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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年7月10日水曜日

醜い怪物

昨日のニュースが報道した
-他人になりすまして、犯罪行為を挑発する-
という犯罪には、身震いするほどのおぞましさを覚えました。

先日放映されたTVドラマ『怪物』は、人間は道義心を失えば怪物と化す、と描かれていました。
-怪物は、善悪をおもいはかることなく、やすやすと欲求を果たす-
もはや人間でなくなる、人間社会では生きられなくなるというおぞましさが描かれていました。

昨日発覚した事件では、ターゲットとなる人を
本人になりすまして、公衆の面前で犯罪行為を挑発する。
挑発に乗って、犯罪行為を行う。
その犯罪行為を見物する。
という道義心を失った怪物たちが囲ったのです。
怪物たちは、互いを知らず、ただインターネット上に開設されたSNSの掲示板に常時群がっていたのです。

私たちの内面には、決して表に出ない様々な感情が渦巻いています。私たちは人間として生まれ、人間社会で生きていく中で育まれる道義心によって善悪を判断し、感情を制御する事を学びます。それが人間として生きていく術だからです。
しかし、そのたがを外してしまったら、私たちは人間ではなくなってしまいます。
醜い怪物と化すのです。
醜い怪物には必ず神の鉄槌が下される事を、私たちは肝に銘じて生きなければならないと思います。

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