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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年7月9日水曜日

宮崎駿監督の最後の映画『風立ちぬ』を観ました。

遼太郎が家族で観ようと、ビデオを買ってくれまして、家族で観ました。
映画を見終わりまず感じたのは、この物語は、美しいラブストーリーであるという事、そして大人の映画であるという事です。

まるで往年のフランス映画やイタリア映画の様に、切なくも濃密な恋愛描写がありました。特に心に焼き付いたシーンが二つ。
一つは、菜穗子が吐血したという二日前に届いた電報を知った二郎が、矢も盾もたまらず菜穗子のいる東京に向かい、菜穗子の部屋の明かりを見つけて窓から飛び込んでいくシーン。
気配で目を覚ました菜穗子が「あなた・・・」と小さく叫び両手を突き出します。
そんな菜穗子を二郎は抱きすくめ接吻をします。
「うつります」と漏らす菜穗子に
「大好きだ」と応える二郎
菜穗子の目からいっぱいの涙が溢れます。
こんなにラブシーンが美しいと思ったのは、『誰がために鐘は鳴る』でゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンの接吻を見て以来です。

もう一つは、二郎のために結核を治し健康な体となるために独り高原の療養所で暮らす菜穗子、でも二郎からの手紙に寂しさを堪えきれずに身一つで二郎のもとに走り、周囲の理解を得て結婚式を挙げます。そして離れ座敷で初夜を迎えるシーンです。
菜穗子の体を気遣う二郎に
菜穗子は「来て」と誘います。
たった一言ですが、とても甘美で、そして震えるほどに切ないシーンでありました。

大人の映画たらんとするのは喫煙シーンの多さです。
大火の最中、積み上げた図書への類焼を防ぐために働く二郎らが、マッチを擦りタバコを吸います。
また、病気の菜穗子の寝間で仕事をする二郎が、タバコを吸います。
現在の倫理では全く×です。また昨今の規制の厳しい映倫でも×だと思います。
それでも宮崎駿は、当たり前に喫煙シーンを描いた、それはまるで二郎がカプローニと心を通わす夢の世界同様に、宮崎駿にとってのこの世の倫理を超越した夢の世界には不可欠なものだからだと思います。

そして宮崎駿の絵の真骨頂は、美しい風景です。
それは印象的な風景で、だからこそ心に深く届きます。
高原で、菜穗子と二郎が再会を果たすシーンでは、風が立ちます。その風によって池の水面が激しく波打つ風景を見て、本物の風を覚えます。

すべてが終わり、カプローニと心かよわす世界を訪れた二郎が見る風景、そこには無残に果てた零戦の骸が散乱します。でもその先、丘の向こうには美しい草原の世界が広がります。私たちのテクノロジーや欲望など、大いなる者の世界では、芥子粒ほどのものでしかなく、だからこそ私たちはもっと美しい夢を見なければいけない、正しく生きなければならない、という伝言を覚えます。

そして丁寧で美しい日本語のセリフ、会話
久石譲が彩るサウンドトラック
二時間の美しい夢の世界を堪能しました。
有り難うございます。

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