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パンデミックと戦うことを考える

昭和の始めに、日本が中国と、そして米国と戦争に及んだ理由を一言で記すことなどできないけれど、しかし、日本が戦争に負けた理由は一言で記すことができます。 それは、当時の日本の指導者の、「国民の人権軽視」と「戦争をするための戦略軽視」です。 「国民の人権軽視」、これは形式的な国...

2014年4月6日日曜日

有明の頃

有明の頃、浜国道を曽根に向かって走りました。
日笠山のすそのカーブに入った時、滲んだ太陽が目に入ってきました。
よなかの冷たい雨が、朝の日差しを受けて霞みに変わり、静かな街が艶やかに輝いて見えました。
鹿島川沿いの桜は満開でした。桜花は、露を纏い一段と艶やかでした。まるで成熟した女性の趣がありました。

集合時間に自力では間に合わなくなり、車で送ってくれと云うおとぼけの息子に、少し感謝した次第です。

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