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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年12月24日土曜日

ビバ、クリスマス!


『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』
-ルカによる福音書2章11節-

お早うございます。そしてメリークリスマス!
いよいよ明日はクリスマスです。
6時頃外に出ますと、東の地平線から洩れ広がる明けの光で、天上の星々は空に溶けていました。静かな朝です。町の家々の屋根は霜で覆われています。まるでチョコレートケーキにパウダーシュガーをまぶしたよう、天もお祝いをしているのでしょうか。

クリスマスイブ の今夜、町々の教会ではクリスマス礼拝が執り行われます。
私は20年ほど前から子どもたちがまだ幼かった時代まで、よく家族でクリスマス礼拝に参加し、厳かな、でもとても心躍るクリスマスを楽しみました。

1995年12月24日(日) 、私は後母教会となった基督兄弟団西播磨めぐみ教会のクリスマス礼拝にて、鵜飼牧師の導きにより洗礼を授かりました。

キリスト教との出会い、というか聖書に初めて触れたのは、今から遡ること35年前、友達(イチャさんです)から譲り受けたコンパクトな聖書(福音書が納められていました。ミッション・スクールで配布されたものです)です。目次には『この様な心の時には、この御言葉を』という案内がありました。
私は、この案内で救われたことがあります。
20歳の冬でした。その日、その日も私は、金沢、片町のとある居酒屋で騒いでました。店に飾ってあった紙傘を開いて、即興の傘踊りに興じていたのです。
そして数日後、自宅に電話を入れると、その日、姉の1歳に満たない一人子が亡くなったことを知らされました。忸怩たる思いに押しつぶされ、一人で夜の町をあてもなく歩きました。そして、何度目かの電話ボックスから姉に電話をいれ、謝りました。
落ち着いてから寮の自室に戻り、友人から譲り受けた聖書を開きました。そして『悲しみ』についての案内で次の御言葉に出会いました。

『悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです』
-マタイによる福音書5章4節-

この御言葉に出会うまでは、聖書は、1960年代に作られ公開されたハリウッドのスペクタル映画、『天地創造』『十戒』『ベンハー』が描く、まさに壮大なスケールの絵物語として楽しんでいました。そう、『空想物語』として読んでいたのです。
でも、このマタイ伝の御言葉に出会い、本当に心が慰められれました。そして、それからは聖書は私の道しるべとなりました。

クリスマスには特に美しい物語が沢山あります。そして今日も今夜も素敵な物語が沢山紡ぎ出される事と思います。

どうか素敵な事柄に出会えますように
ビバ、クリスマス!

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