6年前、初めて人以外の種族である猫と暮らすようになりました。
最初は生まれて2カ月ほどの姉弟でした。じゃれ合う姿は可愛いけれど、幼くても人に対して威嚇をします。餌を食べ、排尿排便をし、眠る、まるで習性だけで生きているのか、と最初は思いました。
でも二匹が身体を寄せ合って愛しむ様子を見て、知性を感じました。彼らは私と何一つ変わらない、そう実感しました。弟猫が2カ月後に事故で重体に陥り、介抱のかいもなく亡くなってしまったとき臨終を看取りました。それは厳粛な経験となりました。
そして唯一の家族を失った姉猫のしばらく悲嘆に暮れる姿は、彼女を見守る私たち人間の家族に共感とともに深い愛情を芽生えさせてくれました。この姉猫も4歳を迎えたばかりの頃に、突然の病気によりあっけなく亡くなりました。その時の人間の家族の悲嘆はもの凄く深いものでした。
そして、その悲しみの日から、そう時間を開けずに新しく家族に迎えたのが、生まれて1か月の女の子ウルちゃんです。家に来たその夜、檻の柵を抜け出して私の布団の中に入ってきて、私の腕を枕にして眠ったのです。震えていました。でもいつしか眠り、小さな寝息や寝言が耳元で聞こえました。その姿は人間の赤子と全く変わらず天使のように思いました。その夜からウルちゃんは、私にとって愛するもの、守るべきものとなりました。
猫と人は、姿形の全く違う生き物ですが、ともに知性を持つ生き物です。
でも一つだけ違いがあるとすれば、後々猫族から誤りを指摘されるかもしれませんが、それは私たち人間は神という恐れ敬う存在を信ずる信仰心を持っていることだと思います。
私たち人間は、その生まれた太古の昔から、神という恐れ敬う存在が私たち人間を創造し、御心に叶う者は生かされ、怒りをかう者は命を奪われる、そして神は創造された生死の世界、すべての世界を支配すると信じていました。それが人が良き人であるための教え、宗教を生み出しました。
しかし、人間は神を必要としないほどに科学を興してしまいました。
科学によって、命は人間の手で生み出せると信じるようになりました。更には永遠の生が手にできると信じるようになりました。
そして人間が生み出す、科学が生み出す、絶大な力を信じるようになりました。
そして神は必要でなくなりました。神の支配の元で人間同士が愛しむ、そんな信仰心も廃れてきました。
そして私たち人間は、
人間が生まれる以前の、力が支配する弱肉強食の世界が広がる一つの未来の扉の手前まで来たように感じます。私は、このおぞましい未来の扉は絶対に開きたくありません。
私は、例え異種であっても互いの容姿を認め合い、互いの知性を認め合い、互いをいつまでも慈しみ合える未来の扉を探して、その扉の向こうへと踏み出したく思います。
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