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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2012年10月31日水曜日

映画『グラン・プリ-Grand Prix-』で、驚異の映像体験をしました。


先日、久しぶりにショートショートが書きたい!なんていう気になって、頭の中で物語を練っていました。そして今日、ある物語を思い立ちました。キーワードは”DEAD”です。

そんな午後、BSプレミアムで映画『グラン・プリ-Grand Prix-』(1966年アメリカ映画)を観ました。
この映画で知っていたことといえば、F1グランプリが舞台であること、そして日本人俳優三船敏郎が出演している、という事だけでした。

映画『グラン・プリ-Grand Prix-』は、F1グランプリに生きる三人のレーサーを中心とした群像劇でした。三人のレーサーの名は、ピート・アロン、ジャン=ピエール・サルティ、そしてスコット・ストッダード、共にF1グランプリの歴戦の英雄です。
ですが、この映画の一番の主役そして見所は、”グランプリ”そのものでした。

1987年、日本グランプリが再開され、日本人F1ドライバ中嶋悟がフル参戦し、フジテレビが全GPを生中継しました。そんなに自動車レースに興味の無かった私でも、テーマソングのTHE SQUAREが演奏する"TRUTH"が聞こえてくると、何とも言えぬ高揚感を覚えたものです。そして車載搭載カメラによって、初めてレーサーが見る世界を見ました。

しかし映画”グランプリ”では、神の目(撮影カメラ)が、走行中のドライバーそしてマシンの表情まで映し出したのです。そしてレーサーがマシンを操ってひた走るその先にあるものが、《栄光》などではなく《死線-Deadline-》であることを見ました。

あらすじです。

第1戦は、モナコGPです。美しいモナコの市街地を走る、F1グランプリで唯一の市街地コースです。
サルティがトップ、二番手はストッダード、ストッダードと同じチームのアロンはマシンの不調で周回遅れとなっています。ストッダードがアロンのマシンの後ろに来ました。しかし、マシンがすでにコントロール出来ない状態に陥っていたアロンは道を譲ることが出来ません。業を煮やしたストッダードが強引に追い越そうとしたその瞬間、2台のマシンは接触し、アロンのマシンは海にはじき飛ばされ、ストッダードのマシンはコンクリートの壁面に激しくクラッシュします。アロンは軽傷ですんだものの、ストッダードはレーサー生命が危うくなるほどの大怪我を負いました。ストッダードの妻パットは、死の淵にあってもレーサーを止めようとしない夫の側にいることに耐えきれず、彼のもとを去ります。そしてアロンは、事故の責任を押しつけられ、チームから解雇されます。
国王のレセプションに迎賓として招かれたサルティは、ファッション誌の記者エヴァと知り合います。サルティには大手自動車メーカーの社長である、偽りの夫婦関係を続ける妻がいましたが、偽りのない正直なエヴァに引かれて、そして二人は恋に落ちます。

F1グランプリに日本から参戦した自動車メーカーがありました。チーム《ヤムラ》です。ヤムラの社長である矢村は、気品があり、そしてまだ一度も勝利のないこのF1グランプリで勝利するという強い野望がありました。矢村は、レーサーの職を失いレポーターとしてF1グランプリに留まっていたアロンをレーサーとしてチームに雇い入れます。

第3戦は、ベルギーGPです。天候が変わりやすく、また路面状態の悪いコースはレーサーの鬼門でした。このコースをトップで疾走していたサルティは、突然の雨でスリップしコースを外れて緩衝物に激突します。サルティは無傷でしたが、その事故で二人の子供が巻き添えにあい死亡しました。そしてレースを制したのはアロンでした。

ドイツGPから、まだ怪我の癒えないストッダードがレースに復帰しました。妻であったパットはアロンに癒やしを求め、アロンの側でレースの観戦を続けていました。
ストッダードは強靱な精神力と痛みを抑える薬物の投与によって、立て続けにGPを制します。ストッダードの復帰に合わせたかのようにアロンは不振に陥ります。しかし矢村はアロンを見捨てず、アロンの復活を支えます。

第8戦は、イギリスGPです。中盤を過ぎてトップはストッダードでしたが、傷の癒えない体がとうとう悲鳴を上げ、もうろうとなって棄権します。そしてサルティとアロンの一騎打ちとなりました。しかし終盤、アロンのマシンが火を噴いてコースを外れ停止し、アロンと並走していたサルティもマシンを停止させアロンのもとに駆け寄ります。アロンは首に火傷を負います。

ホテルで休むストッダードの部屋をパットが訪問します。パットは、ストッダードが無謀な男などではなく、勇敢な男であることに気付いたのです。そして二人は、まだ深く愛し合っていることにも気付き復縁します。
エヴァと知り合った後のサルティは、死線にしがみつくレーサーであり続けることに疑問を覚えます。そしてGPの後半、マシンの不調もあって成績が伸び悩み、チームのオーナーとの関係が悪化します。サルティは最終戦が終わった後で、将来について語ろうとエヴァに告白します。

そして最終戦、第9戦イタリアGPが始まりました。イタリアGPが行われるモンツァのコースにはバンクがあり、最高速度が300㎞近くに達するとても危険なコースです。
サルティはマシンの不調でエンストし、良いスタートが切れませんでした。でも、それでも棄権することなく集団を追いかけます。そして四番手まで順位を上げてバンクに差し掛かった時、浮力を抑える尾翼が落下し、マシンは空中を舞って、真下のコースに激突し炎上しました。サルティはマシンの外に投げ出され、即死でした。
サルティの訃報を知らぬアロンとストッダードはデッドヒートを繰り広げます。そして先にゴールを切ったのはアロンでした。アロンとチーム《ヤムラ》は、その年の総合優勝を決めたのでした。
アロンはシャンパンファイトで、サルティの死を知ります。ですが、矢村と固い握手をし、そして観衆の祝福に笑顔で応えました。それがレーサーの振る舞い方であったからです。

グランプリが終わったばかりのレース会場は『祭りの後』の様相で、人っ子一人いない観客席にはゴミが散乱しています。アレンはひとりコースのスタート地点に立ちます。
ほんの数時間前、この場所は歓声と騒音にまみれていました。そして、共に馳せる友がいました。そしてアレンは、スタートの先を見つめます。

end


私は、最終戦で悲願の総合優勝を成した矢村社長の喜びと、そして会場に流れる
『伝統あるヨーロッパの自動車レースに、日本のヤムラが勝利しました』
という賞賛を聞き、思わず涙がこぼれました。
この映画は約50年前、1960年台に作られました。
1960年台に、日本自動車メーカーとして初めてホンダがF1に参戦しました。
ヤムラはホンダであり、矢村社長はホンダ創業者の本田宗一郎氏がモデルです。
これほどの偉大な映画で、日本人が賞賛を受けていたのです。
それは、当時のホンダの挑戦が、そして希代の優れた起業家本田宗一郎が、異世界であったヨーロッパで認められていた事の証ではないかと思いました。

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