私たちは子供の頃から悪さをして叱られる時「嘘をつくな!」と叱られ
大人になっても問題を起こした時「嘘をつくな!」と責められる。
正直でなければならない、嘘をついてはならない、それが建前の社会で生きています。
嘘には、「嘘から出た誠」もあるでしょうし、「誠から出た嘘」もあるでしょう。ですがそんな嘘でも、嘘をついた者の心には苦みが残ると想像します。それが良識だと思います。
しかし、良識の欠片もない嘘もあります。保身や謀略のためにつく嘘です。しかし、そんな嘘がばれても、明示な罰がないのも実情です。
ですから私たちはそういうやからをさらし者にしようとする。身内も敵も傍観者であった者も、みんなで「嘘をつき、そして嘘がばれた者」を非難し責めて、身代わり、見せしめにするのです。それは「嘘がばれた者」へのあざけりでしかなく、幕引きの儀式にみえてなりません。
罪を憎んで人を憎まず、
「嘘をつく」行為に、明示な罰がないことが問題なのだと思います。
ですから「嘘つき罪」を提唱します。嘘とつく、という行為に対し、あらかじめ明示な罰を設定しておくのです。罰とは、社会的制裁です。罰は、罪を起こさない抑止とならなければいけません。
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