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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2020年2月7日金曜日

友へのエール

友が来てくれました。そして二人で話をしました。そこで、思っても見なかった心の内の苦しみを聞きました。


友は、子供の頃から、いつも友達の輪の中心で笑っているというような、そういう天性のキャプテンシーがありました。

特にガリ勉でも無く、スポーツ万能であった訳でもなかったけれど、賢いしスポーツは何でも器用にこなすし、いたずらも悪さもするけど、男女関係なく好かれるマインドの持ち主でした。


友は、改めてどういう人物なのか考えてみました。

すぐに思い浮かぶのは、困難なときもあまり思い悩まずに、気持ちを切り替えて、行動できる意志の強い人間だということです。

でもそれはきっと、友がとても聞き上手であったからではないか、と今思います。そう考えると合点がいきます。

友が、気持ちを切り替えて、行動できるのは、誰の声にもしっかりと耳を傾けているからで、だから答えを見つけるのも早いし、迷うより、選択したら、決断し、すぐに行動する、という即断卒欠的な性格も功を奏していたと思います。

聞き上手は、また人の心を引き付けます。人は心置きなく話せる相手を信頼します。そして互いを信頼することで強い絆が生まれます。友情はその絆の一つだと思います。

だから友には友達が多く、人が集ってくるのだと思います。


この友の聞き上手、聞く力は、若い人を育てる力となりました。そして友は、人財育成で会社に社会に関わる事を誇りにしていたように思います。そして会社や社会は友を正しく評価している、と思っていました。


しかし、社会は友や私が考えるよりも、人間をドライに扱うようになってきました。

会社や社会は、人財を育てるよりも、無機質に効率重視、人を信頼の絆を生まない単なる人材として扱うようになりました。即戦力を求めるようになりました。


そして、会社や社会の空気は変わりました。

悩める人に冷淡になりました。

悩める人に寄り添い、人財として戦力として育成する事にこだわる、前時代的な考えを持つ友のような人間は、冷遇されるようになりました。


明らかなる人間社会の劣化です。

大企業がそうなのです。


友の苦しみはここにありました。

でも人間社会を持続し続けるためには、劣化させないためには、崩壊させないためには、友のようなキャプテンシーを持つ人、人に寄り添えるマインドを持つ人を、育て続けなければならない、これこそが自明の理だと思います。


でも友は、きっとこれまで通りに、答えを見つけ、行動していくと思います。そうしか友は、出来ないのですからね。


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