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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年7月13日金曜日

西日本豪雨で考えさせられたこと

先週は、いつこの雨は止むのか?という不安が日を追う毎に増していった週となりました。三日も四日も断続的に雨が降るというのは過去に経験がありません。
NHKでは24時間豪雨関連のニュースを流していましたね。
気象庁から「異常事態」という言葉が発せられたのは衝撃でした。
そして、豪雨災害の被害は未曾有なものになってしまいました。

河川が氾濫して大水害に見舞われた被災地では、雨が止んでも河川はすでに土砂で埋まり、山間部の山崩れやダムの崩落による災害の危険はまだまだ去りません。
そして今度は猛暑です。行方不明者の捜索も、復旧作業も厳しい状況が続いています。

高砂も、加古川や法華山谷川の氾濫や土手の決壊の危険がありました。防災無線が何度も避難準備を勧告していました。


そして、考えされられました。

特別警報の発令が遅れたのではないか?という問題が指摘されました。考えてみると、注意報、警報、特別警報がありますが、どう違うのは私自身説明できませんし、気象庁がホームページで公開している説明を読んでも理解できません。学生であったころは単純でしたね。警報がでれば学校が休みになるという判断基準だけでした。
ある気象予報士が次の様に説明をしていました。
警報がでたらすぐに避難を始める。まだ被害が出ていないうちに安全な場所に避難する。
そして特別警報は、すでに災害が起こっている、始まっているという警報であり、その時点ではすでに非難を完了しておかなければならない。

特別警報ができてから、警報では驚かなくなっていました。警報がいつしか避難行動に直結しなくなりました。これでは駄目なんですね。
オオカミが来た、でも構わない。警報がでたらとりあえず避難を始める、これを義務として徹底することが、命を守る第一だということを私たちは肝に銘じなければならないと実感します。

そして、一人一人が自己判断で避難するのではなく、地域で協力して避難することが大切だとも実感しました。
一人では避難できない人も大勢おられるでしょう。
求められるのは若者の力です。分担して、担当の家を回って避難を促す。自力で避難できない人がいれば、協力して安全な避難をサポートする。若者の行動力指導力で町人全員を助けるというシステムが必要だと感じます。

そして、そういう行動をスムーズに行えるように、避難訓練を月一に行う。避難訓練が日常的に当たり前に行えれば、本当に必要なときにもスムーズに避難が行えると考えます。

そしてSNS全盛時代、デマは風評被害も一気に拡大する危険をはらみます。
防災や避難を管理する行政がしっかりとチェックして信頼性の高い情報を提供できるサイトやホームページ、掲示板を責任を持って運営することを望みます。

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