播磨の国ブログ検索

映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年10月29日水曜日

IR推進法案についての報道が盛んですが・・・

一昨年、日本は世界に対して「おもてなし」をアピールしましたね。「おもてなし」とは、心を尽くしてお客様をもてなすという事です。遠来からのお客様に心からくつろいで頂いて、日本を好きになって頂いて、日本で使ったお金以上の良き思い出、良きお土産を持って帰って頂く、という心遣いだと思います。
ですから、IR(統合型リゾート)推進法案(通称カジノ法案)の早期実現に奔走する国会議員が発言した
「観光やビジネス目的で日本を訪れる外国人に、手っ取り早くどんどんお金を使ってもらう、落としてもらう国にならなければいけない」という考え方には違和感を覚えます。

また、本当にカジノ併設のIRが、日本の観光立国の起爆剤となるのでしょうか?
日本にはカジノリゾートを運営するノウハウなど無いですよね。ですから日本は、IRのモデルとするシンガポール同様に、外国のカジノリゾート運営会社にソフトウェアを丸投げして、箱物作りと人的資源を供給するだけでしかありません。そこには日本独自の「おもてなしの心」を差し挟む隙などないでしょう。ですから出来上がったIRは、世界中にすでにあるIRのコピーでしかありません。
カジノリゾート運営会社の日本担当重役は、日本のIRに5000億円とも6000億円ともいう巨費を投じると発言し、その投資を5年で回収できると強気です。
ですがアメリがで実際に問題となっているように、IRの林立は、競争の激化を生み、競争に敗れた都市や国の末路は荒廃です。
現在、アジア、オセアニア地域においてカジノを禁止している国は、日本と中国だけです。日本がカジノリゾートに参入するということは、競争の渦中に新参者として飛び込むという事です。ですから、日本のカジノリゾート推進派が描いている様な棚ぼたは、限りなく難しく思います。

現在のカジノは、庶民の射倖場から上流階級の社交場まで様々です。ビジネスや学界、また上流階級の社交場を日本にも作りたい、そして社交パーティーをどんどん日本に誘致したい、という向きもあります。
もしカジノ併設の社交場を作るなら、私見ですが、国際空港の中に作るのは如何でしょうか?遠来からの賓客には、入国も要らず、交通の利便性も良い、尚且つ表向きですが、日本国内のカジノ禁止を解く必要もなく、そして日本人がカジノを利用する(そこで働くことを含めて)場合にはパスポートが必要で厳密な管理化に置かれることになります。

ギャンブル依存症の問題ですが、
日本には、世界の中でも希なほどに、庶民が手軽に利用できる射倖場が、至る所にあります。パチンコ、競馬、競輪、競艇、そして宝くじ等々・・・
特にパチンコなどは、学生でも主婦でも気軽に利用でき、敷居が低い分、日本はギャンブル依存症予備軍を大量に抱えています。そこに射倖場の伏魔殿ともいうべきカジノを合法化することは、この問題を一層深刻化させることに繋がります。現状のギャンブル依存症の問題にさえ手つかずの日本でカジノを解禁するということは、ギャンブルの問題に留まらず、犯罪の深刻化や国際化という治安の最悪化を憂慮します。

IRが、これからの日本に本当に必要というならば、日本の風土に調和したIRを創造しなければいけないと思います。
IRに、本当に必要なものは
交通の利便性と、会場の快適性、そして、その土地でしか味わえない感動
だと思います。

日本の自然と、歴史と、和の文化が満喫できる日本独自のIR、作る篤志家が現れることを期待します。

0 件のコメント:

コメントを投稿