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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年11月26日水曜日

医は仁術

総合病院の待合室で会計を待っていたところ、隣にある薬局の窓口でちょっとしたトラブルがありました。
年配の男性が、薬ができるのが遅いと詰め寄っていたのです。20分待っているのに薬ができないと窓口をばんばん叩き、そして担当医師が電話口に出ると、これからも待つのは嫌だから1年分薬を出せ、とせがんでいます。結局、しばらくすると穏便な形でトラブルは収束した様子でした。私を含め、周りにいた一般客(患者等)は、唖然とし、連れ立ってこられていた人は、小声で「順番やからしかたがないやろ」と話していました。

最近ですよね、窓口や薬局がスムーズに回転しだしたのは。以前は、総合病院で診察を受けるのは我慢大会みたいなものでした。診察は数時間待ちが当たり前。診察の順番が回ってきても、まず検査を指示され、長い廊下を行ったり来たり、そしてすべてが終わって数分間の診断を聞いて終わり、いや終わらない、それから会計で待たされ、薬局で待たされ、気付くと一日が終わります。

それが地方でも総合病院がどんどん作られ、病院同士で患者を食うようになった。そして些細なミス(医療ミスでなく、事務上や窓口対応の不備)でも、ネットを通じて一気に流布し、それでバッシングや患者離れを引き起こし、病院経営を危機に陥れるようになった。
だから命を救う病院でさえ、次第に患者を”お客様”と見るようになって、へりくだるようになった。病院の接客業務は、標準マニュアル化が進み、効率化のシステムが導入されて、病院で発生していた待ち行列は、科学的に改善された。しかし、病院への敬意や親しみは薄れて、いつしか患者は20分で不遜な態度を取る”常客”となった。
型にはめるわけでは無いけれど、世の中のビジネス(営利活動)至上主義が招いた変化の一例ではないかと思う。

「医は仁術」いう言葉があります。「医術は単なる技術ではなく、人を救う道である」という意ですね。そして、現在もこれからもそうであるなら、医者は人を救う仁者であるから敬意を払わなければいけないし、病院は医術を行う場所であるから、神聖に過ごさなければいけないと思います。逆説となりますが、私たちが医者や病院に、敬意と尊敬、そして信頼を抱き続けることが、医者や病院を「人を救う道」に揺るぎなく歩ませる「医を生かす」道だと思うのです。これも仁術です。
そして同時に、一種の信仰です。信仰とは、すべてが叶えられることではありません。裏切られても信ずる、成されなくても信ずる、その信心が、大河の一滴となるのです。

大袈裟な話に発展してしまってゴメンなさい・・・
でも病院は、地上で一番、安心、安全な場所であって欲しいです。

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