチスの絶滅政策で約50万人が殺害されたとみられているが、旧西独政府は1982年までジェノサイド(大量虐殺)と認めなかった。メルケル首相は式典で、「あまりに長い間、無視され続けた犠牲者をしのぶとともに、言葉で表せないほどの不当な行為を記憶にとどめる慰霊碑だ」と語った。


最初はユダヤ人犠牲者追悼慰霊碑と置き換えて読んでいました。『ロマ人』が全く分からなかったのです。そしてGoogleで『ロマ人』を検索すると、14世紀頃からヨーロッパに移動してきた民族で、定住を求めず、移動生活に生きるジプシーの民でありました。
ロマ人はそれがために、定住民から異質の民と見られ、また外から災いをもたらす民という偏見の為にさまざまな迫害を受けてきました。
そしてヨーロッパがナチスに支配されていた頃、ロマ人は『劣等民族』と認定され、ユダヤ人と同様に大量虐殺されたのでした。

第二次世界大戦の敗戦国として、そして周辺国から暴虐を尽くした国として、とくに名指しを受ける日本とドイツですが、戦後ドイツは、ベルリンにユダヤ人犠牲者追悼碑を建立し、そしてこの度、ロマ人の犠牲者追悼慰霊碑を建立しました。
歴史を余り詳しく知らないので、感想でしかありませんが、ドイツの様に過去の罪をあらためて現代に公にし、碑を建てて未来に継承しようとする国を他に知りません。

ひるがえって日本を見ると、特にこの20年余り、隣国韓国から、また遠くオランダからも慰安婦問題が問われ続けています。
日本政府は、過去の過ちを踏まえて、女性の名誉と尊厳に関わる今日の問題に積極的に取り組み、また民間基金を通じて慰安婦として辛い目に遭われた方に補償金を提供しているとされます。

この10年で、東アジアの先進国に躍り出た韓国は、英語圏にもどんどんと進出し、特にアメリカにおいて日本よりも発言権が増しています。
そしてニューヨークのタイムズスクエアに従軍慰安婦問題を訴える広告を揚げたり、主要な都市に市の財源を使って慰安婦問題記念碑を建立しています。

日本が、過去の罪はそれぞれの国との間で決着を見た。であるから現在そのような問題は存在しないと正論に終始しても、そして未来に向けて基金を募り、現代の諸問題の解決に積極的に取り組んでいようとしても、今、その問題を知らない世界で、問題を告発する碑が建立されれば、その問題は、その世界に住む人々にとって今の問題となるように思います。日本人はなんて野蛮なのか?という悪い日本人のイメージが一人歩きをしてしまいます。

人と結びつこうとする時、心で念じただけでは、誰ひとりとして結ぶつくことは難しいです。信じて、と願っても同じ事です。
同じく、謝罪の心もそうです。念じるだけでは伝わらないのだと思います。
私たちは、世界に発信する明示的な印を自ら建立しなければならないのではないか、このニュースを読んで、そんなことを考えさせられました。

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