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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2016年3月29日火曜日

待機児童問題に一考

待機児童問題について、政府から
「予算がないから、緊急措置として一時預かり施設への支援拡充とか小規模保育所の定員を増やす」などという下策が聞こえてきました。
これでは、ただでさえ労働環境が厳しい民間の小規模施設で働く保育士に負担を強いるばかりです。万全でなければならない保育環境が、悪化の一途を辿る事を危惧します。

待機児童問題の本質は、国の社会福祉事業の放棄です。金食い虫として、保育事業を国が行う非営利な社会福祉事業から民営化、営利事業への転換した事に尽きると思います。
戦後の日本は、社会福祉事業が機会均等に国民の生活の下支えとなった。それが産業立国へと躍進するためのマンパワーを生み続けた大きな理由だと思います。社会民主主義、それが日本が体現した進歩の礎であったと思うのです。
しかし、今や日本は社会民主主義から自由主義に傾斜しました。自由主義とはイコール競争原理主義の信奉です。勝つ事が至上であり、勝つ事が成功で、勝つ事で富も名声も権力も手中に収める事ができる。それ自体悪い事ではないけれど、自由主義の酷い傾斜は、社会の不平等を生み、それが社会不安となり、良質なマンパワーを生み出す事ができなくなります。今、日本はその瀬戸際に立っているのだと思います。

国の百年の計の柱でなければいけないのは、「人作り」だと思います。良識、思い遣り、知性、さらには体力のある人物を沢山輩出し続ける事が、国の繁栄の源です。ですから人財こそ一番の国の宝でなければいけないと思います。
そして子供は、原石です。慈しむことで優しさ、思い遣りが育ち、厳しく研磨することで良識、知性、体力が育ちます。

国は、「人作り」を国作りの根幹と定め直し、単に保育事業、教育事業の整備に留まらず、社会の仕組み、例えば労働環境を「育児、保育ができる」仕組みに変えていく事などの大転換が必要と思います。
また、ひとりの子供も社会福祉の網からこぼれ落ちない様にするために、篤志のある保育者、教育者を育成し、現場で十分な働きが出来るように安定した身分、報酬、権限、そして責任を与えなければなりません。

そして今、緊急措置が必要というなら、政治的判断で、他の事業を止めてでも、予算を作り、保育士の増員、保育場所の確保、保育の安全に動くべきだと思います。
また私たち国民は、政治家の誰が篤志家なのか、誰が機転が利くのか、この先も政治を託せる人なのか、見定める機会にしなければなりません。

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