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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2013年5月18日土曜日

日本維新の会橋下徹代表の『戦時の性処理』発言について考えます


20年前、父の葬儀に軍隊時代父の部下であったという方が遠方から列席して下さいました。そして後日、軍隊生活の思い出が書き留められた文章を郵送して下さいました。
戦争末期の南方洋での軍隊生活が書かれていました。
捕虜となって、収容所での生活、そして復員されるまでの話もありました。
慰安所についても触れられていました。
私はこの文章で、慰安所というものを、歴史の中の一こまから、より身近な現実の出来事として捉える様になりました。

日本軍が運営したとされる慰安所には、韓国ばかりでなく東アジア、東南アジア、また東南アジアを植民地支配していたオランダの女性も囲われていた(囚われていた)ともいわれます。そして、同胞である日本人の女性もいたともいわれます。ずいぶん前に、日本人のひとりの女性の回想録を読んだことがあります。外地の兵士を手助けするという名目で軍が女性を募り、進んで応募した女性がたどり着いた先は、慰安所だったというのです。このように騙されて慰安婦へと落ちていった女性は、たしかにいたのだと思います。

映画や文学には、特に戦時下を描いた作品には、売春宿の風景がよく描かれます。作品によっては、売春婦は兵士にとっての一夜の妻、あるいは恋人として描かれます。また別の作品では、町や村の女性達が兵士に襲われ、暴行されたり殺害される行が描かれます。また『誰がために鐘は鳴る』のヒロイン・マリアの様に間接的な描写で、無垢に見える女性の凄惨な過去が浮き彫りにされます。

『戦時下の荒んだ性処理』は、戦争、殺し合いが肯定された狂気の時代には、暗黙に肯定されていたと想像します。
しかし、どの国のどの軍隊の記録にも、この様な不名誉な、恥部となる記録はないでしょう。第二次大戦末期、敗走する日本軍や、ヨーロッパ戦線におけるドイツ軍は、あらゆる後々不都合となる記録は抹消したといわれます。このような不都合な記録の抹消は、あらゆる歴史の中で行われてきた行為だと想像します。ただ、公の記録として残らなくても、人の記憶、血の記憶として残ります。それは、虐げられた者の中では恨みとして、また罪を犯した者の中では恥として、語り継がれます。

日本維新の会橋下徹代表の『戦時の性処理』についての一連の発言は、学術的な討論の場であれば、何ら不都合のない話だと思います。しかし、国民の代表である政治家が、他国の恥部に触れる無礼な発言は、常軌を逸した、日本を危機に貶める行為だと断言します。
今回は、相手が同盟国として強い結び付きがあり、また知日家が多いアメリカでよかったと思います。日本人の大多数は”恥”を知り、決して相手の”恥”を手玉に取ったりしないことを、知日家はきっとわかってくれていると信じます。

最後に、他国の”恥”について、韓国の一部の市民団体が、日本の過去の”恥”を、まるで現在のことの様に、アメリカでヨーロッパで風潮しまわる行為に、憤りを覚えます。
”従軍慰安婦像”の建立です。
この行為は、日本の過去の”恥”を手玉にとって、現在の日本をバッシングするという非常に悪意ある行為だと思います。
日本も韓国も互いにもっと胸襟を開いて、現在の相手を認め、信頼し、未来を建設的に歩む為のあらゆる努力を行うべきです。と同時に、真の友好国となって、相手の過ちには凜として申し入れ、また犯した過ちは真摯に認め正せる関係を築かなければいけないと強く思います。

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