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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年9月24日月曜日

台風24号

21日に北マリアナ諸島付近で発生した台風24号、スーパー台風(カテゴリー5)へと勢力を増しながら、現在、沖縄や台湾に向かって西北西に毎時20㎞の速度で進行中です。予報では27日沖縄本島に近づいて、そして日本列島を縦断するコースを辿る可能性もあるようです。

北浜町北脇自治会でも、最近の自然災害の甚大さを受けて、住民の方から防災への真剣な声が届けられるようになりました。
北浜町のある土地は、その昔、山の麓まで海だったそうです。いまでも下水工事などで道路を深く掘り返すと砂の層が出来てきたり、水が染み出たりするといいます。
高砂市が作った防災マップをみると、北浜町のあたりは真っ赤に色づけられ、地震に非常に弱い土地である事が示されています。また先般の台風21号同様の勢力の強い台風が赤穂から岡山辺りに上陸したとすれば、この辺りの海岸線も暴風や高潮で甚大な被害を被ることになるかも知れません。

※高砂市
揺れやすさマップ
洪水・内水ハザードマップ

阪神大震災時のポートアイランド等の人口島で起きた液状化現象による地盤沈下のことは今でも鮮明に覚えていますし、先日の北海道胆振東部地震による札幌市街住宅地の液状化現象による地盤沈下を見ては、もう人ごとではありません。いつ自分の町が家が同様の災害に見舞われるかもしれないという危機感を強く覚えます。
また先日の地震の震源地に近い厚真町で発生した大規模な山崩れも、人ごとではありません。北脇町も同じく山の麓まで住宅地になっています。こういった風景は、どこの町でも見られるのでは無いでしょうか。これも社会問題になっている里山の維持が難しくなって山がどんどんと荒れ放題になり、木々は大きく成長するとともに古木となって倒壊の危険が増大していることと相まって、危険はまさに近づいていると思います。

公共の避難場所の問題、避難経路の問題、また高齢者世帯や要介護者要支援者の避難の問題、実は自治会などの公共機関だけで決められる問題ではないと思います。
東日本大震災時、東北地方で伝えられる「津波てんでんこ」の伝承は、現代では「薄情」とも捉えられることがありますが、公共の防災が無かった昔は、まず自分の命は自分で守り、生き残る、そして生き残った者が、町を復興するという決意の賜物であったと思います。
ですから私たちは協力するとともに自分のことはあらかじめ決めておく
例えば
①家族で防災について話し合い、いつ避難するか、誰が誘導するか、離散した場合にどこで合流するか、どのようにして連絡を取り合うかを決めておく
②地域で防災について話し合い、地域やご近所で共に避難するタイミングを決めておく、高齢者や要介護要支援者、また傷病者、子供、女性をいつ避難させるかを取り決めて、分担して避難誘導、避難支援を行う
③自治体に防災について対策を講じてもらう
少し考えるだけでも、行動を決める事項が多々あります。

先般の台風でのJR西日本の計画運休は英断であったと思います。
大きな災害があらかじめ予測できる場合は、現在、自治体が出す避難準備では遅すぎると思います。たとえ過剰と言われようが、オオカミ少年と言われようが、極端な話、前日から避難を完了させるという英断も必要ではないか、と思います。
そして災害時の避難等で何らかの被災を受けた際には、誰も責任を問われないという、「津波てんでんこ」の精神を私たちは思い出さねばならないとも思います。誰の所為でもないこと、その上で思い切って平時の内に自主的に避難する、協力して避難することも考えなければいけないと思います。

もう一つ付け加えると
イージス・アショアに何千億円も注ぎ込むのなら、被災地や来る南海トラフ大地震やスーパー台風に備えるべく、平時は市民の交流の場として、緊急時には堅牢なシェルターとなる施設を作る事のほうが、国民の生命財産を守るという点で大事ではないかと思います。

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