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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年2月11日金曜日

新聞読み「B型肝炎訴訟20代原告女性が手記」

最近の新聞読みで一番心に残った記事は、2月4日の朝日新聞・夕刊に掲載された『B型肝炎訴訟原告 20代女性が手記』です。

以下、掲載記事の引用-----

原告たちは長い間、発病への不安や周囲の偏見におびえ、苦しんできた。差別のない、「生」をまっとうできる社会になってほしい-。大阪地裁で闘ってきた20代の女性が、その思いを綴った手記を朝日新聞に寄せた。

女性は専門学校を卒業し、就職。関西で1人で暮らす。
職場には感染を伝えたが、周囲の心ない言動で傷ついた経験から、友人には幼なじみも含めて明かしていない。
約2年前、母の勧めで提訴した。仲間となった他の原告と励まし合い、救われた。だが、それでも裁判資料は自宅の目の届かない場所に置き、感染の現実を遠ざける。
提訴は解決の道筋が見えてきたが、社会では、いまだにB型肝炎が正しく理解されていないと感じる。「自分に出来る事は勇気を出して語ること」。そう考え、手記を綴った。

『「近寄らんといてくれ」 涙、止まらず』

私は小学4年生で盲腸の手術を受けた時、予防接種で感染したことを知りました。母は「守ってやれなかった。代わってやりたい。ごめんな。ホンマにごめんなさい」と泣き崩れ、幼い私に頭を下げました。
私は感染したことよりも、初めて見る母らしくない姿にただ涙がこぼれました。こんなに優しい母が、なぜ罪悪感を持たなければならなかったのでしょうか。
10代の頃、医療の学校に通いながらアルバイトをしていました。感染を知ったアルバイト先の上司は「君がB型肝炎って知ってたら採用してへんわ。これからはうちの食器使わんといてな。私やったら絶対雇わん。こわ-、近寄らんといてくれ」と、笑いながら離れる素振りをされました。私は驚きのあまり、ただ「すいません」と頭を下げるのが精一杯でしたが、その夜は悔しくて涙が止まりませんでした。
学校の授業で感染対策の勉強をした時は、友人たちから「感染病持っている人は専門の病院にいってくれればいいのに。うつされたら怖いわ-」と本音を聞いてしまい、ますます打ち明けられなくなりました。
好きになった男性にも、感染のことで、嫌われるのが怖くて、最初から遠ざける事がほとんどでした。大切な人の幸せを1番に願うなら、私なんかがそばにいてはいけない、と感じてしまいます。

ウィルスを抑える核酸アナログ製剤という薬があります。他の原告から、この薬は人によっては服用すると一生飲み続けなくてはならず、子どもをつくることをあきらめなくてはならないと聞かされました。
結婚、出産、子育て、日常の幸せな夢まで、B型肝炎が重くのしかかります。
私は将来、家族を持てるでしょうか。お箸の持ち方やくつひもの結び方・・・・・・、将来、自分の子どもに当たり前の事を教えてあげられるでしょうか。病気で入院して、寂しい思いをさせないでしょうか。
これから先、いつ発病するか分からないウィルスとともに、死ぬまで生きていかなければならないのは、恐怖と不安でいっぱいです。
病気にならないための予防接種で、なぜ感染してしまったのか。国は危険な行為を続けたことを認め、謝罪して欲しい。私の母は悪くないと言ってあげて欲しい。
被害者の多くが人に言えない、辛い辛い経験をしています。私自身も自分の心の奥底にしまった気持ちや経験を話すことためらっていました。でも、勇気を出して発言します。偏見・差別がなくなるように。被害者が下を向いて、一人で泣く事のないように。

[朝日新聞に掲載されたキーワード]
◆B型肝炎集団訴訟
国が1948~88年、地方自治体に実施された乳幼児期の集団予防接種などでB型肝炎ウィルスに感染したとして、2008年3月以降、札幌や東京、大阪など10地裁で計702人が提訴した。
札幌地裁が先月、国が患者の症状に応じて3600万~1250万円を支払う>症状が出ていない持続感染者にも50万円を支払う-などとする和解案を示し、国と原告側は基本的に受け入れる方針を表明した。
原告側弁護団によると、原告は予防接種時の注射器の使い回しで感染。発症すれば肝硬変や肝がんになる場合があるが、主に血液を介して感染するため、一般的な日常生活では感染する恐れはない。それにもかかわらず、感染を理由に就職や結婚を断られたり、学校・職場で差別的な扱いを受けたりした人も多く、原告の大半は匿名で訴訟に加わる。
大阪訴訟の弁護団長、長野真一郎弁護士は「国には啓発を通じて偏見や差別をなくす責務がある」と話す。
◆B型肝炎集団訴訟をめぐる主な動き
1989年6月
患者ら5人が札幌地裁に提訴
2000年3月
同地裁が「歯科医療などの一般の医療行為や家族内の感染の可能性がある」として原告側の請求棄却
2004年1月
札幌高裁が「5人の感染は集団予防接種によるもの」と認定。損害賠償請求権が消滅したと判断した2人を除く3人に勝訴判決
2006年6月
最高裁が5人全員に対する国の賠償責任を認定
2008年3月以降
別の患者らが全国10地裁に集団訴訟(現在の原告数702人)
2010年3月
札幌、福岡両地裁で和解勧告
2010年7月
札幌市債で和解協議始まる
2011年1月
同地裁が和解案を提示。原告団が国の謝罪や差別・偏見の解消なを条件に受け入れを決め、政府も受け入れ表明

以上、引用-----

太平洋戦争を敗戦で終えた後、欧米の民主主義、博愛主義を骨格として日本は再建され、そして65年を経過しましたが、多くの差別・偏見が今なお私たちの血脈に根深く、息づいています。

ハンセン病、原爆被爆、公害、沖縄、在日、部落等々、エイズもしかり、性同一性障害(障害という名称自体如何なものかと思います)、貧困と枚挙に遑が無いほどに、古くて新しい、新しくて古い問題が、根本的な解決をみないまま棚晒しになっています。

私は、戦後の乳幼児期の集団予防接種について、当時の医療知識・倫理の未熟さ(注射器の使い回し等)等により、現在にいたり、また将来にわたっての命に関わる重大な問題が引き起こされた事実を重く受け止めますが、また集団予防接種により、公平に多くの命が未然に救われたであろうという理解も忘れてはいけないと思います。

16世紀、ガリレオ・ガリレイは地動説を唱え、宗教裁判にかけられて、その後終生、隠遁生活を余儀なくされました。無知、未熟さ、当時の正義(創造主が作られた昼と夜が地の周りを廻る、いわゆる『天動説』が正義であったのです)が彼を追いやったのです。

私たち人類は、長い歴史の中で、文化、技術・道具、哲学を発展させてきました。それは、木が年輪を重ねて枝を伸ばし大きく成長するが如く、積み重ねて成長し発展し続ける分野もあれば、誤りに気づき、見直し、修正しながら進歩する分野もあります。

現在の中国の急速な発展は、「90年代後半、朱鎔基首相が断行した改革が大きかった」といわれていますが、『壮士断臂』で大鉈を振るったとあります。「臂」とは腕のことで、『壮士は指から入った毒が全身に回らないよう、腕を切断してでも生き延びる』、短期間でGDP世界第二位まで登り詰めたのは、全体主義国家であるゆえんだと思います。

『壮士断臂』は極端でも、『臭いものに蓋をする』、『村八分』という制裁を受けないよう、周りと同じように良くも悪くもなく生き延びる、という事に心血を注いで生きてきた日本人の悪性が、差別する側・される側にもあるのだと思います。

私たちの日本は、世界の中で、侵略され征服させた事のない希有な国であるとみられていますが、日本列島内での世界では、文明の芽生えた飛鳥時代以降から最近まで、時の権力者同士の侵略・征服という血で血を洗う抗争が繰り返されてきました。権力者の下で常に支配された大多数の民は、常に頭を下げて生きてきたのです。

始めに書いた『太平洋戦争を敗戦で終えた後、欧米の民主主義、博愛主義を骨格』を象徴する日本国憲法でさえ、日本人自身で勝ち得たものではなく、外部から与えられたしろものです。

1990年代初頭まで、日本は『政治は三流、経済は一流』と評されていました。
中学生になった日本人は、社会や公民の授業で、最初に日本国憲法を学びますが、日本人自身が描いた正義や価値基準を基に義務と権利を規定したものではない憲法、それぞれの身勝手な解釈で利用される憲法の下で、誇れる政治が行える訳などないのです。

日本人は、先の日本史の中で、自然や周囲との共生、いたわり、礼節など高度な精神文化を生み出し育んできました。しかし、戦後、経済偏重で歩んできた日本人は、行き過ぎた効率化、画一化、マニュアル化そして競争の果てに、その良き精神文化をも廃らせてしまったと思います。

表題の『B型肝炎集団訴訟』は、1989年に最初の提訴がなされ、20余年かかって漸く原告側に風がふいてきました。この事自体は評価されることなのでしょうが、まだまだ原告側の戦いは緒に就いたばかりです。
何故にこんなに時間が掛かるのか、また原告側が求めている国の謝罪に対してどう答えるのか、これは他の差別・偏見の引き起こした事象全てに共通する問題です。
ここで指す国とは、何でしょうか、政治を司る政府でしょうか、行政でしょうか、それとも事象に関与した時の権力者でしょうか、この手記を読んで、彼女が1番怯えているのは、自分と関わる周りの人々です。全ての日本人です。

たとえ勝訴し、金銭的保証を勝ち得ても、時の為政者が通り一遍の謝罪をしても、原告者の怯えは拭えないと思います。

日本人が、頸木を背負った隣人に、躊躇することなく手をさしのべ、笑顔で共に歩むという、精神文化を取り戻さなければ、根本的な解決はないと思います。

重く深い命題です。

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